時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

人がブログをやめていく理由

ブログをはじめてやめていく人が多いという。ブログを仕事にするのか、副業にするのか、趣味にするのかでその理由は異なるのだろうが、ここではブログで生計を立てていこうとする人がやめていく理由を適当に考察してみたい。

 

ブログを書いていると、いずれネタがなくなってくる。書き始めたころは経験に基づいたネタなど書きたいことがたくさんあるものだが、次第になくなってくる。「書きたい」から「書かなければ」に変わるタイミングが訪れる。そうなると、本やネットなどで勉強したすでに情報として存在しているネタをこねくり回して一見新しそうな考えを記事として発信していく様になっていく。

 

ブログはどうやら「人のために書く」というのが基本的な型らしいが、ネット上の至るところにそのような「マニュアル」を見かける。ブログを人のために書こうとみんなが思えば思うほど、おおよそ似たような記事がネット上には大量に生産されて、多くの記事は埋もれ、結果として人の役にあまりたたなくなる。人のために書こうと思って個性を殺して書いているのに読まれないと、なんのために書いているのか分からなくなりブログに絶望してしまうという人も出てくる。

 

だから今度は「やはり自分の経験を基にした記事で価値を提供していかなければならない」という考えに移行する。すると日常からネタを探すようになる。日常がコンテンツ化していく。

 

映画や舞台には原作や台本があるが、ブログを更新し続けるというのは自分の人生をコンテンツ化するに等しい行為といえる。コンテンツは売れなければ仕方がない。だから必要なのは大衆が何を求めるかを分析することだ。つまり自分の人生を他人受けするよう設計していかなければコンテンツとしては役に立たない。すると他人に受けるためにはどうしたらいいかばかりを考えるようになり、反応があるほうにだけしっかりと照準を定め、それを価値のあるコンテンツとして出し続ける。

 

書かなければとネタを探せば探すほど「やらせ」感が強くなっていき、自分の人生のリアリティが低下していく。つまり自作自演になっていく。ブログを書くというアウトプットを先行させてしまうことで、人気ユーチューバ―のように大衆受けするようなネタに走りがちになる。

 

大衆に受け入れてもらえるコンテンツを考え続けて、それを自分の人生とイコールにしていく作業がブログで生計を立てることに他ならない。どこまでプライドを捨てて、いや自分と言う人間に執着せずに個性を消していけるか、それがブログを継続できるかの分岐点になる。少しずつ自己ブランディングできる人もいるかもしれないが、それは実は自分の個性ではなく世間の求める形にカメレオンのように変化させた自分であって、つまり大衆が作り上げた理想のキャラクターでしかない。

 

そもそも「人間の個性とは何か」と聞かれてまともに答えられる人間は少ないかもしれないが、大衆や時代に合わせて自分を変化させていくのがブロガーとして生き残る術となるのは間違いない。必要によってつくられたキャラクターといってもいい。そのキャラクターを演じ続けることで、自己ブランドの人気を保つことができ、金を稼ぎ続けることができる。

 

ブログだけで食べていこうとする人は、大衆が求めるものに自分自身を適合させていかなければならないが、そのように自分の個性を捨てることに抵抗を覚える人がきっとブログをやめていく。「ブログなんかのためにそこまでしたくない」といった感じだ。ただ根気がなくて継続できないという人ももちろんいるだろうが、究極的には「カメレオンになり世間や社会に振り回されたくない」と継続したくない確からしい理由を発見したような気になり、納得しながらやめていくのだろう。強く意識していなくても、没個性を迫られる嫌悪感を無意識に感じ取り、「飽きた」という表向きの理由付けをして、ブログをやめるという結論にいたってしまうのかもしれない。

 

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