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エジプト人へのお土産はチョコレートがおすすめ

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日本に一週間ほど一時帰国をした際に、会社のエジプト人のためにお土産を買ってきた。スーパーで適当にチョコレートやキャラメルやハイチュウなどを5000円分ほど適当に買い込み、スーツケースにぶち込んで持ち帰ったが、チョコレートの人気は圧倒的だった。本当におすすめする。 

 

エジプトに戻り、オフィスや食堂で一人ひとりに配って回ると、予想以上にみんな喜んでくれた。よほど日本のお菓子は特別なようで、スーパーで買ってきた安いお菓子に「ヤバニーショコラータ?シュクランシュクラン」(日本のチョコレート?ありがとうありがとう)と顔を輝かせて子供のように喜んでくれた。こんなに簡単に人から満面の笑みで感謝を得られるのなら、もっと大量に買ってきてそれこそ一生分の感謝の言葉を浴びたいと思ったほどだ。

 

そして翌日である。こちらがおはようと声をかけるよりも先に「私のチョコレートは」といった声が次から次へと私に浴びせられたのだった。つまりまだお土産をもらっていない人やほかの人を特別扱いしたと思った人からの冗談交じりで半分本気の非難の言葉がいくつも降ってきたのだった。そしてそれは一日中頻繁に数日間続いた。あいつは2つもらったのに俺は1つしかもらっていないだの、あの子には黄色いパッケージのチョコレートなのになぜ私にはないのだの、家には子供が4人いるから僕にだけ4つもらえないかだの、そんな波状攻撃があちらの角を曲がってもこちらの角を曲がっても私に浴びせられ、私は便所に隠れたり、「オーケーショコラータトゥモロー」などと適当な言葉を発してやり過ごしたりした。

 

幸い、お土産は余分に買ってきていたため、最終的にはできるかぎり平等に配ることが出来た。結構いい歳をした大人たちが小さなチョコレートをめぐりしのぎを削る光景はとても新鮮で、それも愉快にそして半ば真剣に交渉してくるので、そんな彼らがなんだかうらやましくも思えた。小さなチョコレートをめぐり真剣になれる様は、たとえば子供のころに冷蔵庫に入れておいたゼリーやヨーグルトを兄弟に勝手に食べられてしまい怒る子供のような純粋さというかそんな郷愁を漂わせていた。

 

もう私はおやつをめぐり真剣になれるほどの純粋さは決して持ち合わせていない。たとえ火星人がお土産に火星チョコレートを持ってきて私の分がなくなったとしても、必死に怒ったり交渉したりすることはないだろう。しかしそれは大人になってしまったからというよりは、エジプト人の国民性にあるのかもしれないが、どうしてその差が生まれるのかを適当に考察してみると、不自由なく欲しいものが手に入りどこにでもいける日本人よりも、あらゆる制約の下に生活をしているエジプト人の方が小さなものに対する感動を持てるということだろう。制約があればあるほど反動で感動や解放感を得ることができる。

 

これは本当にエジプトで不自由な生活をしていると感じることで、日本に帰った時は成田からその足でラーメン二郎を食べに行き満腹のところで銭湯の湯に浸かりにいったが、その瞬間はこれ以上ない幸福感に満たされたし、間違いなく日本で日常的に味わう感動をかなり超えていた。しかし能動的な制約と強制的な制約という考え方の下では、「自ら作り上げた制約」などというのはどこか矛盾していて、私の感動も本当の制約の下に生まれた感動ではないかもしれない。私は別にエジプト人ではないし、エジプトにいなければならない義務もないからだ。しかし擬似的には経験することはできる。

 

エジプトへのお土産を買う機会があればチョコレートをおすすめする。もちろん、エジプトにもチョコレートはあるのだが、輸入物は値段が高いし、エジプトのものは暑くて溶けてしまうため小麦粉が入れられていたりしていてモサモサしてあまりおいしくない。みんな私が買ってきたキャラメルやハイチュウなどにはさほど関心は示さなかったが、チョコレートに至ってはもう自分がサンタクロースにでもなり喜ぶ子供たちにプレゼントを配っているような感覚にさせられるくらい、みんな嬉しそうに受け取るのだった。私もまたお土産を買う機会があればスーツケースをそれこそ口どけの良い生チョコと保冷剤で埋め尽くして持っていこうと考えている。

 

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