過去にアフリカを旅した経験から、中央・西アフリカ12ヶ国に関する旅人向けの情報を載せる。物価やビザ情報がメーンとなっている。
以下のような情報となる
- 物価
- ビザ取得情報
- ホテル
- ネットカフェ
- ATM
- 食事
- 移動手段
- 観光
対象国は以下の12ヶ国
- コンゴ共和国
- カメルーン
- 中央アフリカ共和国
- ベナン
- トーゴ
- ガーナ
- リベリア
- シエラレオネ
- ギニア
- セネガル
- モーリタニア
- 西サハラ
ただ、私が旅をしていた2012年11月当時の情報から最新情報に更新しているわけではないので、参考程度に眺めてもらいたい。アフリカは治安など情勢が目まぐるしく変わるが、インフラ的な面ではそこまで大きな変化はないだろうから、古い情報だが参考になる点はいくつかあるとは思う。誰かの一人の役にでも立てば幸いだ。
メモ程度の情報で、食事も屋台でただみたいな値段からレストランで取ったりと結構あてにならない。ただ、アフリカで病気にならない程度に適度に栄養を取り無理のないようにおいしいものを食べ、冷房を浴びるためやWifiを使用する為にレストランに入るといった一般的な旅人がとる常識の範囲内の行動パターンなので、だいたいそのくらいに落ち着くとは思う。物価の表示は間際らしいのですべて当時のレート(2012年)で円に換算して載せている。
乗り物も値切ったり、または騙されていたりなんてことがあるので正確ではないが、これもやはりこういう結果になるのがアフリカであって、だから参考になるはずだ。
ビザ情報を併せて載せているが、全ての国に共通することとして、基本的にビザ取得には写真が2枚とパスポートのコピーが必要だ(なので各国のビザ取得に必要なものの説明では省く)。
日本大使館のレターを要求されることもあるので取得できるなら持って行った方が無難。アフリカでのビザ取得でのコツは喧嘩しないことだ。おおむね嫌な態度で接してくる場合が多いが、冷静さを保ち控えめな態度をキープすべき。大使館職員の気分次第で出ないことも十分ありえるからだ。ルールはあってないようなものなので、逆に取れないと言われても賄賂を渡して取得できたりもする。それがアフリカなので、きっと楽しむくらいの余裕が必要だ。
コンゴ共和国
物価
(中央アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 960 |
タクシー10分 | 300 |
宿 | 800-1300 |
カメルーンビザ | 10160 |
中央アフリカ共和国ビザ | 7500 |
インターネット1時間 | 100 |
コピー1枚 | 17 |
渡し舟2分 | 500 |
バイクタクシー20分 | 420 |
ボート1時間 | 830 |
バス(ブラザビルからウェッソ)19時間 | 1330 |
ビタミン剤 | 680 |
20キロの米と2リットルのコンデンスミルク | 1250 |
ビザ情報
- 場所:コンゴ共和国のマヤマヤ国際空港でアライバルビザが取得可能
- 期間:シングル30日
- 価格:50米ドル
- 対応:即時発行。賄賂要求なし
- 必要なもの:ホテル予約確認表(Leon Hotelが対応してくれる→contact@leon-hotel-brazzaville.com)
Brazzavilleのホテル
Cathedrale Scre Coeurの教会内にある宿泊施設
10000セーファーフランだったが8000に値切れた。部屋は綺麗に掃除されていて電気も24時間使えた。ファンや蚊帳もありベッドは広く寝心地のいいものだった。大きな机と椅子もあるので使い勝手も良かった。シャワーもきちんと浴びれると思う(私の場合は爆発事故のせいで止まっていた。もし止まってても雨水で浴びれる。レストランも併設されていた(しかし高そうだったのでそこで食べたことはない)。近所に路上の食堂があるので食事はそこで取れた。
ホテル近くには教会で結婚式に参加する人たちがいた
衣装がとても派手だ
Brazzavilleのネットカフェ
La Roseという中華料理屋の近くにあるCyber-Gniというネットカフェ
Brazzavilleで唯一まともだと思われる。スピードもそれほど悪くはない。印刷一枚50円、カラーだと160円だった。私はロンプラを3ポンドでダウンロードして印刷代にそれ以上払うはめになってしまった。
BrazzavilleのATM
Cyber-Gniの近くにCredit du Congoという銀行あり
Masterカードも使えます。アフリカではVISAしか使えないところばかりなのでVISAをもって行くべき。現金ならユーロが便利(セーファーフランとレートが固定されていた。1ユーロ=656セーファーフランだった)
商店はコンクリートに手書きでペインティングされたものが多い
Brazzavilleの飯
ガーリーという甘いお粥と揚げパンを一緒に食べる。路上で100セーファーフランで買える。あとはフランスパンのサンドイッチなど売っている。ひき肉と卵を挟んで700セーファーフラン。レストランは基本的に高い。最低3000セーファーフランは必要。
Credit du Congoの近くに比較的安い大衆食堂があり。名前はLa Plaine(です、たぶん。ロンプラの地図に載ってるLa Plaineのすぐ近く。看板も何も出てないところでわかりづらい)。キャッサバでんぷんでつくったマニョックという餅みたいなやつと魚のグリル(たしか3500セーファーフランくらい)を一緒に食べたりしていた。
キンシャサからやってくるコンゴビールは2000セーファーフラン。基本的にはガーリー、ゆで卵、バナナ、サンドイッチを食べて生き延びていた。水は1.5Lで100円くらいするので高い。夜出歩いても大丈夫そうな雰囲気だったのでバーなどに行き酒を飲んだりもしていた。
焼き肉も食べれる
ビールも飲める
Brazzavilleの移動
主にタクシーを使っていた。料金は30分250円くらいだった。ミニバスみたいなのも見かけましたが私は使っていない。フランス語ができる人は挑戦してみるのもいいかもしれない。その情報はロンプラにも一切記述されていなかった。しかしタクシーは余るほど走っていた。
Brazzavilleの観光
薄気味悪い町並みを歩き回り見るだけで楽しい。コンゴ川を挟んでコンゴ民主共和国の首都キンシャサも見える。町での写真撮影にはくれぐれも注意が必要。
町の様子
Brazzavilleから北の町Ouessoまでの移動
BrazzavilleのOcean du Nord(オセヨジョノー)というバス会社がOuessoまでのバスを唯一出している模様。25000セーファーフランだった。毎日は走っていない。事前にチケットを購入した方がいい。ちなみに私は金曜に乗車できた。
Burazzavilleからタクシーで30分かかり、料金は1500セーファーフラン程度で行けた。出発時刻は16時からだったが、結局出発したのは19時で、Ouessoに着いたのが翌日の昼12時だった。17時間。距離が800キロなので早い方だと思われる。
道はジャングルの中を走ったが、かなり面白い。水も食料も買えないので持っていくのがいい。雨季なら道も悪くもっと悪くなり、時間がかかると思われる。もしくは運行していないかもしれない。確認が必要。
Brazzavilleから中央アフリカ共和国
雨季ならばBrazzavilleの港から中央アフリカ共和国の首都のBanguiまでいける模様。Congo River, Oubamgui Riverと渡っていくルート。
Ouessoのホテル
Auberge Le Kassou
ロンプラにも情報あり。小さな町なので名前を見せればタクシードライバーは知っている。5000セーファーフランだったが4500に値切れた。部屋、シャワー、トイレ共に最低ランク。部屋には裸電球、ベッド、蚊帳があるくらい。あと荷物を置ける小さな机もあり。コンセントやファンはない。そもそもほとんどの時間停電していた。シャワーとトイレは一緒で入るのためらうくらい汚い。ドラム缶に水が溜まってるのでバケツでシャワーを浴びる。宿の兄ちゃんはかなりいいやつだった。
Nianina Auberge
これもロンプラに情報あり。10000セーファーフランといわれ値切ってみたが無理だった。この宿は初め間違えて来てしまっただけで泊まっていない。部屋は清潔、テレビにシャワーつき。扇風機もあり。でも停電して発電機作動させるかは不明。おそらくあり。しかし先のホテルの倍の値段の割にはといった感じ。汚いのはどうしても無理だという人はこちらに泊まるのがいいだろう。目の前にはサル肉を食わしてくれるレストランがある。
OuessoからSokamba(カメルーンの国境の町)
Ouessoからは2通りの行き方がある。
- Mabokoというウェッソからタクシー(1500セーファーフラン)で20分の港に行き出国スタンプをもらいピローグ(1000セーファーフラン)でSangha Riverを2分で対岸まで渡りカメルーン入りし、バイクタクシー(3000セーファーフラン)にて20分で国境の町Sokambaまで行くルート。Sokombaにイミグレがある。一番簡単な方法だと思われる。
- Pokola PreceというOuessoの中心から程近い港(歩いていける)からモーターつきボート(5000セーファーフラン)で川を下って直接Sokambaまでいくルート。1時間ほどで着く。本数が少ない(というか人数が集まらないと30000セーファーフランともいわれた)ので1日待つ覚悟で。しかしこのジャングルクルーズは本当にお勧め。
ジャングルの中を川下りで国境を越える
カメルーンに到着
Ouessoから中央アフリカ共和国
雨季の場合、Ouessoから中央アフリカ共和国まで船でいける。
OuessoのPokola Preceの港からPokolaという町までのボートが出ている。このPokolaにはピグミー族(小人族)がたくさんいるとの事。Pokola行きのボートは頻発していた。PokolaからBomassaという町まで陸路でいき、そのBomassaから船でカメルーンのLidiomboに上陸することが出来るよう。
しかしBomassaからLidiomboまでの船の標準料金は2〜3万円するみたいだ。待てば1万円くらいの船も見つかるとのこと。なので1日待つ覚悟が必要。BomassaからLidiomboまでは24時間かかるよう(夜はどうするのだろう。誰か行って教えて欲しい)。
また、OuessoからBanguiまでも雨季なら直接川で航行可能とのこと。日数は1週間で値段もそこまでしないとのこと。Bomassa〜Lidiombo間が高い理由はParc National Nouabale Ndokiという中央アフリカ共和国で唯一といっていい観光地である国立公園があるため。
カメルーン
物価
(中央アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 490 |
宿 | 580-830 |
バイクタクシー30分 | 250 |
ローリーの荷台4時間 | 1000 |
バス7時間 | 830 |
ビザ情報
- 場所:コンゴ共和国のブラザビルで取得可能
- 期間:ダブル30日
- 価格:61000セーファー(約9760円)
- 対応:午前申請ならば午後に発行。賄賂要求あり。ダブルにしてくれと言ったらしてくれた。通常は観光では発行してないが中央アフリカ共和国へ一度抜けないと入れないと説明したところ了解してくれた。
Sokamboの町
コンゴ共和国との国境の町。宿泊施設はなし。レストランはあり。ピグミーがいた。公共交通手段はないのでローリーと交渉して次の町まで乗せていってもらうしか方法はない。向こうも承知しているのであとは金額の交渉。次の町Moloundouまで7000セーファー(約1120円)くらいが相場。できれば荷台は避けた方がいい。道が本当に悪く土埃も凄いので悲惨なことになる。物好きな人は体験してみるのも良し。
Yokadoumaまではロンプラの地図だとMoloundouを通過するようになっているが、最短でYokadoumaまで抜けるルートもあると地元の人が言っていた。Yokadoumaまで行く車があればそれもいいかもしれないが、きっと道はもっと悪いだろう。
Moloundouの町
ホテル
AUBERGE AIDETOI BP MOLONDOU
2500セーファー(約400円)で部屋はシンプルで汚くはない。蚊帳はあったがファンは付いてなかったように記憶している。電源コンセントはないが裸電球はついている。トイレ兼シャワールームは薄暗くあまり清潔とは言えなかった。バケツに雨水を汲んで使用する。洗濯もその水でその辺で可能。すぐ近くにバーがあり充電可能。
AUBERGE AIDETOI BP MOLONDOU
ネットカフェとATM
たぶんない
飯
ガーリー(お粥)が屋台で食える。あと牛の焼肉なんかも屋台で出てる。コーラがほしいときはコカと言う。こっちではそう呼ぶ。Fighterという100セーファー(約16円)のパック入りウイスキーは宿近くのバーで買える。
焼き肉は安くてうまい
移動
バイクの兄ちゃんを捕まえる。いたるところにバイクタクシーがいる。ちょいのり100セーファーくらいからありで便利。
観光
田舎町ののどかな風景
MoloundouからYokadoumaまでの移動
ミニバスが朝6時頃から出ている。4000セーファー(約640円)だった。28人乗りでぎゅうぎゅうだがローリーの荷台よりよほどまし。バックパックはバスの天井にぎゅうぎゅうに縛り付けられるので割れ物あれば注意。カメルーンの田舎町の風景を堪能しながらの楽しいドライブができる。7時間ほどでYokadouma到着。
利用したミニバス
Yokadoumaの町
ホテル
Hotel Libeta
3500セーファー(約560円)。部屋はあまり綺麗ではない。シャワーとトイレが部屋についていてしかも扉もないのでゴキブリもでた。シャワートイレ付いてない部屋があればそちらの方がいいかもしれない。セキュリティはいい方。アフリカでは窓はきちんと格子がついているので、ドアをノックされてもとにかく無視してれば大丈夫だろう。
ネットカフェとATM
たぶんない
飯
屋台多数。ゆで卵や焼肉を食べて体力つけるべき。野菜なんかは取るのが難しいのでビタミン剤を持参したほうがいい。
移動
やはりバイク
観光
ピグミーを見たので近くに村があるかと思う
YokadoumaからKenzou(中央アフリカ共和国との国境の町)
ミニバスがYokadoumaから出ている。たしか5000セーファーくらい。バスはYolaという町までしか行かないのでそこからバイクで7キロを1500セーファーくらい払いKenzouまで向かうことになる。Yolaまで4時間くらいでバイクは1時間くらい。バイクが途中ピローグで川を渡るので追加で500セーファーをピローグに払う必要がある。
バイクをピローグに積んで川を渡る
KenzouからCamboula(中央アフリカ共和国国境の町)
16キロも離れている。KenouでCamboulaまで行ってくれるバイクを探さなくてはならない。車はない。相場は3000セーファー(約480円)くらい。道は結構険しい。ここもやはり人気のないところを走るので人選びは慎重に。きちんとカメルーンのイミグレに寄るようにドライバーに伝える。さもないと16キロ戻ることになる。
Kenzouの町
中央アフリカ共和国
物価
(中央アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 490 |
サンダル | 80 |
中央アフリカ共和国ロゴ入りポロシャツ | 500 |
宿 | 420-830 |
ローリーの助手席 300キロのはずが1時間で降ろされた。つまり騙された) | 1670 |
ローリー荷台(たったの100キロの道だが4時間もかかる) | 420 |
タクシー5分 | 170 |
朝食夕食つき宿4泊 | 3830 |
石鹸、電池、鞄 | 100 |
ヒッチハイクしたトラック200キロ | 2330 |
ベナンまでの航空券 | 53160 |
カメルーンまでの航空券(チャド航空が飛ばなかったので空港で仕方なくファーストクラスを購入) | 50000 |
ビザ情報
- 場所:コンゴのブラザビルにて取得
- 期間:シングル30日
- 価格:45000セーファー(約7200円)
- 対応: 午前申請ならば午後に発行。 賄賂要求なし
Camoulaの町
カメルーンとの国境の町。ここに中央アフリカ共和国のイミグレがある。国境からだいぶ離れているので注意。きちんとスタンプをもらう。ここは宿泊せずにすぐに抜けたが、雰囲気もなかなかよさそうなので滞在してみるのもいいかもしれない。公共の交通機関は皆無なので誰かの車に乗せてもらうほか方法はない。「バイクで行くか?」と言ってくるやつがいますが道は悪くバイクだと大変だろう。また高い。カメルーンの国境の町Kenzouで国境越えする車をさがすのも一つの手かもしれない。
Berberatiの町
ホテル
Motel Sopo
ロンプラに記載あり。値段は5000セーファー(約800円)だったが、値切れなかった。清潔で、トイレが部屋にありバケツシャワーも部屋で浴びれる。洗濯も余裕で出来る。蚊帳あり。机、椅子あり。部屋の外にテラスのような小スペースがありそこにもテーブルと椅子がありこのスペースがなんとも快適だった。快適すぎて三日間も沈没。5000セーファーの価値あり。しかし電気の調子は悪く、「夜の7時から朝まで付く」との話だったが結局ほとんど付かなかった。宿のおやじがランタンに火を灯してくれるので問題はない。そのランタンの灯りがまたいい。
Motel Sopo
テラス付き
ネットカフェ
3日間いたが見なかった。
ATM
銀行はあったが対応しているかは分からない。Visaなら使えるかも。でも分からない。現金が無難。Masterはアフリカでは本当に使えない。
飯
食堂はみかけなかった。路上に屋台が出ている。牛肉や鶏肉を焼いたもの、ゆで卵、ガーリー、バナナ、フランスパンなど。バーでビールが飲める。ぬるい。ワインはその辺で売っている。
食べ物は味気ないが焼き肉なども食べれる
食べ物の味気なさに比べて酒は豊富。昼間からよく飲む。
移動
バイクの兄ちゃんを捕まえる。やはり人選びは慎重に。
ガソリンスタンドはなくペットボトルでガソリンが売られている
観光
マーケットが何カ所かある。町の中心にある教会も綺麗。あとは中央アフリカ共和国式映画館に足を運ぶ。そこでは充電もさせてもらえる。
町の様子
マーケット
ダイヤモンドを扱う会社が目立つ
町の教会
町の映画館
民家にお邪魔させてもらうと大統領の写真を発見
怪しげなポスターも
次の町までの移動
朝5時から町の中央からローリーが何台か出発している。そこで交渉という形になる。それ以外方法はない。早起きすれば助手席をゲットできる。荷台は値段も安いが、やはり人選びは慎重に。私は騙されて途中で降ろされた。当然お金も返ってこない。
英語話者率
1%
Mambereの町
ロンプラの地図にも載っていないような小さな町。Berberatiからはわずか100キロ。私はここで降ろされてしまい、一日過ごす羽目になった。
道中みかけた人たち
ホテル
Silence de la foret
2500セーファー(約400円)。部屋はシンプルで裸電球すらなくベッドが置いてあるだけ。灯りの供給はないが頼めばろうそくくらい出るだろう。蚊帳もないので必ず持参。シャワーは外でバケツ。囲いしてあるが丸見え。天井は筒抜けになっていて近所の声が丸聞こえ。夜は貴重な電気を使い併設されているディスコから爆音で音楽が流れてきた。それにあわせて発電機の音もうるさいのでろくに寝られなかった。あと、ねずみが部屋中かけまわり落ち着かない。しかし他にめぼしいホテルもなかったのでここに泊まるしかない。
Silence de la foret
ホテルに隣接するバー
ネットカフェとATM
まずない
飯
飢えるんじゃないかと思うくらいない。バナナとか揚げパンとかガーリー(お粥)とかくらい。夕方から焼肉を焼いてる兄ちゃんが一人いた。ビール、ワインはある。
なんとか焼き肉にありついた
移動
必要ない。歩いて回れるほど狭い町。
観光
近くにピグミーの住む村がある。英語のできる兄ちゃんを探して案内してもらう。ピグミーの狩りなども頼めば見に行けるだろう。ピグミーの人達は素朴でいい人達だった。小人族と記念写真を撮りに訪ねるべき。
町のいたるところで落書きを見つけた
こちらは有名なアーティストだという
次の町までの移動
車は非常に少ない。なかなか見つからない。根気よく待ち、来た車に交渉していくほかない。小さな町なので乗客がすでにいっぱいというケースが多い。つまり、こんな町には止まらない方がいい。ただどローカルを味わいたい人にはいいとこ。
英語話者率
1%
Bambioの町
ここも途中で降りるはめになり少し滞在した町、いや村、いや集落。Mambereからわずか数キロ。まさに地図にない町だ。世界中のどの地図にも記載されてなんかいないだろう。
辺りには何もない
ホテル
ない
ネットカフェとATM
ないです
飯
おばちゃんがなんか作ってた。水も売ってない。ビールとお茶は飲める。
移動
歩く
観光
ローカルな人々。相当私が珍しかったのか町中の人間に囲まれた。
次の町までの移動
非常に見つけるのは厳しい。
英語話者率
エデンという男だけ。
MBAIKIの町(首都バンギから100キロの町)
ホテル
Hotel Paradis Palace de la Lobaye
3500セーファー(約560円)。小屋みたいな部屋だが清潔。バケツシャワーは親切なねえちゃんが持ってきてくれた。英語を喋れる自称弁護士を目指してるアントニオという男がいる(弁護士になってなければたぶん)。彼に話を聞くといい。
ネットカフェ
あると思う
ATM
Visaなら使えるかと思う。でも見てない。
飯
やはり屋台
移動
やはり頼れるのはバイクの兄ちゃん。でも歩いてもそこそこいける。
観光
ここでもピグミー族。バイクで交渉すれば連れて行ってくれる。金額は13000セーファーで往復4時間かかるとか。なんでも途中検問があり金を払わないといけないから高いという説明だった。ピグミーの森散策ツアーも出来るとアントニオは言ってた。あとは雰囲気もよく人も穏やかなので町を散歩するといい。子供達が寄ってきて写真を撮ってと言ってくるくらい。
Banguiまでの移動
ここからでも公共交通機関はない。ローリーを当たるか運よく乗用車を捕まえられるか。ここから道路は舗装されていた。ローリーはBanguiに行くだけあり人の乗り降りや荷物の積み下ろしが頻繁にあるので100キロの道のりなのに4時間ほどかかる。このローリーは私の中でこの国のベストな思い出なのでお勧め。料金は5000セーファー(約800円)。
ローリーの荷台の様子
英語話者率
1%
Banguiの町
ホテル
MAISON SAINT CHARLES
ミッション系の宿。5000セーファー(約800円)だが4000にまで値切った(食事をとるというのを条件に)。部屋は広く綺麗。テーブル、椅子、蚊帳、ついたてまであった。ホットシャワーも部屋についている。バケツから一気にホットシャワーは感動もの。そしてなんとWifiも使えた。しかし電気は計画停電でこのエリアは夕方6時から朝2時まで電気がつかえなかった。そしてそれ以外の時間も使えないことも多かった。部屋には扇風機もあった。レストランも併設してて、きちんとした飯をつくってくれる。中央アフリカ共和国料理とフレンチがまざったような、ナイフとフォークでいただけた。朝食1000セーファー、昼3500、夜2500、冷蔵庫もありビールやジュースも冷やせる。夜は電気ないので寝苦しい。セキュリティはいい。暴動があったときもここは無事だったみたいだ。
バンギのホテル
ネットカフェ
Grand Cafeというカフェが町の中心にあるがそこでWifiが使える。ここは冷房もガンガン効いていてピザやケーキなんかも食べられる。ネットカフェも町にはある。
ATM
市内にあり。でもMasterは使えない。
飯
中華からイタリアン、インド料理まで、なんでも食える。
移動
タクシー。そこそこする。10分で1000セーファーくらい。
観光
キロメータサンクというマーケットは刺激的。チェドなどから流れてきた人たちが住み着いているという事だった。危険な雰囲気がプンプンしていたのでマーケットの奥には行かないほうがい。
マーケット
町の様子
英語話者率
5%〜10%
ベナン
物価
(西アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 440 |
アライバルビザ | 1670 |
宿 | 1000 |
バイクタクシー15分 | 100 |
ビザ情報
- 場所:アライバル不可とロンプラにはあるが私は空港でトランジットビザが取れた。 しかしペナルティと賄賂を要求された。
- 期間:48時間のトランジットビザ
- 価格:10000セーファー(約1600円)
- 対応:即時発行
Cotonouの町
ホテル
Maison de Passage des Allemands
ミッション系の宿。7000セーファー(約1120円)だが6000セーファー(約960円)に値切れた。フランス人の経営者で対応も丁寧。部屋は広くダブルベッド、ファンも付いていて、電気もしっかりつき、蚊帳もあり、水シャワーもでると完璧。
町の様子
ネットカフェ
探せばすぐに見つかるだろう。
ATM
多数あり。しかしMasterは一切使えなかった。Visaだけ。
飯
屋台が出ている。ご飯とパスタにミートソースをかけたぶっかけ飯がお勧めで200セーファー(約32円)。コムというキャッサバで出来た丸い餅のようなものも旨く1個50セーファー(約8円)で食える。バオバブドリンク3は00セーファー(約48円)。ワインがいたるところで売られている。スーパーマーケットもある。
移動
バイクだらけなのでどこでも足は見つかる。ちょいのり100セーファー(約16円)。
観光
空港の近くに遊園地がある。あとは知らない。
遊園地に描かれていたドラゴンボールの絵
英語話者率
5%
空港
ベナンに着いたとき、ベナンで降りるつもりではなく次のフライトを空港で待つつもりだったが、出ろといわれビザを持ってないと言ったらペナルティで罰金払えと言われた。ベナンからトーゴへのフライト時にも賄賂要求5000セーファー(約800円)あり。中国人のカップルは払っていて「君も払わないと乗れないよ」といわれたがごねて払わずOKだった。警戒が必要。
トーゴ
物価
(西アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 420 |
バイクタクシー15分 | 100 |
宿 | 1170 |
アライバルビザ | 1670 |
トイレ使用料 | 8 |
Lomeの町
ホテル
Hotel Le Galion
南大西洋が見えるビーチからそばの綺麗な建物。シングル7000セーファー(約1120円)、ダブル9000セーファー(約1440)。受付は英語ぺらぺら。部屋は広く、大きな机と椅子、ファンあり。部屋にホットシャワー、トイレもついている。バスタオルや石鹸もあり。蚊帳なし。レストランが併設されていて食事したり酒が飲める。そしてなんと生ビールが小ジョッキ500セーファー(約80円)、中ジョッキ1000セーファー(1000円)で飲める。そしてWifiも使用可能。しかし接続状況は悪い。
南大西洋が一望できる
ネットカフェ
多数あるだろう。
ATM
多数。しかしMasterは一切使えなかった。Visaだけ。ロンプラには使えると書いてあったが、そのBanque Atlantique という銀行もMaster廃止したとのこと(2012.03.24)。アフリカにはVisa持っていくべき。Eco Bankでトラベラーズチェック両替可能。
飯
屋台が出ている。ミートソースパスタが500セーファー(約80円)でいたるところで食える。そしてフフというヤム芋やキャッサバでつくったアフリカの餅もある。国や地域で使う材料が違うが旨い。トーゴからは(ベナンもあったか?)100セーファー(約8円)でパックの水が購入できる。これは本当に便利。水にお金がかからなくなる。
屋台では炭で肉や魚を焼く
キャッサバでつくった餅
移動
バイクだらけなのでどこでも足は見つかる。ちょいのり100セーファー(約16円)。
観光
アシガメマーケット。トーゴ最大のマーケット。なんでも売っていて安い。人が多いのでスリに注意。海も近いので南大西洋も見に行ける。
町の様子
個性的な建物が目立つ
コスパは悪そう
英語話者率
5%
空港
ロストバゲッジした。Baggage counterがある。数日後無事に荷物は戻ってきたが、対応が適当なのでしつこく言う必要あり。
次の町までの移動
ガーナまでバイクで5分。
ガーナ
物価
(ガーナセディ。2012当時は1セディ=約44円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 630 |
トロトロ(相乗りバス)初乗り | 10 |
トランジットビザ | 1520 |
タクシー1時間 | 920 |
宿 | 460-1610 |
ビザ延長(30日) | 16640 |
博物館 | 280 |
ブルキナファソビザ | 3360 |
山登りガイド(往復4時間) | 510 |
ギニアビザ | 7360 |
ケープコースト城 | 510 |
シエラレオネビザ | 3680 |
リベリアビザ | 4000 |
リベリアビザ賄賂 | 920 |
リベリア行き飛行機 | 27600 |
ビザ情報
ガーナのアライバルビザ取得で苦労した話は後日アップする。
ブルキナファソビザ
- 場所:ガーナのアクラにある大使館で取得可能
- 期間:シングル90日
- 価格:73セディー(約3650円)
- 対応:即時発行。賄賂要求なし
アクラの町
トーゴとの国境付近の町の様子
ホテル
HANSONIC HOTEL
少し郊外にあるホテル。ダウンタウンには泊まらない方がいい。泊まったことはないがかなり汚いだろう。この宿はWifiはたいていの時間使えた。ネット速度も速い。PCも置いてありネット使える。シングルの部屋は清潔、ファンあり、蚊帳なし、でも蚊はいなかった。大きな机と椅子、電気も明るい。電気は24時間、シャワーは水、トイレ共同。値段は15セディー(約750円)でコスパはかなり高い。受付の兄ちゃんや掃除の兄ちゃんも本当にいいやつばかりだった。近くにはレストランやバーもあるし屋台なんかも出てるから困らない。トータルで10日間ほどお世話になった。
ホテルの近所の様子
テレビにはガーナでは見たこともない美人が
ネットカフェ
市内に多数。ハンソニックホテルのそばにもある。
ATM
市内に多数。Visaはどの銀行でも使えた。BarcrayとGhana Comercial BankでMaster使用可能。ハンソニックホテルの近くにBarcrayがある。しかし引き落とし2回目からは毎回3セディを取られ、し200セディーという小額ずつしか降ろせないのでGhana Comercial Bankが断然おすすめ。宿の人に聞けば場所を教えてくれる。宿からタクシーで10分。市内にもあるだろう。西に行くにしても東に行くにしてもMasterはつかえなくなるのでここで大量にキャッシュをゲットしておく必要がある。
飯
炒飯、焼きそば、焼肉なんかが屋台で食えるので困らない。フフ(ヤム芋でつくった餅)やバンクー(キャッサバの餅)なんかもレストランで食える。スープと共に頂く。オクラスープもある。
ホテルの近所にあった焼き肉屋。ビール飲みながら毎日食べてた
屋台でジュースも売っている
移動
トロトロをマスターすると便利。タクシーは高い。トロトロとはガーナのミニバス。市民の足。アクラにいくつか大きなステーションがあり、ステーション間を行き来し、また途中で降りたければどこでも降ろしてくれる。ンクルマサークルが中心的なステーションで通称「サークル」と呼ばれている。ハンソニックからダウンタウンへ行くには、まずカネシ行きのトロトロを捕まえてそこで乗り換えるか、サークルにいくトロトロを捕まえるかする。トロトロの助手が手をサークルのように回転させている場合はンクルマ行き。あと「サークルサークル」や「カネシカネシ」と行き先も声に出しているのでそれで分かる。大体20〜70(10円〜35円)ペソワス(補助通貨)で乗れる。1セディー(約50円)は100ペソワス。アクラは世界一なんじゃないかというくらい常に渋滞していた。主なステーションは、サークル、カネシ、37。37からエアポートセカンド行きに乗れば、シエラレオネのハイコミッション(イギリス連邦加盟国同士でいうところの大使館)やアクラモールへ行ける。
観光
アクラモールというアフリカとは思えない大型ショッピングモールが見どころ。エアポートセカンドから5分くらいでつく。アクラモールのスーパーマーケットはもはや先進国並みだった。また国立博物館には奴隷貿易に関する展示品や文献があるので興味深い。Tema Station近くのマーケットは強烈。ガーナの活気を味わえる。
Tema Station近くのマーケット
規模はかなり大きい
ダウンタウンはごみごみしている
英語話者率
90%
空港
ハンソニックから30分。
次の町までの移動
Metro Massというバス会社が安くていい。大型バス。あとはンクルマかカネシに行けば小型バスが沢山出ている。トーゴとのボーダーからは小型バスで10セディーでアクラまで行ける。
ケープコーストの町
アクラのカネシから小型バスで6セディ、2時間半で着く。
奴隷貿易が栄えた港町。現代でも活気がすさまじい
ホテル
Oasis guest house
目の前に海がある。リゾートという感じのホテル。でも安い感じはする。部屋はドミトリーだけ。10セディ。小さなベッドがあるだけだった。いかにもドミという感じの15人ほど入れそうな薄暗いじめっとした部屋。バーのついた広いレストランがあり海を眺めながら酒が飲めるのが売り。
Mighty Hotel
行ってみたが満室だった。25セディー。部屋は綺麗だろう。朝食を食べさせてもらったがそのきちんとした朝食をみれば予想がついた。Wifiはあるが有料。
Sammo Hotel
これはロンプラには記載のない宿。1泊シングル14セディー。人に聞けば場所はすぐにわかるだろう。部屋はシンプルでファンは付いている。屋上がレストランになっている。悪くはないがそこまでお勧めもしない。
ネットカフェ
見なかったがあるだろう。
ATM
有り。Masterも使える。
飯
路上で炒飯とか焼きそばとか安く食べられる。
移動
歩いて回れる小さな町。
観光
ケープコースト城がおすすめ。奴隷貿易に関する博物館も中に入っているし、奴隷が閉じ込められていたという洞窟にも入れる。もうそのまんま残っているという感じで本当に気持ちが悪くなった。あとは城からの眺めは最高。興味深くて2度も訪れた。入場料はたしか10セディとかくらい。またエルミナ城もケープコーストからタクシーで30分くらいでいける。ここもかつて奴隷貿易が栄えた港町で、城もそのまま残っている。街並はまた混沌としていて本当にお勧めだ。あとは巨大な映画館がOasis guest houseの近くにある。サッカーチャンピオンズリーグの真っ最中だったので、そこでサッカーを見たがお勧め。アフリカ人のサッカー熱を感じることができる。その辺のユニホームでも着ている兄ちゃんに聞けばすぐに場所は教えてくれる。
高台から眺めた街並み
ケープコースト城にある洞窟
南大西洋に面するビーチ
ビーチでビールを飲む
英語話者率
90%
クマシの町
ケープコーストからMetro Massで4時間で着く。料金は忘れたがMetro Massはおそらくガーナでは格安のバス会社だろう。
ホテル
Guestline Lodge
ドミトリーが10セディでシングルが14セディ。受付の対応は最悪。しかし時間も遅かったのでそこに決めた。やはり部屋も最悪、狭く息苦しい、縦長の奇妙な部屋だった。水もでない。電気はつかえファンも一応回った。
Presbyterian Guesthouse
金額がロンプラと大きく違っていて30セディ。受付の対応は最悪。
Wesley Guesthouse
シングルで35セディ。テレビ、冷蔵庫、エアコンつき。しかし何回か電気は止まった。
Manpongの町
クマシからトロトロで1時間の小さな町。カカオがガーナで初めて栽培されたという土地。今でもカカオの名産地。
国営のカカオ農園
観光
Jamasa Cocoa Station
カカオの栽培と収穫、乾燥までここで行っている。国が管理しているカカオ農園。
Akosomboの町
アクラの北20キロに位置する大きなダムのある町。ダムが観光地になっている。アクラのTimaステーションの近くのアフラウステーションからバスが出ている。4セディ、2時間で着く。ダムは土日は観光できないようで私はこの町をすぐに出た。
Wliの町
Akosomboからさらに北に100キロ行った町。滝が見れるちょっとした観光地。Hohoeという町までAkosomboから行き、そこからシェアタクシーでWliの町まで行ける。
ホテル
Victory Guest House。ロンプラに記載されていたWaterfall Lodgeを探したが今はもうないと言われたので近くにあったここに泊まる事に。夜遅かったが人がいて35セディーを20にまで値下げしてくれた。サービスはとてもいい。庭で朝食をいただける。
観光
滝を見に行った。ガイド付きで11セディ。山を結構登っていく。疲れるが滝での水浴びは最高。パームワインもガイドに言えば飲ませてくれる。オランウータンのような大きなサルに遭遇。威嚇すると襲ってくるとのことで注意が必要。
リベリア
物価
(リベリアドル。2012当時は1リベリアドル=約1.1円くらい。記録なし)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 570 |
博物館 | 280 |
バイクタクシー1時間 | 620 |
宿(モンロビアは高い) | 770-1930 |
タクシー相乗り1時間 | 380 |
ネット1時間 | 60 |
ビザ情報
- 場所:ガーナにある大使館で取得
- 期間:シングル30日
- 価格:50USドル
- 対応:申請後2営業日必要。賄賂で翌日に発行できた。20セディー(約1000円)払った。自己推薦状必要。自分で書く。以下の書式を参考。
The Counsellor
Liberian Embassy
Acra.
Dear Sir/Madam
My name is 自分の名前. I am Japanese national with passport number パスポート番号. I would like to request for Visa to enable me travel to Liberia as a tourist.
Sincerely,
自分の名前
シエラレオネ
物価
(シエラレオネレオン。2012年当時のレートは記録なし)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 510 |
宿 | 550-1090 |
相乗りタクシー4時間 | 1000 |
バイクタクシー20分 | 250 |
博物館(撮影許可含む | 550 |
ビザ情報
- 場所:ガーナのシエラレオネハイコミッションで取得(イギリス連邦加盟国同士で大使館を置く場合は大使館と呼ばれずハイコミッションと呼ばれる)。場所は37サークルからトロトロでエアポートセカンドという場所まで行き、そこから歩いて数分のところ。エアポートセカンドで誰かに聞けばたどり着ける。ロンプラには情報載ってない。
- 期間:シングル30日
- 値段:80USドル
- 対応:申請から4営業日必要。50USドルの賄賂を払えば短縮可能。24時間か48時間になる。忘れた。ホテルの予約確認表必要。
リベリアとシエラレオネの国境
軍服を来た国境の役人に賄賂を要求された。しかし払わずに通過することはできた。
飯
最貧国の一つといわれているシエラレオネで人々がどんなものを食べているのか食事を紹介する。
焼肉
牛、ヤギ、羊、鶏などを主に、内臓なんかも食べるが本当に美味しい。調理はいたってシンプルで、炭火で焼いて塩や香辛料で味付けするだけ。
やきとうもろこし
日本のと種類が違うんで味気ない。こっちのはきっと日本で家畜の餌になってるような種類のとうもろこし。家畜はゴミを漁る。乗り合いタクシーなどに乗ってるとよくおばさんとか子供達が焼いたものを売りに来るので助かった。長時間の移動とかでは飯にありつけないから便利。
パスタと豆
炭水化物どうしの組み合わせですがいける。これにケチャップとかマヨネーズをかけてどんぶりでカキこむ感じ。
キャッサバ芋、タロ芋
主食。写真の女の子は芋をついている。粘り気が出て餅のようになる。2種類の芋をミックスさせたりもする。国によって違うよう。そのまま茹でて食べたりもする。
フランスパン
これも主食になっている。いたるところで食べられている。長距離の移動のときなどとりあえず買って鞄につっこんでた。朝飯にもいい。
米とスープ
米もよく食べられている。たいがいスープと一緒に食べるよう。米はパサパサだがスープとよく合う。
白ゴマせんべえ
白ゴマのみでつくられたせんべいなんかも路上で売っていた。貴重な栄養源だった。
揚げ魚
魚も食る。骨が多く食いずらかったが栄養のために見つけたら食べていた。
マンゴー
暇さえあればマンゴー食う感じ。携帯いじるくらいの頻度。食べ方は、皮ごとかじり、皮をペッと吐き捨てる。一度に5つとか平気でみんな食べてる。口の周りと手をベトベトにしながら食べる。
ココナツ、パームワイン
ナタで割り、実を食べ、ジュースを飲む。写真はパームワイン。自然の中で発酵させて酒をつくる。出来立てはサイダーのように炭酸が残っていてアルコールも低いが、時間を置くとアルコールのきつい酒に変わっていく。ただみたいな値段で売られている。
バナナ
やはりバナナも食べる。値段は他のに比べて結構した記憶がある
茹でたピーナッツ
路上でよく売られています。日本で食うピーナッツはローストしてあるのがこれを食べるとよく分かりる。本当に火通ってるの?という感じの食感。消化は限りなく悪いでしょうからあまり食べなかった。
ビール
彼らはそんなに飲兵衛ではありません。私はアフリカでは飲兵衛でした。アフリカで飲むビールのうまさは悪魔的。生きててよかったと思うほど。ビール飲むためにアフリカに行く価値あり。ビールがあるからやっていけるくらいだった。
ソーダ
アルコールの入ったソーダです。ご覧のとおり昼間から飲んでいました。のどか乾いたから的な感じで飲んでた。
コーヒー
こんな感じで屋台で飲めます。ネスカフェはもはや世界共通の言葉。コーヒーで伝わらなくてもネスカフェといえば間違いなく伝わる。旅の疲れが一瞬で取れる。カフェインてすごいなって思っていた。
パックの水
安くて安全な水がいたるところで売られていて、人々は大抵この水を飲んでいます。いつもお世話になっていた。
ご覧のとおり、それなりに栄養が取れる。ですがやはり確実に野菜は不足している。
首都フリータウン
シエラレオネの首都フリータウンの街並み
フリータウンはあまり雰囲気のいい町ではなかった。町もなんだか汚いし、人もすれている人が多い印象を受けた。薬かなにかをやっているのか、目の焦点が合っていなくてフラフラしているような若者がたくさんいた。
Kambia(ギニアとの国境の町)
とてものどかな町。人も穏やかで優しい表情の人が多い。バイクタクシーか何かをつかまえて町をぐるりと回ってみると楽しい。
フリータウンからKambiaまでの道のりはこんな感じ
HIVに関する啓発看板も
晴れてると景色はかなり綺麗
ギニア
物価
(ギニアフラン。2012年当時のレートで100000ギニアフラン=約1100円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 420 |
宿 | 440-1330 |
相乗りタクシー1時間 | 610 |
靴修理 | 90 |
国境越えバイクタクシー5時間 | 3110 |
ビザ情報
- 場所:ガーナにある大使館で取得。ロンプラに載ってるのと場所が変わってる。37サークルからトロトロで5分のAccra Girls Senior High Schoolの向かいが正解。
- 期間:シングル30日
- 値段:110USドル
- 対応:申請後2営業日で発行。20USドルくらいの賄賂を払えば即日発行。
シエラレオネとギニアの国境
シエラレオネ側の検問ではウインクしながら「何かくれと」小さな声で賄賂要求があった。適当にあしらえる。ギニア側では、露骨に「金をくれ」と賄賂要求があったが、「現金持ってない」と適当にかわすことができた。しかししつこい。隅から隅まで鞄を物色された。全て開けてチェックされた。そしてハンモックに揺られている軍服を着た役人がパスポートを何度もいじくりまわした。絵的にかなりレアなのでかなりおすすめ。ボーダーからすぐのところに乗り合いタクシーのスタンドがある。ポンコツ車に人を詰め込むだけ詰め込んでから出発となる。2時間くらいで首都のコナクリに到着する。
首都コナクリ
かなり汚い町。雰囲気も悪い。気が短い、血の気が多い、すぐにこぜりあいをはじめるやつが多かった。道路では道を譲る譲らないでドライバー同士が罵倒しあうのを頻繁に見かけた。バイクタクシーが走っているので便利。外ではそこらじゅうで子供たちが路上でサッカーをしていた。
ホテル
Maison du accuel
ミッション系の宿。200000、120000、100000、75000ギニアフランが部屋代だった。100000ギニアフランで約1100円だ。100000の部屋に泊まった。宿の兄ちゃんが英語を喋れた。部屋はめちゃめちゃ綺麗。信じられないことにエアコン、冷蔵庫つきだった。トイレシャワールームも日本のビジネスホテルのように綺麗。しかしほとんど停電していてエアコンも冷蔵庫も使えず。「エレクトリシティー、プロブレム」とだけいい、ろうそくの配給もない。アフリカでは綺麗な宿があってもみかけだけなところが本当に多い。
酒
ビールを探しにいくが、ギニアに入ると急にムスリムが多くなったせいかなかなかビールを売っているところがない。薄暗い怪しいバーに案内してもらいそこで飲むことにした。ギニアのチンピラみたいなのと軍服を来た男たちが酒を飲んでいた。
Dalabaの町
ギニアから300キロほど北東に行った山奥の町。ロンプラの地図に絶景マークが沢山ついていたので行くことにした。ギニアの乗り合いタクシーが出ているメディナという場所(宿の人間に聞けば教えてくれる)まで行き、2時間程待ち乗り合いタクシーの乗客がいっぱいになった所で出発となった。道は舗装されていたが、しかし山道で進むスピードは遅かった。日本の山道のようなところをひたすら進んでいった。途中の町から車も運転手も変わった。出発が昼12時過ぎで到着が夜の10時だった。新しい運転手は気が利かなくて宿まで行ってくれなかった。夜の10時で辺りは真っ暗だったが止まった路上の近くに屋台が出ていてそこで飯をくった。どこかに宿はないか聞いたら連れて行ってくれるという女性がいたのでお願いすることにした。
山奥ののどかな町だ
ホテル
Auberge Seidy
夜の11時頃に突然訪ねたにも関わらず起きてくれて嫌な顔ひとつせず対応してくれた。一泊65000ギニアフランだった。約760円。ビールあるか聞いたらあるというので頂いた。キンキンに冷えたビールが出てきた。
オーナーはとてももいい人だったが、怒ってないのにいつも怒っているような表情をしていた。奥さんはいつも黙々とうまい料理を作ってくれた。部屋は綺麗で広い。電気は決まってる時間しか使えない。日によって違う、夜中12時から朝までとか、夕方6時から夜中までとか。泊まった初日は夜中12時に電気が来ると言って、どうせこないだろうと思っていたらきちんと電気がきて充電することができた。そしてなんと水道も使える。洗濯もできる。奥さんに「チキンとたまねぎとトマトのスープを作ってくれ」などとわがままを言ったらリクエスト通りに、いやそれ以上の料理がでてきた。
また宿のすぐ近くには岩だらけの場所があり景色が最高だった。奇岩と自然の景色の融和。宿の犬がすごくなついてきた。岩の上から眺めた景色は格別だった。ギニアの高校生達も朝から学校前にが岩にのぼり話をしていた。
宿の近くからの眺め
観光
のどかな町なのでブラブラしているだけでも楽しい。自然豊かでとてもきれいな町だった。
町の中心地にあるマーケットは活気があっていい。
Mali-Yamberemの町(セネガルとの国境の町)
午後2時半にLabeを出発した車は夜の10時頃Mali-Yamberemに到着した。車で一緒だった兄ちゃんがバイクで一緒にホテルまで連れて行ってくれた。
ホテル
Dame Mali Hotel
40000ギニアフラン(約450円)と激安。電気はまったくないようだが部屋は清潔。飯をお願いしたらチキンを買ってきてくれた。しかしビールはぬるかった。トイレは離れにある。シャワーも。このホテルでセネガルまでの車の情報を集めた。
セネガル
物価
(西アフリカセーファーフラン。2012当時は100セーファー=約16円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均(生ビールが原因) | 1180 |
モーリタニアビザ | 6720 |
タクシー30分 | 300 |
宿 | 910-1610 |
ダカールの町
ギニアとの国境の町Kedougouからはバスで9000セーファー(約1440円)だ。距離は約800キロだ。私は17時出発のバスに乗った。出発した。道路は完璧に舗装されていてギニアとは大違いだった。バスは夜中に何度も止まっては人が各駅で降りていく。そのたびに起こされた。降りるたびに客がわめきちらし、そして助手がバスを止めるためバスを叩くから寝れたもんじゃあない。窓から客が捨てたペットボトルのゴミを拾い大喜びする子供達も視界に入る。午後3時ころダカールに到着した。バスで1泊しながら20時間の移動となった。
ダカールの街並み
ホテル
Chez Vieira
ロンプラに記載されている宿「Chez Nizar」と同じ建物の2階。10600セーファー(約1760円)で部屋は清潔。しかし南京虫だらけだった。大量発生。過去最悪で全身100カ所くらいかまれ地獄の苦しみを数日間味わうことに。この宿は決しておすすめしない。南京虫はシーツをひいたくらいではどうにもならない。ベッドの下に隠れていて暗くなったら上に這い上がってくるのだ。シーツなんか簡単にかいくぐってくる。気になる場所ではベッドをひっくり返してみるといい。私は翌朝、蚊帳の内側に南京虫がびっしりいるのを確認した。ホットシャワーはでる。でもやめた方がいい。見た目が綺麗なだけに警戒しなかった。しかしビンタという宿の女性はとても親切だった。そのギャップがいまいち理解できない。たいてい良いオーナーのところはいいサービスがついてくるものだ。
飯
宿の近くにアリババというケバブレストランがありWifi使用可能。近くにビールを買えるところもある。すぐ近くにバーもあり、生ビールが飲める。
飯は見た目も綺麗で美味い
町の様子
スーパーもある。先進国のスーパーとなんら変わりない。ダカールの街並はとても近代的でアフリカという感じはあまり受けない。少し裏に入るとアフリカらしい通りはあるが。人もこぎれいな人が多いし、フランス人っぽい人も沢山いた。それに人はフレンドリーでとても優しかった。
近代的なスーパーもある
Rosso(モーリタニアとの国境の町)
ダカールからRossoまでの交通手段
町の中心地から「ガルチャ」という場所にあるバスターミナルへ行く(タクシーで1500セーファーくらい)。そこでRosso行きの乗り合いバスが捕まる(5500セーファー)。約10時間で到着。
ホテル
Dufleuve
ドミは5000セーファー(約880円)。まるで牢獄のような部屋だった。ちなみにアフリカでドミをみたのは初めてだった。アジアの安宿でいう共同スペースにマットが雑に並べてあるだけの代物。セキュリティもくそもない。さすがにやめておいた。少しだけ値の張るシングルは1.5畳くらいの部屋に小さな窓とマットのみ。扇風機はかろうじてあった。虫がわかなそうだけまし。他の部屋を見たがトイレつきで蚊が大量発生していたりしていた。
飯
小さな町で一本通りに商店などが並んでいるだけ。数分もあれば行くところはなくなるくらいの小さな町だ。焼き肉があちこちで焼かれていた。500セーファー(約80円)で山盛りの焼き肉、辛子マヨネーズつき。そこらへんにいた兄ちゃんにビールを買ってきてくれとお願いしたら、バイクでどこかへ消え買って来てくれた。ムスリムが多いので黒いビニール袋に包まれていた。
Rossoの町の焼き肉屋
モーリタニア
物価
(モーリタニアウギア。2012当時のレートは1000ウギア=約250円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 430 |
宿 | 340-810 |
宿(3泊4日朝食昼食夕食つき。あとは車でいろいろ連れて行ってもらった) | 7570 |
相乗りジープ6時間 | 2160 |
西サハラ行き相乗りタクシー6時間 | 3100 |
ビザ情報
- 場所:セネガルの大使館で取得
- 期間:シングル30日
- 値段:42000セーファー(約6720円)
- 対応:申請後翌日発行。親切な大使館職員でパスポートのコピーなんかも事務所で目の前でやってくれた。普通なら外でコピーしてこいってのが当たり前だ。もちろん賄賂の要求もなし。
モーリタニア入国
セネガル川を渡らなければならないので、モーリタニアへは船での入国となった。フェリーは無料。運よく待つことなく乗れた。しかしボーダーにいはうっとおしいセネガル人がたくさんいた。国境などどこも一緒だろう。あるひとりの男に助けられ、無事にモーリタニアへと到着した。その男は手際よく私を舟へと導き、金にもうるさくなかったのでチップを渡し別れた。モーリタニアのイミグレでは人がごちゃごちゃ列をつくらずに私の嫌いな光景を作り出していた。時間がかかったがなんとかスタンプをもらえた。モーリタニアの雰囲気は最高。黒人のムスリムが沢山いた。
首都ヌアクショットまでの道のり
セネガルとの国境からは首都ヌアクショット行きの乗り合いタクシーが出ている。1500ウギア(約340円)だ。入国してすぐドライバーが群がってきて3000ウギアと言ってきたが、少し離れたところから乗って正解だった。
車がパンクしてしばらく時間かかった。辺りは砂漠でなにもない。動物の死体がめだつ。ドライバーは運転が荒かった。白い砂漠とカラフルな衣装のムスリムの取り合わせが最高だった。男性はブーブーという青い伝統衣装を着ている。バサっと頭からかぶる大きな服だ。さらに男性はよくみるテロリストのような真っ黒なターバンで顔を覆ってるひとが多い。イランなど他のイスラム教徒の国と違い、女性はカラフルな衣装を身にまとっている。黒人が着ているとさらに映える。ピンク、赤、黄色など派手な色が流行っているようだ。ムスリムの恰好をした黒人女性でもやはり頭には物を載せていて、完全なるアラブとアフリカの融合が見られた。綺麗な人も本当に多い。ラクダの数も多い。町も人も絵になる。
カラフルな衣装を身にまとうモーリタニアの女性
ヌアクショットの町
初めのドライバーはヌアクショットの町まで行かずに郊外で私を降ろした。次のドライバーはホテルの場所が分らないといい金だけ要求してきた。このあたりはいかにもアフリカといった感じだった。町の雰囲気はいかにも砂漠の町といった感じだった。
ホテル
Auberge Menata
2000ウギア(約500円)と激安。部屋はテントだが風も入ってこないし暖かい。電気も付くし電源まである。ホットシャワーにWifiつき。庭でのんびりとインターネットができる。しかし夕方からは蚊が大量発生。ハエも一日中うっとおしい。近くにスーパーがある。共同のキッチンがついているから自炊も出来るのだ。野菜はセネガルなどから運ばれてくるためさすがに品揃えも悪いし、質もめちゃくちゃ悪い。しなびた野菜や果物しか置いていない。酒はもちろん販売されていない。販売はもちろん、持ち込みも禁止されている。フランス大使館で購入できるという情報はあった。
観光
北大西洋に面しているので海を見に行ける
雰囲気もいいので歩いているだけで楽しい
ラクダの姿も
飯
焼き肉は町のいたるところで焼かれている
安くて味もいい
ヌアクショットからAtarの町
ヌアクショットから北東に約500キロの町。ヌアクショットからは乗り合いタクシーを捕まえて行ける。砂漠でも目立つようにカラフルにペンキで塗られた家が目立っていた。5時間半後アタルに到着。
アタールの町
ホテル
Auberge Camping Inimi
1000ウギア(約250円)で泊まれる。「Camping」というのがモーリタニアでは安宿の事を言うようだ。屋根があるところで寝ていいと言われたが、外でも寝ていいとのことなので外で寝るたいとお願いした。蚊はいない。敷地にマットを敷いて寝かせてもらう。辺りは真っ暗なので星が綺麗だった。なにもないけど、ただ静かで暗くて暑くなくて寒くなくてって場所はありそうでない。治安もよくなくてはこんなことはできない。晩飯はクスクスとスープでひどくまずい。クスクスはただパサパサしているだけでなにも味はしない。スープは臭いだけで味はない。水もろくにでない。朝飯はパンだけだった。ものすごい亭主関白で親父が奥さんや娘に厳しすぎて、見ていていやになった。萎縮していて女達は愛想がなかった。
サハラ砂漠の情報
宿の主人や町の人間に地図を見せてこれからの行き先の話などをした。ヌアクショットで購入していた地図だ。グーグルマップでも載っていないような道が現地で買った地図にはびっしり載っていた。主人によると、砂漠はどこだって走れるということだった。ようはその道が安全かどうかということらしい。地図に載っているようなきちんとした道は安全が確保されている可能性が高いということだ。私はサハラ砂漠でいけるとこまで行こうと考えていた。しかし危険なので、誰に聞いても行けるのはOuadaneという町までだった(2018年現在でグーグルマップを確認してもウダンまでしか道はない)。
AtarからOuadaneへの道
アタールからウダンへ向かう車を朝から探すも、午後4時まで待たなければならないという。理由は「暑いから」ということだった。日中に無理をして走っては車がおかしくなるのだ。仕方なく宿に戻り500ウギア(約125円)だけ払い待たせてもらうことにした。
午後4時にくるといった宿の知り合いのタクシーはやはりこなかった。約束など当てにならないと分かっていたのでそんなに慌てることもない。約束が破られるつもりで予定を立てておかなければアフリカではやっていけないのだ。宿の親父もどこかに行っていていなかった。タクシーを拾い町の中央に向かった。
タクシーは3000ウギア(約750円)で4WDは4000ウギア(約1000円)らしいので4WDにした。午後4時半くらいから、ダラダラ乗客の家に寄ったりして茶などを頂く。一向に出発しようとしない。こういうときはもう流れに任せるほかはない。小さな町だ、ドライバーも客ももう顔見知りなのだろう。慌てることなく外に敷いてもらったゴザにひっくり返り、茶を頂いていた。
2時間待たされ午後6時半にようやく出発。サハラ砂漠の果ての町ウダンへ向かう道は凄かった。まさに、世界の果てという感じだった。途中崖のような道を走ったり、巨大な茶色い岩が砂漠にごろごろしていた。岩には地層の跡がくっきりしていた。砂、荒地、一枚岩、地平線、ラクダ、そして風にふかれながら砂漠を走るのは最高だった。いまにもルパン三世のテーマが流れてきそうな何もない砂漠をひたすらポンコツ車で駆け抜けた。
サハラ砂漠をひたすら走る。景色は最高
陽が傾いてきてもひたすら砂漠を駆け抜ける
夜でもお構いなしに真っ暗な道を爆走していた。そしてこんな状況でも敬虔なムスリムである彼らは、途中砂漠の真ん中で止まり、メッカの方角に祈りを捧げていた。
夜の砂漠では何も見えない、そう、なにもない。それがいい。何もないという美しさ。闇に覆われた砂漠。夜の砂漠では闇が全てを支配する。そんな真っ暗な砂漠を車で爆走するのは、まるで宇宙空間をさまよっているかのような感覚だった。どんなに先を見つめても明かりは見えなかった。そんな中に現れたウダンの町の光は巨大な宇宙船のように見えた。どうしてこんなところに人は住むのだろうかと考えていた。
Ouadaneの町(モーリタニアのど真ん中に位置する町)
ウダンの町に到着したのは夜の11時だった。乗り合いタクシーのドライバーが宿を紹介してくれたので行くことにした。そして真夜中にも関わらず宿のオーナーは歓迎してくれた。オーナーの名前はザイダと言い男勝りの女性だった。彼女は私が腹が空いていると言うと、夜中なのにも関わらず手際よくパスタを作ってくれて食べさせてくれた。数日滞在するから町を案内してくれと頼むと快く承諾してくれたのだった。
宿のオーナーのザイダはパワフル。煙草を吸いながら日産のトラックを砂漠で乗り回す
観光
ザイダに全てをまかせて観光に連れて行ってもらった。私は彼女がいなければなにもできないのだと思い知らされた。砂漠では人に世話されなければ生きてはいけないのだ。それは圧倒的な無力さだった。飯も調達できない、水もどこから来るのか分からない、移動手段もない。道も分からない。ヤギやラクダのさばき方もわからない。なにもかもザイダ任せで、甘えたくそガキ同然だった。私に出来ることといえば「腹が減った、のどが渇いた、助けてくれ」というメッセージを必死で送り続けることと「金を出す」ということだけだった。乾燥しきったフランスパン、味もなにもないクスクス、ヤギの臭い肉、そんなものがとてつもなくありがたく、そしてこの土地はあまりにも過酷だった。
ザイダがサハラ砂漠を案内してくれた
井戸から水を汲む様子
サハラ砂漠のど真ん中に住む人たちを訪問させてもらった
お茶を入れてくれるザイダ
砂漠での生活はあまりにも無力だった。水は一日5リットル飲んでいた
Ouadaneからズエラットの町へ
ウダンから一度アタールの町へ戻り、そこからズエラットという町を目指すことにした。アタールから北に約300キロ行ったところにある鉱山の町だ。そこでは鉄鉱石が取れ、そしてサハラのど真ん中を横断する列車に乗れるという情報を得たのだ。
アタールでは運よくズエラットへ向かうというトラックをすぐに見つけることが出来た。ズエラットまでシートなら5000ウギア(約1250円)、荷台なら3000ウギア(約750円)で迷わず荷台にした。凄いスピードで砂漠を駆け抜けて、砂と塵にまみれながらサハラを走り、暗くなる前にズエラットの町に到着することが出来た。
ズエラットの町
荷台で仲良くなった男が宿探しを手伝ってくれた。その男は英語を喋らないが何軒かのホテルに連れて行ってくれた。しかしどのホテルも高額な所ばかりで泊まることができない。すると、男が家に来いと言ってくれた。ブラヒムとハイバいう男の家にお世話になることになった。苗字はブラヒムといい、常に祈りをかかさない敬虔なムスリムだった。ブラヒム家ではハイバは両親と彼の姉、そしてその姉の子供達と一緒に暮らしていた。暖かさがにじみ出ている家族で心が和んだ。こんなわけの分からない日本人の旅人を何も疑うことなく泊めてくれるのだから本当にありがたい。
家に案内してくれたハイバ
モーリタニアではどこに行ってもアタイという茶とヤギのミルクに砂糖をいれ冷やした飲み物のもてなしを受けるが、ここでもやはり同じようにしてくれた。ハイバのお父さんがゆっくり茶をいれながら話をしてくれた。日本の畳のように地面に転がるのが文化なので居心地がいい。家の中には絨毯が沢山敷かれていて、みんなでひっくり返っていた。
ハイバのお母さんがわざわざ外で冷えたジュースを買ってきてくれた。きっと普段は買わないようなジュースというのは見て分かった。ハイバのお父さんが私の汚れたズボンのためにと石鹸と水を用意してくれた。みんな輪になり茶を飲みフランス語と片言の英語で会話してくれた。
なにやら外でパーティーがあるとかで連れて行ってもらうことになった。こんなサハラの果ての町でのパーティーとはどんなものだろうか。とても気になった。車でしばらく走るとなにやら明かりが灯っているのが見え、音楽も聞こえてきた。そこでは男と女が民族衣装を着て、音楽に合わせて夜な夜な怪しく踊っていたのだった。もう夜中の11時だ。真っ暗なサハラの町でそこだけまるで別の空間に迷い込んだようだった。民族衣装に身を隠した女性の美しさには思わず唾を飲み込んだ。信じられないくらいに美人が多く、その衣装といいまるで映画を見ているかのようだった。とても写真を撮れるような雰囲気ではなかった。何かとても高貴な感じで、また彼女たちがとても大事にされているといったのが伝わってきた。観光客など来るはずもないこの町で催されている怪しい宴。変な目で見られるのではと心配したが、女の子達は私に優しく微笑みをかけてくれたのだった。
翌日の朝は早起きをして家の屋上にあがりズエラットの町並を見ながらぼーっとしていた。自然は過酷で食べ物もまともなものがないこのモーリタニアだが、この国で初めて住みたいと思えた町だった。その後、朝飯とアタイをご馳走になった。そして昼飯をご馳走になったりモーリタニアの結婚式の映像を見せてもらったりしながら昼過ぎまで皆と過ごした。心が和む楽しい時間だった。
しかしこの町に来た最大の目的であるサハラ横断列車が今日出発するのだと言われ、この町を出ることを決めた。ブラヒム家の人たちには本当にありがたく感じていて、またお礼をする時間もなかったので、ためらったがハイバのお母さんに4000ウギア(約1000円)を渡そうとした。すると彼女はとても丁寧にそれを断った。そのあまりの笑顔と優しさに泣きそうになるのをこらえ、私は心の底から礼を言った。金は渡すべきではないのは分かっていたが、言葉がうまく伝わらないのでどうしても感謝の気持ちを伝えたかった。本当に暖かい家族で、みんなの表情はいつもやわらかく、愛情をたっぷり注がれたのだろうということが顔を見ていると良く分かった。この町を去るのは本当に辛かった。
ハイバのお父さんとお姉さんの子供
ヌアジブの町(西サハラとの国境の町)
クスクスなどの食糧を積むのを手伝うと、男たちは私をヌアジブの町までトラックで運んでくれるといった。ムーア人、黒人、その混血の人たちであふれた町にアラビア語が飛び交っていた。町のヤギやドンキーはゴミを食い漁っていた。
ホテル
Canping Chez Abba
1泊3000ウギア(約750円)だ。宿を出て飯を食うところを探しにいくも、なにもない。ヌアクショットでは食堂のようなところも少しはあったが、ここにはなにもない。―リタニア人は外食する習慣はほとんどないのだろうか。かろうじて1軒の中華料理屋を見つけたので食事にありつくことができた。モーリタニアでは人の家に世話にならないと、暖かい食事にはなかなかありつけない。
ヌアジブから西サハラ
鉄鉱石列車の影響か、何回も目が覚めてよく寝れなかった。それでも朝にはバケツの水をかぶり目を覚ました。支度をして西サハラのDakhlaという町に向かう車が出る「ガレージ」と呼ばれる場所にタクシーで向かった。西サハラまでは乗り合いタクシーだと11500ウギア(約2875円)。バスなら10000ウギア(約2500円)だ。バスは人が集まってないので明日になるという。乗り合いタクシーで行くことに決めた。助手席1人、後ろ3人という定員通りのまともな乗り方だった。
舗装された道でモーリタニア側の検問を抜け、次にポリスコントロールも抜けた。ポリスコントロールまでは30分くらいかかりここでスタンプもらう。両替商などもいる。Western Union まである。ここでウギアを西サハラで使用されている通貨のディルハムに変えた。
そこからモロッコのポリスまでは3キロ。というのも西サハラはモロッコが管轄しているのだ。イミグレでは入国の書類を代理で書く人間がいて、ひとりにつき5ディルハム(約50円)徴収していた。モロッコ側のスタンプでやたら待たされる。窓口にはパスポートが山盛りで積まれ、人も窓口に溢れていた。職員の手際が悪いのだろう。自分のパスポートが手元から離れていてピリピリするのは分かるが、誰かがパスポートをちょっと触るだけで誰かが注意し、その注意した人間ともめるということを繰り変えした。
割り込もうとするやつにも注意し、やはりその注意したやつともめる。他のやつも話に入りややこしくなる。責任感の強そうなおせっかいそうな男が他の連中のパスポートを勝手に管理して窓口に渡していたが、そいつに対してもやはり何か文句を言うやつも出てきたり。いちいち揉め事が起きた。
しかし私もそんな空気の中にいると、やはりパスポートが気になりついつい体を乗り出しては、ずっとみはっていなければ落ち着かなかった。きちんと列を作るようにして管理して欲しいし、管理させずともきちんとしてほしいが、アフリカではそんなことは不可能だってことはこれまでの旅でいやというほど痛感していた。もめるのは管理が出来ていないからで、また管理しすぎても反感がでるし、とにかく収集がつかないのだ。そんな中に放り込まれるのはとにかく疲れる。
朝の9時半に出発したタクシーは夕方の5時頃西サハラの町ダハルに到着した。
西サハラ
物価
(モロッコディルハム。2012当時1ディルハム=約10円)
内容 | 物価(円) |
1日食費平均 | 790 |
宿 | 270-710 |
Dakhlaの町
ダフラは北大西洋に面する、国境の町ヌアジブから北に約400キロ行った町だ。綺麗な海眺めることはできるが、これといって何もない町。
町の様子
北大西洋
ホテル
Hotel Lahmad
一泊ドミトリーで270円。
ホテルとそのオーナー
以上。誰かの役に立てていれば幸いだ。
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