時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

勝ち負けにこだわるのは必要か

 

 

プロゲーマーの梅原大吾さんとブロガーのちきりんさんの対談本『悩みどころ逃げどころ』を読んでいる。そこで勝ち負けにこだわる必要があるか考えてみた。

 

梅原さんはNHK仕事の流儀で紹介されていたのをきっかけに知り、梅原さんの著書『勝ち続ける意志力』を読んでファンになった。その思考力と文章力に完全に圧倒されたのを覚えている。そしてまた梅原さんの本を読んでみたくなったのだ。

 

まず、私はファンになったからと全ての著書を読み漁ろうとか、あまりそういう気にはならない。私が本を読む理由は、知識を得るということももちろんあるが、思考のきっかけを与えてくれるというのが大きい。つまり思考したいから本を読む。

 

だから読むスピードは限りなく遅い。面白い本であるほど、1ページ読むごとにどうしても立ち止まってしまい、何かを考える。あまりに遅いのでたまに嫌になるときもあるが、そのたびに自分にとっての本の在り方を実感させられる。知識を無理やり詰め込むことよりも思考するのが好きで、そのきっかけを与えてくれるものが読書なんだと納得する。

 

だから、誰かの「~であるべきだ」という考えそのものよりも、そのように考えるに至った経緯に興味がある。思考して導き出された回答ではなくて、他人の思考の過程に興味があるということだ。どういう人生を送ってきたのかとか、どんな出来事があったのかとか、そのような体験を知らないことには、その思考によって導き出された哲学の本当の意味は分からない。そしてその一言からその思考に至った経緯を想像するのもまた楽しい作業だ。

 

対談本の話に戻ると、正直ちきりんさんのことは知らなかった。有名なブロガーの方なので、ブログを書いている人ならほとんど知っているのかもしれない。正直あまり期待せずに梅原さんの言葉にワクワクして読み始めたのだが、とんでもない、読み始めてちきりんさんという方がとんでもない人だということがすぐに理解できた。

 

まず、きちんと自分の哲学と自分の言葉を持っている人だなと言う印象を受けた。例えば、「~だと思うんだよね」と誰かが言ったとして「なんで?」と聞き手が問いただして「いやそれは、えーと、、、」となったとすれば、それはきっとどこかの誰かが言った言葉をただ拾って自分で思考していない証拠だ。ちきりんさんの受け答えを見ていると、ある一言を発した後に、梅原さんがどうしてですかと問うたときには、きちんとしたロジックを経た思考の根拠がはっきりと示されていて、さらにそれが本当に会話の中から出てきたのかと疑うほど選び抜かれた言葉だったのだ。よほど物事を深く考える人なんだろうなというのが容易に想像できた。

 

対談本の『結果なのかプロセスなのか』のテーマの中で梅原さんが、『勝つことが最終目的になってしまうのは違う。そうなると、たいていの場合、勝つためには何でもありになってしまう。ズルをしたり安直な方法に頼ったり・・・・・。』と発言していた。そしてちきりんさんは『ウメハラさんがそんなこと言うなんて超意外』とリアクションをしていた。

 

そこで頭をよぎったのが、よく人気ブロガーのブログとかに出てくる「月収100万円までのロードマップ」のような記事のことだ。まさに「勝てばいい」という意思が前面に出た記事のタイトルに見える。そこでいろいろ考えてしまった。

 

まず、ノウハウ記事を書いた人は、きっと他人のノウハウを吸収しつつ自分でも試行錯誤して成功した体験があって、それを他人に紹介して役立ててもらい、かつ有料にしたりすることで自分の価値を実感し、モチベーションにつなげたりしているのだと思う。インプット→アウトプット→世の中の役に立つ→モチベーションの向上という良い循環を作っていると思う。

 

しかし、そのノウハウを誰かが購入し、購入して成功した人がまたノウハウを書く。それが繰り返されると、ノウハウのクオリティが上がっていく一方、自分で試行錯誤する余地がだんだん薄くなってくる。上手くいくかどうか、勝てるかどうかというよりも、成功によって得られる成長の機会が減らされてしまう。「とにかく素早く結果を出して金を稼ぐ。そして稼いだ金で自分のやりたいことをやりたいんだ」という人はいるだろう。そのように金を稼ぐことが手段になっているのであれば納得できる。

 

しかし、「月収100万円」という安直な言葉に引きずられ、「不労所得」とか「リタイア」などを理想郷と考えて、金を稼ぐことだけに手段を選ばず突き進んでいる人がいるとすれば、なんてつまらない考えなのかと思う。

 

こんなことを書くと嫉妬しているだけとか、稼げるようになってから言えとかそういうふうに思う人がいるかもしれないけど、何度考えてもやっぱり嫉妬でも思い込みでもない。金は自分の能力が社会に必要と認められた対価として得たい。能力を正当に評価しない社会のせいだとか、社会に期待して待つといったような態度のことではもちろんない。

 

そして自分のこれまでの人生経験から想像すると、不労所得を得て金に余裕ができたりリタイアなんかして自由になっても、そんな生活などすぐに飽きてしまうと容易に想像できる。プロセスはどうでもいいから金持ちになれるロードマップに乗っかって金を手にしてもしばらくは満たされたとしてもすぐに虚しくなるだろう。

 

ただ金はそんなに簡単に稼げるものではなく、ロードマップに乗っかっても自分なりに試行錯誤して努力して苦労してやっと手にできるものだろうからプロセスが無価値などとは決して言わないが、それでも勝つことだけを見て突き進んで金を手にした先にいったい何があるのだろうといつも疑問に思ってしまう。何がそういう人に金と自由というものの価値が絶対だと思わせているのか。

 

信じられるものがないから「金というとりあえず裏切らなそうなもの」を稼ごうということなのだろうか。過去の経験から強いコンプレックスがあって「勝ち負け」にこだわってしまうのか。決して金や自由に価値がないと言っているわけではないが、大事なのは金よりも自由よりも、自分の人生を自分で納得して生きれたかどうかではないか。納得するために金や自由が必要ならそれこそ手段を選ばずに得ればいい。でも先に来なければいけないのはまず自分で納得できているかどうかだろう。

 

 

梅原大吾さんに影響された記事はこちら 

www.mapp.jp