時間がくねくねしてなくてよかった

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飽きることは才能の一つ

飽きることに関してはネガティブなイメージが大きい。しかし自分に飽きるというのは、生物として変化を求めているからだ。進化していく人間の優秀さの指標ともいえる。人間は飽きるからこそ新しいことにも取り組める。飽きることは才能の一つでもあるのだ。

 

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1.飽きることを肯定しうまく利用する

「飽きる」という感覚と、うまく付き合っていく必要がある。人間の才能の一つであるとすれば、まずはその「飽きる」という感覚を良いもの、自分にプラスになるものという認識をして、歓迎する態度が重要になってくる。そのように考え方を変えるだけで、見えてくる世界が変わってくる。

 

飽きたら、他へ移る、という方法もあるが、他にも方法はある。飽きたと思った同じ環境で、飽きない工夫をするということである。プロゲーマーの梅原大吾は慶応大学での講演で「自分を飽きさせない工夫が大事」と言っていたが、完全に飽きてしまうと、継続して練習に取り組むことが出来なくなり、結果として勝率が下がってしまうからだ。やみくもに取り組んで飽きてしまうより、飽きない工夫をすることが大切だ。

 

飽きるのは才能だが、飽きることで継続できなくなってしまう。飽きるという人間の特性を熟知し、それを利用するという視点から考えると、飽きる前に飽きさせない工夫をすることで、飽きるということが自分にとってプラスに働く。梅原大吾は講演で、ゲームに熱中していた子供が「飽きた」といった時に、子供に尋ねると「ゲームに飽きた」と返事が返ってきたと言っていたが、梅原大吾に言わせるとそれは「ゲームではなく成長できない自分に飽きた」ということになるのだという。成長が感じられれば人間は飽きることはないのだという。つまり、飽きてしまうのは成長できていない証とも言えるのだ。逆に考えると、その飽きるという人間の特徴の「おかげ」で成長を維持できるのが人間といえる。人が飽きた時は自分が変われていないとき、という認識ができれば、飽きることをプラスに転じることができる。

 

2.環境を変えることは有効か

自分が成長できない環境に身を置き続けると人間は飽きる。環境など関係なしに成長を続けることができるのかと言えば、答えは必ずしもイエスではないだろう。自分を常に正しい方向へコントロールするのは簡単ではないし、周りの環境が自分に及ぼす影響は計り知れない。その影響は大きいし、またマイナスにもプラスにもなる。周りは関係なく自分は常に同じパフォーマンス、同じ努力を続けることが出来ると言える人は、きっとすでに良い環境にいる可能性が高く、だからそのような理屈になれている。自分のパフォーマンスが妨げられる、自分のモチベーションが維持できないような環境にいて「自分は駄目だな」と思っている人はきっとたくさんいる。そんな人は、良い環境をこれまでに経験していれば過去と比較して「今いる環境は自分にとって自分を活かせる環境でないな」と冷静に判断できるかもしれない。しかし、過去に経験がないと、自分を責めることばかりしてしまい「環境のせいにしないで自分で頑張らないとな」と自分を追い込み、でもうまくいかずに苦しんでいたりする。

 

環境を変えなければ、他の環境と比較することは少なくともできない。環境を変えて、以前より自分のパフォーマンスが落ちる環境だなと自覚しても、一見いいことはないように思える。しかし、そもそも変えなければ分からないことだから、なんだかうまくいっていないなと思う人は「逃げ出す」という意識ではなく、ただポンと変えてみるのも効果的だろう。「こういうメリットがあるから変えるのだ」と初めから明確に見えるものではないし、やはりその環境に自分の身を投じて、初めて気が付くこともあるからだ。

 

3.変えたいという意識がある時点で変われる

日本人にとっての価値観は、親の影響がとても大きい。価値観のおおまかな方向性といったものはきっと青年期を迎えるまでにおおよそ決まってしまう。しかし、子供の頃は自分で選択するものなどほとんどない。ポンと学校に入ればすでにそこには教師がいるし、友達も自然と友達になる。親も兄弟も当然選べるものではない。そんな与えられた環境の中で、価値観はおおよそ形成されていく。だから結局、生まれ育った環境でその人の人生は決まる。しかし「それではなんだか運命は決まっているようじゃないか」と感じてしまうかもしれないが、きっとそんなこともない。少なくとも「大人になってからでも自分の価値観を自分で形成していきたい」という価値観を持っている人は、少しずつでも変えていくことが出来る。変えられない人はそもそも変えたいという価値観を持っていない。無理やり環境が変わるような状況になれば価値観の変化もあるかもしれないが、自分から変えたいという気持ちになっていないからだ。変えたい人だけが「変えられないかもしれない」と不安になるものだし、不安になれていれば変えられる要素は少なくともあると言える。