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エジプト人の性格は一言でいうと「面倒くさい」

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エジプト人を一言で表現すると「面倒くさい奴ら」となる。

 

最近付き合いのある会社に行くことが多く、その会社の連中と仲良くなってきた。日本人が珍しいのかやたら写真を撮りたがり、そしてその写真をフェイスブックにアップしたりする。

 

そして先日、その会社を訪問した際に「モハメッドは悲しんでいる」などともう一人のモハメッドに突然言われたことがあった(エジプトではモハメッドとアフメッドという名前の人物が沢山いるが、それは預言者の名前というのが理由で、だから右を向いても左を向いてもモハメッドがいて石を投げればアフメッドに当たる)。

 

何のことかと聞き返せば「フェイスブックでお前のことについて書いたのに何も反応してくれないじゃないか」と言われたのだ。初めは冗談かと思いおもわず笑ってしまったのだが、こちらが笑っているのに相手は本気で言っていたらしく、なんて面倒くさいことを面と向かって言う奴らだろうかと思った。そんなことをあいさつ代わりに言ってくるのだ。

 

なぜ電話してこないんだとか、なぜあいさつに来てくれなかったんだとか、そんなことが本当に頻繁に起こる。エジプト人は寂しがり屋がとにかく多い。だから電話も大好きで、やたらと電話をかけて話している光景を目にする。会社にも本当に働いているんだろうかと思うほどいつも電話で誰かと話をしている人間がいる。タクシーやウーバーに乗ればよく通話しながら運転をされる。

 

寂しいのは大いに結構でそれは誰にでもあることなのかもしれないが、そんな気持ちをストレートに恥ずかしげもなく出してくるあたりは、日本の気持ちを隠す文化とは大きく違う点だ。日本が恋しくなるほど面倒くさい感情を人前で披露してくる人間が多いので、私はあまりに面倒くさくて電話がきたふりなどをしてその場から退散することがあるくらいだ。

 

また、さらに面倒くさい話は続くのだが、とにかく人に恩を着せるのが大好きな連中なのだ。それはおそらくバクシーシ(喜捨)という考え方が根本にある。バクシーシとは金持ちがそうでないものに与えることをいうが、与えられたものは受け取った時点で自分が下だと認めるということになる。つまり、自分が下だと認めたくない人間ほど人に恩を着せるのが好きなのだ。

 

扉の開け閉めひとつをとってもそうだ。こちらが扉を開けて相手を行かせようとしても「no no、you go first」とこちらの行為を受けたがらない。お茶を入れたから飲んで行けとなれば、いらないといってもとにかくすすめてきたりする。こないだはフェイスブック事件が起きた会社で昼飯が出されたのだが、食べてきたのでと丁寧に断ったにも関わらず、とにかく食って行けと聞かず、お腹がいっぱいだからと繰り返し伝えたらお土産にしろと持たされたことがあったくらいだ。相手のためを思ってというよりもアラーへのポイント稼ぎをしているのでは、と勘ぐってしまほど妙にかたくななのである。

 

また、エジプト人は合理的という言葉とは対極にいるといっても言い過ぎにならない連中だ。イスラム教徒が多い彼らの中にはクルアーンが根底にあるが、改訂されることのないクルアーン現代社会に合理的に合致するわけがない。さらにアラブ世界特有のわがままな感情をはっきりと表してくるので、それはもう非合理なことばかりが起こる。毎日が非合理でできている。非合理と共に日常がある。もちろん高い教育を受けている人間はたくさんいるし(カイロには100万人の大学生がいると言われている)合理的な人間も中にはいるが、非合理的に感情を優先させた言動の方がやはり多い。

 

日本をはじめシステムが出来上がっているような先進国では、状況に対するテンプレはだいたい用意されていて、こういう状況ではこう対処すればいい、こう対処すべきだ、といったことが共通認識としてある。しかし、クルアーンを根底としてさらに個人の感情が中心となって進んでいくエジプトのような社会では、こうすればいいという回答を探るのが非常に困難で、クルアーンについて調べたり、個人レベルでその都度考えて対処していかなくてはならない難しさがある。機転を利かせることが重要になってくるが、エジプトのような混沌に身をゆだねてみないとみえてこない世界もきっとあるだろうし、ずっと住むわけでもないので、これからも無責任に適当に、もう少しだけ楽しんでみようと考えている。

 

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