時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

絶望するのは前に進めている証拠

絶望するのは前に進めている証拠だ。

 

自分の無力を実感するということは過去の自分を置き去りにしようとしている証拠だからだ。

 

無力さを感じないで前に進むことはできないのかもしれない。

 

だから絶望している人は前進しようと意識しているにせよ、意識していないにせよ、きっとそうなのだと思う。

 

自分が嫌い、そのように思う人も、自分を成長させたいと思っているからそういう感情になるんだと思う。だから嫌いだと思っている人はその嫌いな自分を変えることができると、変えようとしている自分がいるんだということに気が付いて欲しい。切り替えのスピードを上げていくべきだ。

 

「いや、それでも誰にもわからない本当に嫌な自分がいるんです」と言う人がいるかもしれない。きっとそんな人はものすごく自分を客観視できる人で、感性が豊かな人で、だからこそ他人の世界を覗きすぎて、それも成功している人とか有名人とか、偉大な作家とか、そういう人なんかと自分を比べてしまっているんじゃないかと思う。素晴らしい人と会ったり、話を聞いたり、文章を読んだりすることは良いことだけど、すごい人ばかりに目が行きすぎて、自分と知らない間に比較したりするのはあまり賢くない。そこには大きな差があるのだから。その差を埋めるのは小さな一歩を積んでいくしかないのであって、だからこそ初めから比較なんてしないほうがいい。比較するなら自分の少し前を行っている人にするべきなのだ。

 

「嫌な自分がいるんです。自分は駄目なんです」とか言っている暇があったら、他人のことを、近くにいる人のことを少しでも分かろうと努力した方がきっといい。「自分は駄目なんです」というのは「他人にわかって欲しい」という甘えの裏返しだと思う。他人にわかってもらいたいなんておこがましい。そんなことを考えているのなら、他人を分かろうとしなければ駄目だ。自分の近くにいる人のことを分かろうとして、人の行動に対して褒めてあげられる所を探したり、人の努力にリアクションするなどしていけば、きっと嫌な自分はどこかへいく。知らない間に自分のことを好きになれている。

 

他人の世界をSNSなどばかり見て、覗くことを繰り返していても、他人からのリアクションは何もない。他人の情報を自分で勝手に解釈することを繰り返していると、自分の中だけで妄想が広がって行き、思いこみが激しくなり、自分勝手な解釈だけが生まれていく。だから、他人の人生を見たいのなら、それにリアクションして、自分の考えを伝えて、意見を交換した方がいい。相手からリアクションがあるのだから。それが続いていけば、自分勝手な解釈も妄想もなくなり、自分をきっと好きになれる。人間はネガティブに考えてしまいがちなので、一人で勝手な妄想を続けると、知らない間にネガティブな方向に進んでしまう。

 

繰り返すが、辛いと思っている人は成長しようとしているから心配しなくていい。人間は成長していかなければならない。だから常に過去の自分と比較するし、辛くなる。辛くなるのは必然。右肩上がりに進めていないと辛くなるし、進めていても辛いのだ。だから人間は成長することができる。でも、成長することが辛いことだと理解すれば少しは辛さが軽減されるかもしれない。

 

人は必ず他人と関わって生きていく。これは避けられない。繰り返すが、自分と遠い人と自分を比較しても「大きな絶望」に襲われてしまうだけなので、意識的にそんな比較はやめて「少し先を歩いている人」をやはり意識的に目標にして、少しずつ階段を登っていけばいいと思う。2段飛ばしや3段飛ばしはストレッチ効果は望めるものの、あまり無理をすると身体を壊してしまうことに繋がるので、ゆっくりと一段ずつ、歩んでいけばいいと思う。

 

平坦な道を歩き続けてもあまり疲れない。たぶん一日40キロとか歩けるだろう。むしろいい運動をしたなと思えるかもしれない。しかし、やはり平坦な道は平坦でしかない。健康になって気持ちいいかもしれないが、そこに成長はあまりできない。辛くても、しんどい階段を登ってこそ、上に上がっていくことができる。