西アフリカのギニアを訪れる人におすすめの観光地を紹介する。以前アフリカを横断していて、そのときにギニアにも滞在した。首都のコナクリは殺伐としていて早々に出ていったが、山奥の町は居心地が良かったので紹介したいと思う。
場所は首都コナクリから300キロほど北東に行ったダラバという町だ。持っていたガイドブックのロンリープラネットに絶景マークがたくさんついていたので訪ねてみようと思った。ギニアという観光客があまり訪れない国のさらに山奥の町なのでほとんど情報なんてなかったが、だからこそ興味がわいて行ってみたくなった。
コナクリの北東に位置しているダラバ
首都のコナクリからは乗り合いタクシーを乗り10時間くらいで到着した。道中は景色は本当に綺麗で、人もコナクリから離れれば離れるほど素朴で穏やかな人たちに変わっていった。
ダラバの町は自然豊かで、山奥にあるのに人も多く住んでいて活気もある街だった。
※この記事でも紹介しています
到着翌日に町をぶらぶらしていたらツアーをやっているという男性がいたので話を聞いてみることにした。ツアーといってもその男性が個人でやっているものらしく、山奥の知り合いの家をハイキングしながら訪ね歩くというものだった。特に目的もなく訪れていたので、面白そうだという理由からお願いすることにした。2泊3日のツアーということだった。ムスリムだというそのディアロというガイドは英語をほとんど喋らなかったので、持っていたフランス語の辞書で会話を成立させるしかなさそうだった。
出発当日、ガイドのディアロが宿まで迎えに来てくれた。町で一緒に3日分の食料を買い、早速町から歩いて山の中に入っていった。
あっという間に町は見えなくなった。竹林などの木が生い茂る道をひたすら歩いていく。すると山の中に突如と一軒家が現れた。ハンモックなどが備え付けられた家で、女性が農作業をしていた。側にはコーヒーの豆などが大量に積まれていた。
突如現れた女性にバナナをもらった
ひたすら山の中を歩いていく。英語が通じないのでディアロからフランス語を学びながら歩いた。彼は途中何回も草木の説明をしてくれた。薬草になるのだとか歯ブラシの木だとか歯磨き粉の木だとか、片言の英語とフランス語で丁寧に説明してくれた。
山奥に入っていく
自然がそのまんま残っていた
花もたくさん咲いていた
果実もいたるところに実っていた
しばらく歩くと、ディアロの親戚の家に到着した。
そして外で腰を下ろしたらふくマンゴーをいただいた。マンゴーは皮ごとかじり皮を吐き出しながら食べるのがこちらの人の食べ方で、真似してみるとナイフでカットして食べるよりも美味しく感じた。かぶりついて食べると5つくらい平気で食べれてしまう。
マンゴーのうまさを学んだ
部屋に案内された。家はコンクリートばりのシンプルな造りだった。そこで晩飯をごちそうになった。ピーナッツベースのスープとライスで、日本人の口にも合う味だった。彼らはこれでもかとライスを皿に盛ってくれた。客に先に食べさせるのが文化なのか彼らは私にだけ先に食べさせて余った鍋の料理を私のあとに食べた。家の庭で焚き火をして茶もごちそうになった。日本人のような気の使い方に驚いた。
ガイドのディアロ
翌朝、昨日訪れていたカワドゥという村に再び戻った。
道中少し立ち寄っただけだったのだが、翌日に何か儀式があると話を聞いていたので、ディアロにその村に泊めさせてくれとお願いしていたのだ。ディアロの親戚の家から3時間もしないうちに着いた。到着は昼過ぎだった。
その村はマンゴー、アボガド、バナナ、コーヒー、オレンジ、コラという木の実が取れる木などが生い茂げ、サルやカメレオンがいて、またハゲタカが飛び交う楽園のような場所だった。
村の近くで見つけたカメレオン
ハゲタカもいた
そのすぐ近くには死んだ猿が
そこにはギニアの山奥で自然と共に生活している人たちがいた。そこは本当に「犯されていない楽園」という言葉が似合うような場所だった。村人は全員ムスリムだということだったが、「オンジャラマ」、「アッサラームアレイクン」、「ボンジュール」と現地語、アラビア語、フランス語の3か国語で挨拶をした。これまでアフリカで訪れた田舎町は、生活水準もそうだが人の教育がきちんと行き届いていないようなところが多かったが、ここに住む人達は貧しいわけでもなく、そしてなによりも知性が感じられた。あえて山奥で暮らしているといった印象だった。
山奥でひっそりと暮らす人たち
私が泊まる部屋に案内された。それはただ眠るだけといった木と草でできた丸い小屋だった。
そして到着後すぐに食事になった。やはりピーナッツベースのスープとご飯だった。村人が男と女に別れて、食べる時間もずらして食べるのがこちらの風習らしかった。洗面器のような皿にご飯が盛られそれに、スープがかけられる。みためは犬のえさみたいだったが、それをみんなで囲んで手づかみで頂いた。炊き立てのご飯が熱いが、それを器用に冷ましながら手で頂く。マンジェマンジェとみんなが言ってくる。マンジェとは「食べる」というの意味のようだった。やぎの肉なども入っていたが美味しかった。飯は頻繁にやってきた。約2時間おきにやはりピーナッツのスープとライスだ。同じものを2時間おきに食べ続けた。飯を喰らい、団らんし、飯を喰らい、昼寝する、そんな生活だ。
食事は一つのさらに盛られたものをみんなで手づかみで食べる
そして彼らはムスリムなので、やはり山奥にいても祈りは欠かさない。貴重なはずの水を使い手や足もきちんと洗う。大きなじゅうたんに人が集まり同じ方向に向かって祈りを捧げる様は見ていて神秘的だった。
山奥で祈りをささげるムスリム
子供が生まれたので名を授けるという儀式がその時ちょうど行われていた。部屋の中では子供が老婆に抱えられ頭の毛が剃られていた。どうやらそれは伝統的なものらしかったが英語を喋れる人間が村に2人しかいなく、しかもなんとか日常会話が成り立つくらいだったのできちんと確認することは出来なかった。子供の為にヤギが犠牲になり、そしてみんなで食した。
子供の名前を授けるという儀式
どこからきたのか村中の女性達が集まっていた。そして信じられないくらいみんな美人だった。こんな山奥で生活しているのにとても清潔感のある人ばかりで、着ている服もカラフルでとてもおしゃれだった。人々は笑顔、子供は無邪気、ヤギ、羊、犬、鶏、アヒルやその赤ちゃんが村中を走り回る、まさに楽園だった。こんな場所はアフリカでは見たことも無かった。
女性は綺麗な人ばかりだった
首都のコナクリからは想像もつかないほど、洗練されていて、神秘的な場所だった。手つかずの自然の中に穏やかにひっそりと暮らす知的な人たちがそこにはいた。こんな山奥に住んでいるのが信じられないくらいに「きちんとしている」というか、良い意味で山奥に暮らしている人たちのようではなかった。物凄く大袈裟にいえば違う惑星に迷い込んだかのような違和感というか、なんだか不思議な感覚だった。
ツアーの終わりには、ガイドをしてくれたディアロに持っていた英仏辞書を上げた。私がこの町を訪れたのが2012年なので、もしかしたら今頃英語が上達しているかもしれない。
ダラバの町に行くことがあれば、是非ディアロというガイドを探してみて欲しい。それほど大きな町ではないのできっと見つかるはずだ。彼は信頼できるガイドなので、山に入って行くなら彼にお願いしたほうがいいだろう。
※この記事を見てもしも行かれた方がいましたら是非ご連絡ください。
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