やはりいくら考えてもあれは一種の一生の不覚だった。
私は綺麗なお姉さんが仕事帰りに一杯やりにくるような恵比寿の御洒落なバーで酒をちびりとやっていた。すると私の座っていたカウンター席の隣に二人組みの女性客がやってきた。おもわず私は姿勢を正しグラスを傾け斜め45度を遠い目で見つめた（という風にクールに見えるよう格好をつけてみたのだ）。もうなんていうかすでに酔っ払って気もち良さそうでバーテンダーとピーチク楽しそうに「札幌に旅行にいってきたんですう」などとその娘たちは喋り始めた。そしてこれは全く本当に偶然なのだが私も札幌に用事がありたまたまこの日は札幌から帰ってきてそのまま恵比寿のバーに来ていた。そうなんとも幸運（なのか？）なことに共通の話題が簡単に見つかってしまったのだ。そしてさすが恵比寿のバーでシェイカーを振るっているだけのことはありそのバーテンダーは非常にさりげなく（それこそまるで私はそのとき心で会話が出来たような気がしたのだが）私が札幌に行っていたという話をして欲しいと知ってか知らずか（或いはそれにも拘らず）その娘たちにもしてくれたのだ。私はその娘たちはまだ20代前半かそこいらであろうと勘ぐっていたのであるが（というのもとびきりというわけでもないがなにやら落ち着きがなくとにかくふにゃふにゃしていたのだ）聞いてみると二人とも27歳だということだった。宇宙はユニバースと英語ではいうがユニとは一つを意味しバースは折りたたまれたものを意味するが宇宙は実は一つではなく複数存在するマルチバースでありなぜかといえば我々が住んでいるこの宇宙で完全に適した量のつまり酸素やら窒素やらがありきちんと作物などが育ち人間が生きていける環境というのはあまりにも偶然が重なりすぎていて宇宙が一つなどとなってはそれこそ我々は神の存在を認めねばならぬということになるのでだから宇宙は複数でマルチバースなんだ、という最近読んだ本に書いてあった難しそうな話をしてやった。当然、「おもしろーい！」と娘たちははしゃぎだしそれこそ目をうるうる腰をくねくねやりだすのかと思っていたのだが、どういうことだろう、娘たちはおもむろに携帯なぞをいじくりだしたのである。もっとお話してくださいとかそういうのはなかったのだ。まったく気まずくなり私はたまらずビールを注文しちびりちびり胃に流し込んでいた。そのときである。がらんと入り口が開く音がしたと思い視線を移すと若い男が入ってきてその途端携帯をいじくっていた娘たちがまるで携帯など初めからいじくるつもりなどなかったかのようにそれを放り出すと顔を輝かせてその男に美しいメゾソプラノを響かせたのである。その男はどうやら店のバーテンダーのようでよちよちとカウンターに入ってきた。お笑い芸人を目指しているとか言うそのきゅうりのような男が話をするたびに娘たちはそれはもう陽気に騒ぎとびきりの愛嬌を振りまいた。もう私など蚊帳の外で爪弾き者でそれこそ半透明になっていた。「こないだ知り合った人に住んでる所聞いたら世田谷区とかっていわれて、世田谷区って、、広くねー！？」のような事をそのきゅうりが言った途端楽しそうにそれこそもう満面の笑みで私の前では決して見せなかった会心の笑顔で心の底から幸せそうな表情をその娘たちは見せた。私はといえばもう入ってもいないビールグラスを何回も傾けてお代わりも頼めないくらいに気まずくなってお勘定も頼めなくて便所にいく振りをしてそれこそどこかで見た青春ドラマのように駆け出して逃げ出したい気持ちだったのだ。
