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仕事のモチベーションを保つ方法

仕事のモチベーションを保つ方法を紹介する。梅原大吾というプロゲーマーは、非生産的で一見まったく意味のなさそうな職業で、圧倒的なモチベーションを見せつけているので、彼の職業について考察していきながら、やる気の出し方を説明していく。

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モチベーション

 

はじめに 

自分のやっている仕事に果たして意味があるのだろうか。自分の仕事の価値が実感できない。なんのために働いてるんだろう。世の中の役に立てているのか。

 

このように考えている人はきっと多いだろう。そしてきっと仕事に対するモチベーションは低いはずだ。

 

環境を変えるというのが一番いい方法だが「そうはいってもいろんな事情があって変えられないよ」という人もいるだろう。しかし環境は変えられなくても自分の考え方は変えることができる。理想は自分の特性を活かしながら、社会にとって価値を生み出せていると実感して働くことだが、少しずつその理想に近づけていくことはできる。その方法を自分の仕事経験も少し交えて説明していきたい。

 

 

プロゲーマーの仕事

プロゲーマーという仕事がある。ゲームをすることが仕事で、ゲームメーカーがスポンサーになり、生活を保障し、ゲームの世界大会などに参加して賞金を稼ぐ職業だ。ゲームをして勝つ。それが仕事だ。そして一年のうちのほとんどの時間はひたすらゲームの練習をするという日常を送っている。「こんなことやっていて何の意味があるのだろう」と間違いなく何回も思っていることだろう。それでも職業として成り立っているし、それで飯を食べている人も存在するのだ。

 

ゲーマーだからと遊んでいるわけではない

プロゲーマーと聞いて「そんな珍しい仕事もあるのか」と思ったが、将棋のプロ棋士と比較したときに、やることは本質的には同じだろうなと思えた。格闘ゲームのストリートファイターに熱中するのと将棋に熱中するのは、ルールこそ違うが勝負の世界という括りでみたときには大きな違いはない。しかし決定的に違うことは世間の見る目だろう。将棋は歴史上これまで長く日本で親しまれてきた格式あるもの。格闘ゲームは子供向けに作られたおもちゃ。世間からのイメージには大きな違いがある。人によっては、将棋は頭がよくなりそうなイメージがあるが、ゲームは馬鹿になりそうなイメージがあるかもしれない。

 

しかし、将棋でもゲームでも与えられた条件の中で相手に勝つための戦略性は磨かれるだろうし、限られたルールの中でのひらめき・創造力も身に着けることは出来るだろう。将棋の方が多くの競技者がいて、多くのお金が動いているから社会性が高く、世間からの評価も高いだけだ。しかしその「なんか社会性なさそう」というただのイメージがプロゲーマーを大いに苦しめていることだろう。

  

ゲームを仕事にしていてもそこには意義がある

NHKの「仕事の流儀」という番組でプロゲーマーの梅原大吾という人物が取り上げられていたことがあった。彼は格闘ゲームを扱うプロで、毎日のようにゲームをやり、相手に勝つための戦略を練り、練習をすることが日常になっている。その番組では彼の日々の生活が掘り下げられて紹介されていた。毎日ゲームを朝から晩までやり、ついには同棲していた彼女に逃げられてしまうといった話まで紹介されていた。それほどすべてをゲームにかけている人物として紹介されていた。

 

番組内でプロゲーマーの後輩が「戦略を練って勝てなかったときに、いままでやってきたことに意味はあるのかなって」と相談を持ち掛けたときに、梅原大吾は「それは意味あるでしょ。それは意味あるでしょ」と自分に言い聞かせるように二度言っていたのが印象的だった。その発言には「プロゲーマーとして生きることにも意味はあるんだ」というような強い意志が感じられた。

 

梅原大吾はその言葉を発した後に「俺はこういう人間なんだとかこういう努力をしたんだとか表現ができないのなら意味がないと思うんだよね(中略)人に他人に対してどういう影響を与えられるかとか(中略)いくらゲームをやってりゃあいいという仕事でも」と付け加えていた。仕事として意味を感じにくいであろうプロゲーマーという仕事だからこそ「その意味」を考え続けた言葉のように聞こえた。ゲームすること自体には意味はないかもしれないが、ひとつの試合に勝つための戦術、そして勝ち続けるために必要な自分自身のコントロール、ゲームという媒体であっても自分自身を成長させていくことは可能なのだという話だった。

 

好きなことはやるべきだが、自分を納得させる材料も必要

梅原大吾は17歳で格闘ゲームの世界大会で優勝した経験を持つ。そのときの感想は「恥ずかしかった」ということで、アメリカでプロゲーマーが生まれたという話を聞いても全く興味が湧かなかったのだという。

 

その後は麻雀の世界に足を踏み入れるなどしたのち、介護の仕事についたのだが、それに関して「これ俺じゃなくてもいいんだろうなって思うことがつらかったんですよ」と番組内でコメントし、「俺の個性はここでは認められないんだなというのが惨めだった」と振り返っていた。

 

そのような介護の仕事をモヤモヤしながら続けていた中で、しばらく控えていた格闘ゲームを友人の半ば強引な誘いにより再び始めることになったのだという。

 

そして再開して1年後に招待されたラスベガスでの世界大会で優勝した。するとアメリカのゲームメーカーからスポンサー契約のオファーが舞い込んだ。「好きなことをやることにすでに罪悪感があった」と一度断ったが、その後さらに葛藤を繰り返し、28歳の時にプロゲーマーとして歩み始めることを決意した。

 

梅原大吾にとって、ゲームという非生産的にみえる遊びを仕事として選択することに大きな抵抗があったのだろう。本人が遊びとして認識していなくても、多くの世間の目からはただの遊びにしか映らない。遊び続けるというのは、もしかすると働き続けることよりも疲れる行為なのかもしれないが、ほとんど多くの人にとって遊びであるゲームを仕事にすることに、罪悪感を拭うことがなかなかできなかったのだろうと推測できる。

 

私の体験ーオーロラガイドという仕事

話は少し逸れて大変恐縮だが、私は以前、カナダのユーコン準州でオーロラガイドをしていたことがあった。ガイドという職業は、人が人を満足させるというとてもわかりやすい職業だ。うまくいったときは感謝がダイレクトに伝わってくるので、大きな充実感を味わうことができる。

 

簡単に感謝を得れてしまった

さらに私がやっていたのはオーロラガイドだったので「一生の思い出になりました」という声を聞くことも良くあった。毎日のように人から感謝されてとても充実していた仕事だった。しかしそれは、あまりにも簡単だった。人から感謝されるのがあまりにも簡単だったのだ。私がしていたことといえば、車を運転することと、身に着けた知識で案内をすることくらいだったが、そんなことで圧倒的な感謝を人からもらえていたのだ。

 

次第に「感謝してくれてるのは私の能力ではなく自然現象をたまたま案内した私」だという意識が強くなっていった。自分にしかできないことを自分の力で提供しているのではなく、その感動は自然が作り出した芸術と、オーロラが見える街にただ住んでいるというだけの希少性がもたらしたものでしかなかった。私は自然現象が見れる場所に案内するというほんのわずかな手伝いができるだけだったのだ。

 

梅原大吾が介護の仕事で感じたような「俺でなくてもいいのでは」という感覚に近いものを次第に私も感じていった。やっていることは大いに意味があったが、それは自分の特性を活かせるものではなかったのだ。

 

自分の特技を活かせて、人からの感謝される仕事が理想

意味は大いにあるが自分の特性を活かせない仕事。自分の特性は活かせるが意味を見出しにくい仕事。無いものねだりは誰にもあるだろう。その間をいったりきたりすることになるかもしれないし、同じ場所にとどまらざるを得ない人もいるだろう。このような考えから仕事を分類してみると、以下のように整理することができる。

 

  1. 自分の特別な能力を活かせて人の感謝もダイレクトに伝わってくる仕事
  2. 自分の特別な能力を活かせるが人の感謝を感じにくい仕事
  3. 自分の特別な能力は活かせないが人の感謝がダイレクトに伝わってくる仕事
  4. 自分の特別な能力も活かせないし人の感謝も感じにくい仕事

 

自分の特別な能力を活かせて人の感謝もダイレクトに伝わってくる仕事

多くの人の理想は1番の仕事になるのかもしれない。もちろん、いきなりこのような状況で働き始められる人はいない。最終ゴールはここ、という認識を持ちながら現在の自分の位置を確認し、目指していくことになる。

 

自分の特別な能力を活かせるが人の感謝を感じにくい仕事

この2番に分類した仕事はどうだろうか。プロゲーマーやプロ棋士は特別なスキルが要求される仕事で希少性は高いが、プロゲーマーなどはきっと年に何回かの大会の時などを除けば人の反応はダイレクトに伝わりづらいだろうし、プロ棋士は声援を送ってくれる観客などは公開対局などを除けばいないので、2番の仕事に属するのかもしれない。

 

2番に属する人はそのまま自分の能力を迷うことなく磨き続けることが大事になるのかもしれない。一つのことに打ち込むタイプなのだろうし、継続することでそのスキルが人の役に立つとダイレクトに自分に返ってくる状況が訪れるかもしれない。自分からその状況を作り出すために誰かのサポートを得て、そのスキルが他人のためになるシステムづくりをする人もいるだろう。ちょっとしたアイデアひとつで1番の生き方に近くところにいるのかもしれない。

 

自分の特別な能力は活かせないが人の感謝がダイレクトに伝わってくる仕事

では3番の仕事はどうだろうか。オーロラガイドは自分の個性を活かしづらい仕事だが、ダイレクトに人からの感謝を感じれるのできっと3番に属するはずだ。オーロラは自然現象で人によるコントロールは不可能だからだ。もちろん、オーロラガイドというのはオーロラが出なかったときが本領を発揮しなければならない仕事なのだが、オーロラを見に来た客に最高の満足度を与えられるのは、やはりオーロラが出たときだけなのだ。3番の人は人からの感謝をダイレクトにもらえている人なので、1番へ移行しようとする意味もないのかもしれない。人からの感謝をたくさん得られて幸せだからだ。自分で時間をつくり、自らの能力を上げていく努力が出来る人ならばとてもいい環境と言えるだろう。その環境で、自分にしかできない能力が何かを考えて、その能力を磨いていくことが出来れば1番の仕事に近づくことができる。誰でもできることを、自分にしかできないように工夫していくことが大切だ。自分は意思が弱いなと思うのであれば、環境を変えることも手段になるはずだ。

 

自分の特別な能力も活かせないし人の感謝も感じにくい仕事

4番に分類した仕事は自分の個性も活かせず人からの感謝も感じられない仕事だ。自分のやっている仕事に悩んでいる人は4番に属している可能性が高い。これは例えば倉庫整理などが該当するだろう。ホリエモンが言っていたことだが、そんな仕事は「誰もやらなきゃいい」のだ。そうすれば「自然に賃金が上がる」から。意味を感じにくく自分の特性も活かせない倉庫整理だが「金を稼げる」という価値がつくことになる。金も稼げない倉庫整理ならいますぐにやめるべきだ。むしろ4番の状況をラッキーだと考えて欲しい。考え方によれば、先にはいくらでも道が開けていると感じることができる。お金の問題があってそうはいかない、という人がきっといるかもしれないが、そういう人は例えば「家族を守ることが自分の生き方よりも大切だ」というような価値観を持っているのだから、まずはそれを優先させてやっていけばいい。その環境の中で2番か3番の仕事に近づけるよう工夫をしていくしかない。

 

まとめ

自分がどのような状況に置かれているのかを知るだけでも、どう考え、どう動くかが見えてくる。状況に応じて環境を変えることを選択することもあるだろうし、仕事環境を変えない決断をしたならば、その環境の中で人の感謝を感じてモチベーションを維持する工夫を自分でしたり、自分だけのスキルを身に着けて仕事に活かしていくという積極的な態度が必要になってくる。

 

遊ぶための格闘ゲームであっても、プロゲーマーがその技を極めれば価値に変わるのだから、どんな仕事にも活路は見出せる可能性はある。格闘ゲームのキャラクターの特性を研究し、パンチの出し方やキックの当て方を練習するようなことも、極めることでその技に熱狂する人が出てきて、価値に変わっていけるのだから。

 

将棋を指す、格闘ゲームをする、サッカーボールを蹴る、その行為自体に意味などない。行為それ自体に意味を見出そうとするから人は混乱する。行為それ自体にフォーカスを当てるのではなく、そのスキルを必要とする「人」をイメージして、自分の能力を磨いていけば、その仕事は大きな価値を生み出していけるはずだ。

 

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