時間がくねくねしてなくてよかった

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ツイッターに疲れたらノンフィクション作品を読むべき理由

中村計の『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』を読んでいる。久しぶりに正統派のノンフィクションを読んでいてとても心地がいい。

 

というのも、最近SNSに多くの時間を費やしすぎて「SNS疲れ」というものに陥っているからだ。

 

顔も知らない、本名も知らない、会うことも無いかもしれない人たちとのネット上でのコミュニケーションがこれほど疲れるものだとは思ってもみなかった。本当に不思議なものだ。

 

適当にやってればいいとか、みんな適当なんだろうなとか、ツイッターを始める前は思っていたのだがとんでもない。それはやはり日本人なので一部の失礼なユーザーを除けば、みんなSNS上であろうとなんだろうとリアルな世界のようにきちんと交流している。それこそ社交の場で初対面の人が挨拶を交わすように。

 

だから私などは(SNSだというのに)変に気を使ってしまい余計に疲れてしまったりする。ツイッター上ではすごくフレンドリーに交流している人たちをよく見るが、あれはオフで実際にあったりしているのか、それとも(水面下の)ダイレクトメールで交流しているのか、もしくは長い時間をかけて交流して仲良くなっているのか、そもそもSNS慣れしていて初対面でも仲良くふるまえるのか、そのあたりの見極めがなかなかできない。ツイッターという世界に正直戸惑っているような状況だ。

 

タイムラインを見ていると凄く疲れる。まさに情報が錯そうし、あちこちでやり取りがなされている。どんな会話を展開しているのか気になり眺めているとあっという間に時間が過ぎてしまう。確かかどうかも分からない情報が飛び交っているが「いいね」が多かったりフォロワーが多いと「そういうもんか」となんだか納得させられたりする。

 

そこで話は戻るのだが、ノンフィクション作品は徹底的な取材に基づき事実を丁寧に追っているものなのでSNS疲れしている中で読むと心地よく感じるのだ。ツイッターのような世界を見ているからこそ「これが真実なんだ」と妙に心地よく読めてしまう。何が真実かわからなくなったところにそっと差し伸べられる真実なのだ。

 

ツイッターに登場する情報はどこかの誰かがどこかから拾ってきた2次、3次、4次、5次の情報をさらに誰かがこねこねこねこねしたものなんかなので、なんだかどこかで見たような聞いたような似たような情報や思わず首をかしげてしまうような情報がタイムラインにずらりと並んでいる。もちろんそれは自分がフォローしている人間だけでなく、フォローしている人間がリツイートした情報までの登場してくるので、まさに目がぐるぐる回る。

 

その点、ノンフィクション作品は一人の記者がじっくりとその対象に向き合い、丁寧に時間をかけて裏取りをし、自分の名前と共に責任を持って世に送り出す文章だ。情報の質が圧倒的に違う。ツイッターをやっていると情報量だけは豊富なので「もうツイッターだけで情報十分じゃん」などと思ってしまう人がいるかもしれないが、それはとんでもない誤解だ。あくまで何かのヒントを得るとか参考程度に眺めてその情報が正しいか自分で精査しなければならない。その能力がないとむやみやたらにツイッターに登場してくる情報を信じることになり、正しい情報を見極める力が養えなくなる。

 

ネット社会を生きる人ほど時にはスマホを置いて新聞やノンフィクション作品を読む癖をつけた方がいい。私はそのような機会を設けないと頭がおかしくなってしまいそうにすらなる。ノンフィクションを読んでいるとこの情報を得るのにこの文章をまとめるのにどれだけの時間をかけたのかと感心し、そしてほっとさせられるのだ。

 

ノンフィクション作品はSNS疲れした人の避難場所になる。そして体力と精神力を回復させてツイッターという戦場へまた赴いて行けばいいのだ。

 

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