時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

塾について

コロナになってから近所の塾で一年ほど子供に勉強を教えていた

 

色々なことを考えさせられた。個別指導の塾だったので一対一で話ができ、どんなことを考えているのかも少し知ることができた

 

子供は子供なりに色々と考えて必死に生きている。そして当然まだ親の元で暮らしているので親の影響は絶大で親の期待に応えたい気持ちとなんで勉強するのかというジレンマと戦っている子もたくさんいた。そもそも個別指導の塾にはやはりあまり勉強のできない子が来るということもあるし、それでは駄目だと思っている親が塾に行かせるのだからそれは必然なのだが

 

子供の気持ち、親の気持ち、塾の経営側の気持ち、色々なものが一見、バランスを保っているように見えているが、それはきっと見せかけだけで、どうしていいかわからない子供に対して親や塾が「良いことをしている」と完全に思い込んでいて、なんだか違和感を感じたというのが結構正直な意見だ。完全に「これが正しい」ということはないが、でも、「良いことをしている」と信じれていて子供のためにやっているのであれば、誰もそんな人たちを責めることはできないし批判することも不毛だなと思う。やっぱり何かを絶対的に信じれている人は強いし、正しい正しくないを超えているものがある。むしろ正しくないものを正しいものに変えてしまう力すらある。親の見栄のためとかプライドのためとか、子供の将来を見ていない儲けるためだけの塾の経営であるならば批判されるべきだとは思うが、そういう人たちは大体気がつかないものだし絶対的に何かを信じているのでやっぱりどうにもならないかもしれないし、誰かがどうにかすることでもないかもしれない

 

子供は親ではない大人の前では大人ぶりたいということが分かったし、実際に大人びているなあと感心することも多かったが、実は無理をしていてその心はやはりガラス細工のように脆くてあらゆることに敏感で感受性が強くて感動しやすいし動揺しやすいし、なんだか人間らしくてホッとさせられることも本当に多かった。大人は巧みになりすぎているしそれが良いことだという意見の一致のようなものまであるので厄介だなと思う。特に日本社会では隠すことが美徳とされている風潮があるので日本人は厄介だなと思うんだけど、一方で、だからこそ隠している水面下から本音のようなものなんかが飛び出してくると突然嬉しくなったりもする。

 

 

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