時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

ズエラット



道というのは人が作ったものだとすればサハラのそれは道ではない、サハラにおいて道の定義とは安全か危険かということであり、サハラはどこまでも続いている。

アタルの町に戻ってきた。ここから更にサハラの奥地にある鉱山の町ズエラットを目指すことにした。そして運よくズエラットへ向かうという車をすぐに見つけることが出来た。ズエラットまで5000ウギア、荷台なら3000ウギア、迷わず荷台にした。凄いスピードで砂漠をかけ、砂と塵にまみれながらサハラを走り、暗くなる前にズエラットの町に到着することが出来た。

荷台で仲良くなった男が宿探しを手伝ってくれた。その男は英語を喋らないが何軒かのホテルに連れて行ってくれた。しかしどのホテルも高額な所ばかりで泊まることができない。すると、男が家に来いと言ってくれた。ブラヒム家、俺を招いてくれた男の名前はハイバ、敬虔なムスリムで祈りは常にかかさない。ハイバは両親と姉、そして姉の子供達と一緒に暮らしていた。暖かさがにじみ出ている家族、心が和む。こんなわけの分からない日本人の旅人を何も疑うことなく泊めてくれるのだから本当にありがたい。

モーリタニアではどこに行ってもアタイという茶とヤギのミルクに砂糖をいれ冷やした飲み物のもてなしを受けるが、ここでもやはり同じようにしてくれた。お父さんがゆっくり茶をいれながら話をしてくれた。しかし、やはり地面に転がるってのはいい文化だ、絨毯が沢山敷かれていて、みんな家の中でひっくり返っていた。

お母さんがわざわざ外で冷えたジュースを買ってきてくれた、普段は買わないだろうに、俺のために買ってきてくれた。お父さんが俺の汚れたズボンのためにと石鹸と水を用意してくれた。みんな輪になり茶を飲みフランス語と片言の英語で会話してくれた。いつもお世話になっているときに思うことだが、日本でも外国人に優しくしたい。

なにやら外でパーティーがあるとかで連れて行ってもらうことになった。こんなサハラの果ての町でのパーティー、とても興味がある。車でしばらく走るとなにやら明かりが灯っているのが見え音楽も聞こえてきた。男と女が民族衣装を着て音楽にあわせ夜な夜な怪しく踊っていた。もう夜中の11時だ。真っ暗なサハラの町でそこだけまるで別の空間に迷い込んだかのような感覚、なにか隠れてこそこそ楽しんでいるかのように感じた。そして民族衣装に身を隠した女性の美しさ。信じられないくらいに美人が多く、その衣装といいまるで映画を観ているかのよう、とても高貴な感じで、また大事にされているといった感じか、観光客など来るはずもないこの町で催されている怪しい宴、変な目で見られるのではと心配したが、女の子達は優しく微笑みをかけてくれた。

翌日の朝は早起きをして家の屋上にあがりズエラットの町並を見ながらぼーっとしていた。自然は過酷で食べ物もまともなものがないこのモーリタニアだけれど、この国で初めて住みたいと思えた町だ。その後、朝飯とアタイをご馳走になった。そして昼飯をご馳走になったりモーリタニアの結婚式の映像を見せてもらったりしながら昼過ぎまで皆と過ごした。心が和む楽しい時間。しかしこの町に来た最大の目的であるサハラ横断列車が今日出発すると言われ、出発を決めた。本当にありがたく感じていて、またお礼をする時間もなかったので、ためらったがお母さんに4000ウギアを渡わたそうとした。お母さんはとても丁寧にそれを断った。そのあまりの笑顔と優しさに泣きそうになるのをこらえ心の底から礼を言った。金は渡すべきではないのは分かっていたが、言葉がうまく伝わらないのでどうしても感謝の気持ちを伝えたかった。本当に暖かい家族、みんなの表情は本当にやわらかく、愛情をたっぷり注がれたのだろうということが顔を見ていると良く分かる。この町を去るのは本当に辛かった。