時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

新聞の役割とは

新聞の役割とは何か。

 

ニュースとは「変化を説明すること」だ。

 

扱った事象に対して過去と比較してなにが変化したかを伝えることがニュース。だから何が変化したかわからなければ当然記事は書けない。いかにその事象に関連する歴史が頭に入っているかが大事だ。その過去と比較して初めてニュースが書ける。だからニュースとは変化を説明することだ。

 

新鮮さが売りであり、ニュースはまさに生き物。

 

しかし日本の新聞社は記者クラブという世界的にもおかしなシステムを中心に回っている。一番新聞において価値のあるはずのニュースを他社と足並みを揃えて世の中に出すのだ。新聞としての最高の価値を自ら殺しているとも言える。

 

なんでそのようになっているのか。一番の価値であると思っていたニュースよりも大切な価値が新聞にはあるということだ。

 

新聞とは権力の暴走を防ぐものだ。だから批判精神が大切になってくる。社会を批判したり正しく評価することこそが新聞の価値。批判や正しい評価によって政治や経済の暴走を未然に防げる。その抑止力としての価値が新聞の本当の価値なのかもしれない。

 

しかし昨今、ヤフーなどのポータルサイトSNSに情報の発信の場を取られ始めて新聞の購読部数は落ちている。このままいけば権力の監視役としての新聞の存在は危うくなり、日本が暴走を始めるかもしれない。そんな可能性も否定できないかもしれない。

 

話は少しそれるが、プロゲーマーの梅原大吾さんはゲーム業界を盛り上げようと必死になっているとどこかの記事で読んだことがある。日本国内では日本国内での戦いがあり、アメリカでの世界大会もあるのだというが、梅原大吾さんは身につけた技術や知識を出し惜しみしないのだという。技術などを競うライバルであるアメリカにも出し惜しみはしない。それはなぜかと言えば、それで競争が生まれ、業界が盛り上がるからだ。自分の目先の勝利だけのこだわっていない。ライバルを強くすることで、ゲーム業界全体を盛り上げて、業界の底上げをしようと努めている。

 

新聞業界はどうだろう。記者クラブというのは業界の底上げに役に立っているだろうか。ポータルサイトなどの台頭に対する業界全体の姿勢は変わらずそのままでいいのだろうか。業界を盛り上げていこうという姿勢がないのは、自分の身が可愛くて、自分が死ぬまでに金を工面できればいいというだけの狭い了見でしかないように思える。つまり自分のしている仕事にほこりを持てていないのではないだろうか。自分自身の利益のためだけに仕事をこなしている人の割合が多いから、結果的として業界みずからの首を絞めてしまっている。

 

梅原大吾さんのように業界の底上げをして、新聞が生き残っていく方法を模索した方がいいのではないだろうか。