時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

自分を正当化する

結局は自分を正当化して生きていくほかはない。

 

人はあれこれ言うし、そしてそれは人の価値観だから、もうそれはしょうがない。

 

全て自分で選択してるのだから、自分を正当化していくしかない。それまで選んできたのは自分にとって最善だったと。

 

人に理解されるのは難しいし、理解してもらおうと思うことの方が間違っている。人は人で好き勝手に生きているし、自分もそうすればいい。頼まなくても理解してくれる人は声をかけてくれる。

 

だからこそ自分を正当化する能力が必要になってくる。言わなくていいようなことは言わない方がいいかもしれないし、誤魔化したっていい。馬鹿真面目で一人で苦しんでいるのは本当に馬鹿らしいと自分で思えばそんなことはやめればいい。苦しみながら相手にぶつかり、嫌なものを与えてしまうのなら、不真面目になって自分の機嫌をとった方がいい。そんな時は大切な人であるほど、少し距離をおいた方がいい。

 

全力で自分を正当化する。すると自分の行動に自信が出てくる。自分を正当化するというのは、過去の自分の選択が全て最善であったと自分に言い聞かせることだ。自分をマインドコントロールするということ(他人に大きな迷惑をかけた人間は全力で後悔してください)。過去の自分の選択を正当化することで、自分がやっていることに自信が持ちやすくなる。人から認められるのは嬉しいことだが、それは一過性のものなので、過ぎ去るだろうし、また変わっていくだろう。自分のことはある程度は自分でコントロールできる。

 

しかしやはり、自分自身の価値観は変わっていってしまうのだから、現在もしくは未来に過去の選択が間違っていたと後悔してしまうのはあり得ることだ。だが、価値観が変わると言うのは歳を重ねて学んできたことや経験してきたことが積み重なって発生する当然の出来事なので、価値観は変化して当たり前と思っておけば、過去の選択はその時の最善のものだったと思えるはずだ。常に最善を選んでいるのだ。勇気がなくて選べなかった、という人は選んで挫折するよりは最善だろうと考えたのかもしれないし、自分にとって良いと本当に思えるなら人は必ず良い方を選択する。他人の意見を聞こうが、人に影響されようが、自分で全て判断しているのだから自分なりの最善を選んでいるに決まっているのだ。自分が平均的だと勝手に作り上げた世間の価値観と比較して「間違っていた」などと思う必要はない。個人個人で皆、葛藤しながらあらゆる選択しているに違いないのだから。平均値などは存在しない。だから比較も必要ない。