時間がくねくねしてなくてよかった

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日曜劇場「日本沈没」を見た

 

日曜劇場の日本沈没を見た。

 

テレビをつけていたら始まったのだが、面白そうな雰囲気がプンプンしていたので少し見ていたらそのまま最後まで見てしまった。

 

あまりのスケールの大きな話に、ついついスケールの大きなことを思考してしまった。20年くらい前からずっとぼんやりと考えていたが、日本沈没を見ていて言語化してみたくなったので、独り言のようにつらつらと書いてみることにする。

 

人類は争いの歴史を繰り返してきて、争いの中では敵を倒すことや自分たちの身を守ることだけに集中し、そこには明確な目的があり、当然暇などもなかった。また、江戸時代のような平和な時代では、人は何かをつくって発展させてきた。戦後の高度経済成長もそうだ。何か価値をつくり、それを享受して豊かになれた。

 

現代は、戦争中の国もあるが、概ね争いも少ない。争いがなければ暇なのでなにかをつくる。しかし、すでに人間が必要とするものはほとんど全てつくられていて、これまでの歴史を辿るように何かものを作り出すということに捉われすぎているような気がする。「こうやって幸せをつくってきたんでしょ」というような現代にそぐわない違和感を感じる。「便利なものを開発して使えて豊かで幸せだねえ」と感じられる地点はすでに超えていて、便利すぎて人間の思考力が落ちたり怠けたりするという悪影響の方が多い時代がきていると思う。時間を持て余してくだらないゲームやYou tubeに時間を使ってしまっていることからも言える(ただこれらのツールはすでに他人とのコミュニケーションの手段となってしまっているので「俺はスマホ持たないよ」というわけにはいかなくなっているしこの辺りが非常に罪深い)。豊かになるはずの開発であったのに、豊かさが失われていっている。江戸時代や戦後のように「つくれば豊かになれる」という時代はすでに終わっていて、大げさに言えば今は人類が歴史上はじめて遭遇している状況であると思う。つまり、争いに対応する必要もなく、何か新しいものをつくる必要もない時代。そんな時代はこれまでの人類の歴史にはなかったはずだ。

 

暇だけど新しいものをつくっても人間の豊かさの向上につながらない。つまり時間を持て余してしまう。話が飛ぶが、10年前にヨーロッパを旅していて感じたことは、先進国のはずなのにトイレや地下鉄は汚いしストライキは起きるし公共交通機関は時間に正確ではなくヨーロッパって日本やアメリカよりも遅れているんだな、ということだったが、今思えば行き過ぎた便利さが人間を損なってしまうということに彼らはなんとなく気づいていて、経済発展よりももっと大切な何かがあると考えていたんじゃないかと思う。身も蓋もない言い方だが、人間が生まれてきた意味などはない。だからこそ争いに時間を使ったり、物をつくり生活を便利にすることなどが死ぬまでの時間を埋めてくれるものであった。人間は暇には耐えられないのだから。

 

日本沈没を見ていて思い出したが、人類が向き合う問題としてSDGSなど環境問題がクローズアップされてきている。環境問題に向き合うことは、未来の人たちにできることをするということだ。争うこともなく、何か新しいものをつくることでもなく、人類の新しい行動だ。アメリカ、日本、中国なんかが経済発展して浮かれている間にヨーロッパの人々はとっくに先に進んでいたんじゃないかと思う。しかし人類として、争ったり、何かをつくるということを好むことがきっと遺伝子的にインプットされているのだから、人類が環境を壊してまで馬鹿みたいに開発に没頭するということは理解できる。幸福論を書いたアランも確か人間は壊すかつくるかしていないと気が済まないといったことを書いていた。むしろ、現代に必要とされていることを理性的に理解して、これまで人類の動きになかった行動を取れている環境先進国の人なんかは、本当に人間の本能をコントロールできている知的な人たちなんだと思う。

 

 

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