時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

哲学書を読む環境について

 

最近、休日に海老名SAで車の荷台で読書をするということが日課になっている。ダイハツのハイゼットカーゴの荷台に厚さ10センチのセミダブルマットレスをぶち込み荷台は完全に寝室と課しているが、かなり快適だし読書空間として完全に整っている

 

読書は環境を整えることで没頭できる。以前、ネパールのポカラという場所で3ヶ月、ひたすら一泊500円の安宿で哲学書を読むというイカれたことをしていたことがあったが、哲学書を読むには、それ相応の準備がいる。日常にどっぷりと浸かった状態から、つまり仕事を終えて週末にすぐに切り替えて哲学のその世界に入っていくには簡単ではない

 

ハイデガーの『存在と時間』を読んでいるが、こんなに頭のイカれた人間がいたと思うと嬉しくなってくる

 

存在というものは「〜であるもの」という存在という定義を使わないと定義できない最も普遍的な概念だということだが、当たり前に前提とされている概念を解明しようとしているのでぼんやりとした説明が延々と続く。読解力を上げるには哲学書が一番であるとつくづく感じる。塾で子供に哲学を読ませて国語の授業をするのもいいかもしれない。。