中村計の『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』を読んだ。駒大苫小牧の香田監督の勝利への執念と人間的魅力を数々の事実から丁寧に掘り下げる正統派ノンフィクション。取材のきめ細かさが際立っていた。何が凄いかを考えてみた。
初めから狙っていない
この作品を読んで、取材対象者との関係性をいかに構築できているかが作品の良しあしに関わってくるのだとつくづく実感した。長い期間をかけて丁寧に取材したものをまとめ上げていたが、「よしこういう記事を書こう」といって書けるものではないし、書くものでもないのだということに気づかされた。こういう話は狙って書けるものではない。日頃から丁寧に取材をして、そして偶然にも劇的なドラマに出くわし、そのチャンスをものにできた人間にのみ書くことが許される作品だと言える。
ユニクロ潜入一年と比較して
この作品を読む前に『ユニクロ潜入一年』を読んでいたが、この作品と比べるとあまりにもその差が際立った。ユニクロの記事は、正面からの取材を断られた記者がアルバイトとしてユニクロに潜り込み1年働くという興味をそそられる潜入ルポになっている。ネタとして気になるし、潜入ルポという言葉にはなんだかワクワクさせられる。1年で3店舗をはしごしてバイトして、現場で働く目線を含めてユニクロを掘り下げた作品だ。しかし1年で何か劇的なドラマが生まれるわけでもない。アウトプットが先にきているので、苫小牧の作品と比べるとどうしても「狙った」作品に映ってしまうのだ。
アウトプットを先に意識していない
この作品の良さは、決定的な違いはノンフィクション作品としてのアウトプットを先に考えたかどうかではないかと思う。ユニクロは「現場に何かあるのではないか」とアウトプットが先に持ってこられて取材されているが、駒大苫小牧の作品は「これは作品として残したい」と思えたからこそ執筆したのだと思う。アウトプットを先に意識してしまうと、そこには先入観や書き手の意図など不純物が入り込んでしまうし、また結論までの強引さも出てしまう。そこに作品としての決定的な差が生まれている要因があるように思う。
対象者との関係性と密着度
また苫小牧の作品の方は、取材の密着度と期間が圧倒的に違う。取材対象者と長い期間付き合い、構築された関係があってこそ書き切ることができた作品といえる。記者として何よりも大切なのは「どれだけの情報を持ってこれるか」に尽きる。あらゆる手段を用いて情報を引っ張ってこなければならない。文章力や表現力や記事をまとめる能力は重要度として先行しない。どれだけの時間をかけて対象者や関係者に取材をして、事実を一つ一つ丁寧に集められるかにかかっている。そのためには取材対象者との関係性はかなり大事だといえる。信頼されていなければ人から本音や事実など引き出せないし、本音や事実が引き出せなければ精度の高いノンフィクションにはならない。
取材対象者がアウトプットを意識していない
また、香田監督という取材対象者がアウトプットを全く意識していないというのもポイントだ。香田監督のようにただひたむきに目の前のものに向き合っている人はアウトプットなど考えない。また、作品を読んでの印象でしかないが、香田監督は信頼していない人間には多くを語らないような人物だろう。
まとめ
偉業を成し遂げた香田監督に密着し、あらゆるエピソードから夏の甲子園で14連覇という伝説をつくった事の本質に迫り、その監督の哲学や人間性を浮き彫りにした取材には感謝すら覚える。著者がいなかったらこの大記録の成立過程を知ることもできなかったし、香田監督という人物の人間性にも触れることができなかった。本当に「記事にしてくれてありがとう」と心から思えるようなノンフィクションの一つだ。
勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇 (集英社文庫(日本)) [ 中村 計 ]