時間がくねくねしてなくてよかった

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英語を勉強して何になるのか

英語を勉強して何になるのか

 

塾で勉強を子供に教えていたが、なぜ英語を勉強する必要があるのかをきちんと説明できなければ子供に教える資格はないかもしれない、とごくたまに真面目に思うことがあった。その辺りを子供と議論してみると子供の方がよほど現実的で、テストで良い点を取るためとか、良い大学に入るためとか、中には「良い大学に入るというのが僕の中のラスボスで、勉強するのは使うからとかじゃなくて、ラスボス攻略のためにやってますよ(中学二年生)」なんていう子もいた。実際、使うかどうかもわからないものだし、勉強したから使わないと損とか思って英語に引きづられても判断に影響しそうだし、なぜ英語を勉強する必要があるのか、その答えはやはりテストのためというのが子供にとって良いのかもしれない、とよく思っていた。

 

しかし英語を勉強する意味はそんな表面的なことだけではないような気がする、といつもモヤモヤと考えてもいたのも事実で、私は英語を教えることで金を稼いでやろうと再び勉強を始めたわけだが、英文の雑誌を読めたりCNNを聞けたりするのは昔から憧れであったし、それができるだけでも純粋に楽しくて結構満足しているのだが、今こうやってパソコンに触り始めてタイピングしているのはなんだかモヤモヤ考えていたことが急に言語化できるような気がしたからで、金曜の夜にマックで女子高生がワーキャー騒いでいる脇でパチパチと突如猛烈な勢いで書き出している。それで何が言いたいかといえば最近よく英文を読むようにしているが、慣れたとはいえ日本語よりもやはり疲れるし頭が痛くなるなあと感じた瞬間、何かしらが脳内で起こっているなということだった。

 

そこで思った。英語を使うときは脳みその違う部分を使っているじゃないかと。だから頭痛がしてくるのではないかと。いや脳科学的に物理的に本当に違う部分を使っているとかどうとかはどうでもよくて、確実に日本語脳と英語脳では思考の方法が異なるはずだ。

 

物事を考えるとき、当然日本語で考える。日本語のボキャブラリーを駆使して頭の中で考える。だから自分が所有している日本語という言語のボキャブラリーでしか物事を考えてこなかった。

 

英語を勉強することで次第に英語で物事を考えることができるようになってくる。英文を読んでどのようなことが書かれているのかを考えるときも英語脳になっているはずだ。そして普段は考えないようなことや違った見方のようなものが飛び出してくることがある。何かに気づけるタイミングが訪れたりする。

 

つまり英語を学ぶことでいつもと違うように思考することができる。脳みその潜在能力を強化できるというかそういう感覚がある。それはもちろん英語である必要はなくロシア語でもフランス語でも良いのだろうが、違う構造になっている言語をどれか一つ習得するということは物事を考えるための脳の使い方をもう一つ手に入れることになると言い換えることができるかもしれない。

 

確か村上春樹のエッセイに書いてあったのだが、村上春樹は英文を日本語に翻訳していく過程で独特の日本語の文体を手に入れたという。同じ日本語の表現でも英語を一度経由することで味わいの異なる日本語にすることができるということだ。つまり日本語→英語→日本語と戻した時には同じ文章にはならないということ。英語脳を一度経由させることで違う構造を取り込んでいるからだ。もしかすると、ループを10回くらい繰り返したら文章がより洗練されて仕上がってくれるかもしれない。

 

なぜ英語を勉強するのかについては、今後も加筆・修正してまとめていく