時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

サハラ砂漠を走るモーリタニア鉄道

モーリタニアにはサハラ砂漠を横断する列車が走っている。それは砂漠で採れる鉄鉱石を運ぶためのモーリタニア鉄道と呼ばれる列車で、世界一長い列車と言われている。サハラ砂漠のど真ん中に位置するモーリタニアのズエラットという町から、北大西洋に面するヌアジブという町まで717キロもの距離を走る列車だ。世界一長い列車には客車もついているが、ほとんどは鉄鉱石を運ぶための貨車となっている。私はどうしてもその貨車でサハラ砂漠を横断してみたいと思い、ズエラットの町へ向かった。

 

ズエラットの町で情報を集めていた私は、タイミングよく列車が出るという話を聞きつけると、その列車の出発地点まで向かった。そこにいた人間には客車を薦められたが、客車には乗るつもりはない。客車はただの客車で、わざわざサハラ砂漠のど真ん中まで来て窮屈な客車に揺られて旅をしたいとは思わなかった。客車は有料ということだったが、私は金額も確認せずに貨車に乗りたいと伝えた。すると指さされた方向には延々と続く貨車があった。私は自分で席を探しに行った。


きっと同じように貨車に乗る連中がいるはずだ。終わりが見えないくらい長い列車で一緒に旅が出来る仲間を見つけることにした。しばらく歩いていると蜃気楼の彼方から汚れた服を着た女性が水を売りに近づいてきた。水は十分に購入しておいたが少し冷えてるということもありその水をいくつか購入することにした。金を払っているときにその女性に貨車に乗る連中を探していると尋ねてみたが、うまく伝わらない。その女性は受け取った金をゴミでも扱うかのようにポケットにいれると、礼も言わずに蜃気楼の彼方へと再び消えて行った。

 

世界一長い鉄鉱石列車の貨車

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ひたすら鉄道の壁が続いていた。重い荷と共にその壁伝いに人を探し歩き続けた。本当に終わりが見えないくらい長い列車。雲ひとつない空にむきだしにされたサハラの太陽が容赦なく私を照らしていた。

 

しばらく進むと、列車の脇に車を寄せ荷物を貨車へと積み込んでいる連中を見つけた。どうやら業者のようで、何か商品を運ぶ連中のようだった。

 

「ヌアジブ!?」と目的地の場所をシンプルに彼らに言ってみると、「ウィ」とフランス語で返事をしてくれた。私は一緒に旅をさせてもらうことをお願いし、彼らは承諾してくれた。

この列車は全長が約3キロにも及ぶ列車で、車両数は230両にもなる。1両の長さは約10メートルで、幅が約4メートル、高さが約3メートルだ。箱型で中は空洞になっている。そんな車両の1両ごとに鉄鉱石が山のように積まれていた。彼らはその貨車の鉄鉱石の上に、ヌアジブの町まで運ぶ商品の段ボールを積み込んでいたところだった。小麦やクスクス、そしてパスタ、そんなものを大量に積んでいた。


彼らは器用に鉄鉱石を使い、自分のテリトリーを作り始めた。鉄鉱石は椅子にもなり、机にもなり、またベッドにもなる。サハラの太陽に熱せられた鉄鉱石はまるで生命が宿っている何か他のものにすら見えた。彼らの隣の車両で私も自分のテリトリーを彼らに習い使いやすいそれに変えていった。進行方向を確認しベッドの位置を決め、頭の位置を決め、風の向きを予想し、暗くなっても分かるように水や食料の配置を考え、大きな石を除き均し上にシーツをかけ寝床にし、リュックを枕代わりにした。

 

旅をしていると誰も自分のことを知らない。どんなに旅をしていても慣れることなく心細いものだ。そしてこのような過酷な環境であれば、誰かに頼らざるを得ない。人は一人では生きていけないというのを物理的に感じさせてくれるのが砂漠だった。砂漠で孤立したら死ぬ。それに抗うのは、水の中から濡れずに出てくるくらい不可能なことだろう。 

 

砂漠に住むモーリタニア人は親切だった。貨車で出会った男達も同様に親切だった。しかし他人は出会ったばかりの人間に対してそこまで親身にはならない。もしも私が列車から落ちて姿を消したところで探そうとまではしないだろう。私は貨車で準備をしながらも常にそのようなことを考えていた。「ここから落ちたら」ということを想定してみた。落ちても何とかなるだろう。なぜなら落ちても線路は続いていて、そしていづれ列車はやってくる。砂漠の暑さと寒さをなんとかしのぎ、再びやってきた列車に飛び乗ろう。そんなことを考えていた。

列車は出発予定の時刻を越えてもまだ出発しなかった。男達と列車の脇に出来た日陰で出発を待つ。英語を話さないが皆フレンドリーで「サバ?(元気?)」と声をかけてくれた。

鉄鉱石の上でひっくり返り待っていると「ギー」という鈍い音と共にようやく列車が動き出す。なんの合図も無く走り出した列車に振り回されるように、列車を降りていた連中は慌てて列車に飛び乗っていた。列車は午後4時出発予定だったが時刻はすでに午後6時を越えている。乾いた夕暮れ時の空気を切りながら、列車はゆっくりとスピードを上げていき、ひたすら変わらない砂漠の景色を映し出していた。

 

 

そんな景色もしばらくすると闇に包まれていった。その日は月も出ていなく、360度どこを見渡しても完全に暗闇の世界。星空を見上げなければ自分がどこにいるか分からなくなりパニックに陥ってしまうほど何も見えない。体中ススだらけだったがそんなこと気にもならなかった。列車の走る音だけが静かに響き渡る中で鉄鉱石の上にひっくり返っていた。

なにやら隣の貨車から明かりが見えた。自分の貨車から覗き込むと料理を始めたみたいだ。そして彼らはこちらへ来いと合図をくれた。わずかな炭、小さな鍋、短いナイフ、汚れた水、折れたパスタ、ポケットから出てきた野菜、そして骨ばかりのヤギの肉、そんなものを使い動く列車の上で器用に飯を作っていく。彼らは旅慣れしていた。

 

飯が出来上がると皆が一斉に喰らいついていく。熱々の飯を手づかみで食べていく。熱いと気にしていてはすぐになくなってしまうので、私も手を火傷させながら必死に喰らいついた。列車の上で風をうけながらむしゃむしゃと皆で飯を食べ続けた。鍋の底を指で拭って汁を舐め、ヤギは器用に肉がそぎ落とされ骨だけになるまで皆で食べ、その骨髄はしゃぶられた。残った火にはやかんが乗せられ、茶が振る舞われた。ベトベトに甘い茶がひどくありがたかった。そして野菜が入っていた網を切りスポンジ代わりにし鍋を器用に洗っていく男達、彼らと一緒ならこの貨車の旅も安心だと思えた。砂漠で仲間がいないこと、敵を作ること、ここではそれは命の危機に直結する。

時間になると祈りを捧げ始める男達。列車が走行していようとも、場所がどこであれ彼らムスリム達は祈りをささげるのだ。今まで何度も見てきた光景だが、彼らの信仰の深さにはいつも感心させられる。

飯ができた時は男達がタバコの明かりで合図をしてくれた。その合図が届く度、隣の貨車に飛び乗り飯をご馳走になりに行っていた。飯をもらってはタバコをあげる。

時々、停車駅があるわけでもないのに真夜中に列車が止まった。列車が止まった時にだけやってくる音のない世界、こんなに静かなのか、1キロ先の赤ん坊の泣き声、10キロ先のハエの羽音すら聞こえてきそうだった。

何回か繰り返してしたのと同じようにあるとき列車が止まった時、隣の貨車から一人の男が近づいてきて私に話しかけてきた。「プロブレム」「ビッグプロブレム?」「、、、、、、イエス」

朝までひたすら寝ていた。乗り込んでからすでに16時間が経過しようとしていた。昨日の夜中11時に止まった列車はまだ動く気配がない。そう、あれから列車は動かなくなったのだ。時刻はすでに朝の8時半だった。

列車を降り、近くの集落まで買出しにいくと身振りで私に伝えてきてくれた男がいた。どこからか情報を得たのだろう、まだ列車は発車しないという。食料とタバコをお願いした。タバコは男達のためにだ。あとどのくらいで目的地であるヌアジブに到着するのか聞いてみた。「ヌアジブ、センクソン」センクソンとはフランス語で500を意味する、つまり、まだ500キロあるということで、言い換えればまだわずか200キロしか走っていないということだった。もう出発して14時間も経っているというのに。次の町ショウムまでいけばまともな飯にありつけるさ、と買ってきたパンを渡しながら男は教えてくれた。列車は止まったまま昼を迎えようとしていた。

 

サハラ砂漠のど真ん中で列車は立ち往生した

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サハラの太陽がまた昇ってきた。過酷だ。到着はいつになるのだろう。翌日に着くのだろうか。パスタやクスクス、それに鶏まで大量につんであるからとりあえず飢える事はないが、この暑さはどうすることも出来ない。暑い。やばいかもしれない。これが続くと。意識が朦朧としてくる。鉄の箱と鉄鋼石で熱々にされる。ジャケットを頭から被りただひたすら耐えながらそんなことを考えていた。

動くこともできずただじっと待っていた。

 

そして12時間後、ようやく列車は動き出した。砂漠の真ん中でずっと立ち往生していたのだ。思わず声が出た。やっとかよ。


「ジャポネ、ショウムだ」ショウムという町についたようで列車が止まる。「コカ、コカ」とどこから子供達が飲み物を売りにきた。コカとはコカコーラのことだ。思わず叫んだ、「こっちだ!売ってくれ!」こんな砂漠のど真ん中で貨車に乗っている連中相手に冷えた飲み物を売りに来てくれる。「助かった、ありがてえ」。冷えたコーラを大量に買い、みんなに配った。そのうまさは悪魔的だった。



袋に入れられ頭だけ出たヤギは段ボールを懸命に食べ、ラクダおよそ50頭の群れは優雅に砂漠を歩いていた。


太陽の動きの観察日記がつけられるほどサハラの太陽を一日休まず浴びた。どれくらい水を飲んだだろうか。よく体がおかしくならずに乗り越えられたものだ。さっぱりしたい、綺麗な格好をしたい、きちんとしたい、サラサラしたい、とまるで呪文のように独り言を言っていた。

 

男たちは私がターバンをうまく巻けないと「こうやるんだ」と親切に巻いてくれた。耳からたらりと布を出すようにして巻くのは顔をぬぐうためだと教えてくれる。このターバンなら頭、鼻、口、耳を塞ぐことができ、またタオル代わりになる。コツはターバンぬらすこと、涼しいし、砂も通さないのだ。

 

砂漠ではターバンは必須

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妬みとか嫉妬とかそういう無駄な感情を知らずに育ったかのように無邪気。なぜお前は一緒にこっちにきて飯を食わないんだ、腹減ってるだろ、と自然に誘ってくれる。誰かにもっと親切にしてあげたい、何かをしてあげたい、旅をしてこういう連中に会うたびいつも思うことだった。

そしてまた夜が来る。2日目の夜は風が強く極寒だった。壁にもたれシーツをかぶさりひたすら寒さに耐えた。こんなにも気温の差があるものなのか。砂が舞い目も開けられなかった。人がどこにいるのかも、そして時刻も分からないまま、暗闇の中、寒さと砂と戦っていた。

おい。そうよばれて顔を出した。明かりが見えた。そう、ようやくヌアジブの町についた。時計を見ると朝の5時。約35時間にもおよぶ列車の旅が終了したのだ。

 

暗闇の中、男たちが山積みにされた荷物を降ろしていた。トラックに段ボールをひたすら積んでいく。世話になった彼らの仕事を手伝うために私は起き上がった。

 

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