「あなたが今食べているのはボンゴレビアンコって言うのよ」
このような一文が村上龍の小説には登場する
先日、塾で子供に国語を教えていた時に、ふと村上龍の小説の文章を思い出し、授業で子供に教えた
読んだときはすごい文章を書くなあと思ったものだった
確かシチュエーションは、一流作家が駆け出し編集者と喫茶店で会っていて、そのスパゲッティーを食べさせた時に発言したものだったと記憶している
このスパゲッティーを食べている若者は自分が今何を食べているかもわからないと言う状況に置かれていると言うことがわかる。そんな状況など人生で多くは存在しないだろう。注文する時には自分が食べたいものをオーダーするものだろうし、誰かに連れて行かれても事前に説明があるのが普通だからだ
つまり、かなり目上の人にご馳走してもらっていて、食べ物を食べさせている人間は少し癖のある人間だとこのたった一文で限定することができる
これが想像力なのだと、授業で話しながら村上龍のすごさを再確認した
また、例えば「儚さ」という言葉の意味を簡単に子供に教えることはできない
そのような意味は経験や文脈の中で獲得していくからだ
「人生が素晴らしいのは命に限りがあり儚いからだ」
「甲子園が素晴らしいのは高校生活が短く儚いからだ」
このように話しても経験の乏しい子供にはなかなか伝わらない
そもそも儚さという言葉の意味や重みは歳を重ねるごとにわかっていくものだ