時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

ホームレスについて

ホームレスには自由がある。

どう生きるかという自由を自分で選んでいる。

 

『人は強制収容所に人間をぶち込んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない』(夜と霧 新版 みすず書房 P110)

 

『夜と霧』からの引用だが、夜と霧はアウシュビッツの支所に強制収容された精神科医が書いた実話だ。

 

 

ホームレスというのはプライドが高いように思える。つまり人の世話になりたくないという人であるように思える。

 

ツイッターなんかを眺めていると「プライドなんか捨てましょう」といったような発言が目に付く。これはきっとホリエモンの「多動力」とかを読んで影響された人が発言しているのだと思う。私も何度もプライドは捨てようといった言葉に引き寄せられたが、それは極端にそうするものではなく、自然に、結果としてそうなったらいいなと思うようになってきた。ホリエモンはきっと、プライドを捨てようと決意した途端プライドを捨てれたのではなくて、自然となくなっていって、振り返ってプライドは邪魔だったなと思えたからそのような発言をしているのだと思う。プライドにフォーカスして、自力でプライドは無くせるものではきっとなくて、何か他のものを変えてやっと去っていってくれるものであると思う。プライドを強制的になくす行為は自分を殺す行為に等しいとすら思う。自分の感情を押し殺してはいけない。変えなくてはいけない何かを変えていかなくてはならない。何か他のものは人によって違うので、そこに自分で気が付いて、フォーカスして取り組んで、気が付いたらなくなっているものがプライドであると思う。プライドをなくす=感情を殺すという解釈は危険だ。

 

ホームレスの話に戻るが、ホームレスの人はプライドを捨てられなかった人なんだとやはり思う。これは結果論で、つまりホームレスになった人が悪いとか怠けたから自業自得とかそういう話ではない。 私はむしろホームレスを尊重する(なりたいとかそういう話ではない)。少なくとも彼らは人間としての尊厳は保っているからだ。自分で覚悟を決めて、生き方を選んでいる。どんなに周囲から悲惨な目で見られようが、自らの意思で人間としての尊厳を保っている。自分の生き方を自分で決めている。生き方の自由を貫いていると言える。それは、きっと人はなぜ生きるかを自分なりに「決めている」からであって、だからこそ、ホームレスは過酷な環境でも耐えて生きていくことができているのだと思えるのだ。

 

『なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。(ニーチェ)』(夜と霧 新版 みすず書房 P128)