時間がくねくねしてなくてよかった

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プログラミング入門の良書【興味がない人向け】

『プログラミング入門講座(米田昌悟著)』という本をおすすめする。プログラミングに興味がない人にこそ読んで欲しい。プログラミングがどれほど魅力的なのかをこれほど分かりやすく丁寧に説明してくれる本はあまり無いと思う。子供がいる方には特におすすめかもしれない。本の紹介と感想を載せる。

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想定読者

この本の想定読者は以下の通りだ。

 

「できるだけ効率よくプログラミングの基本を習得したい人」

「プログラミングに興味はあるが、そもそも学び方がよくわからない人」

「社会人の一般教養としてプログラミングの基本を身につけておきたい人」

「子供のプログラミング教育に興味のある人」

 

 

このような情報がほしい人へ向けて書かれている。想定読者が冒頭に書かれているのだが、期待していた内容と異なる本を買って欲しくないないという気遣いにまずは感心させられた。

 

 

読者への気遣い

さらに感心させられたのが、本の冒頭に「お問い合わせ」に関する記述を丁寧に設けていたことだ。何かご質問あればこちらまでご連絡くださいと細かく書かれている。その態度にもとても好感が持てるものだった。

 

上記の2点には、読者への気遣いが見て取れる。読者が求めるものを、正しい順序で示してあげることも、プログラミングによる論理的思考があればこそではないかと感じさせらた。そしてとにかく本を売ってやろうという態度でないことに好感が持てる。どんなに良いことが書かれていても、必要とするかしないかはその人次第だという考えがみてとれる。

 

なぜプログラミングが必要か

著者は、プログラミングのスキルは今の子供たちだけではなく大人にとっても必要不可欠なスキルであると言い切っている。

 

世界中のIT企業で慢性的な人手不足であるという現状もあり、英語のスキルがあれば海外で働くことも可能であるだろうし、海外に住みながら完全リモートで働くことももちろん可能だろう。そんなにうまい話はないと疑ったりする人がいると著者は触れているが、確かに甘くはないだろう。しかし、それほど難易度の高いことでもないと著者は主張している。

 

i padなどの登場でCDやDVDが売れなくなったのは遠い過去の記憶だが、最近では白タクを提供するUBERが交通サービスの常識を覆しているし、個人で住まいを貸し借りできるAirbnbといったサービスがホテル業の常識を変えている。著者はそのようなことにも触れているが、今ある仕事がどれだけ将来残っているかなんて全くなんの担保もないことだし、少なくともプログラミングやITの知識やスキルはこれからもっと必要になってくるのは間違いがない。UBERやAirbnbなどを見ていると、個人対個人のビジネスが圧倒的に増えてきている。メルカリで物を売るのもそうだろう。エジプトではUBERの利用がものすごく普及していたし、そういったリテラシーがある人はサクッと金を稼いでいた。メルカリでうまく物を売ってやりくりする主婦とそうでない主婦とでは、家計の豊かさも異なってくるだろう。ちょっと知っているか、ちょっと応用できるか、それだけで大きな差になってくる。これからIT化がさらに進めば、その差は大きくなるだろう。

 

変わるのはこだわりを捨てることじゃない

そんな風に働き方が変わってきているのだ。時代に合わせて考え方やスキルは変えていくべきだろうし、変えた方がきっと楽しい。別に板前が板前をやめろとかそういうことを言うつもりはなくて、何かを変えたい人は変えていけばいいし、変えられるように何かを学べばいいと思う。NHKの仕事の流儀でこの道70年のうなぎ屋のご主人の話を見たが、何世代も天然のうなぎを扱ってきたことを売りにしていた店だったが、天然物のうなぎが入手しづらくなり、養殖物を扱うようになったのだという。天然物と養殖物では当然、脂の乗りが異なるので、焼き方なども養殖物に合わせて変化させなければならなかった。天然物にこだわっていては店は今は継続できていないかもしれない。そのうなぎ職人は「守るために変化」をしたのだ。もちろん、天然物が入手できないのであれば「店をしめる」という判断もアリかもしれないが、変化して継続させた方が楽しいに決まっている。焼き方などを工夫するという知恵やスキルも自分で考えて身につけなければならないし、そのアイデアや努力がお客を楽しませることにつながれば、そんなに楽しいことはないからだ。変にこだわりを持ち天然物が入手できないからと店をたたみ、食っていくための仕事を死んだようにやっていくというシナリオもありえたはずだ。昔から残っている料理屋ほど、私は変化を続けてきたのではないかと思う。これが最善、とそう思った時点で成長は止まる。この味が最高点、これ以上はない、そう思い込んだ時点で、成長は止まる。天然物が手に入らなくなり、同じ味が出せなくなっても、新しい方法を確立していくこともできるのだと、そのうなぎ職人の生き方からは勇気をもらった。

 

面白そうならやってみればいい

AIとか面白そうだなとか、そのように思うのなら今からプログラミングを勉強したっていい。私は今37歳だが、大真面目でプログラミングンの学習を始めたところだ。まだ3週間目だが、HTML、CSS、MySQL、PHPなどはとりあえず触れるようになったし、プログラミングの概念もあまりに面白くてせっせと吸収している。とても面白い世界だなという実感を持てている。別に飽きたらやめればいいし、面白いなら続ければいいし、結構簡単に考えている。何かにつながればラッキーとか、のめりこめたら運がいいなとか、稼げるようになったら儲けものだなくらいの気持ちで始めてみたが、想像をはるかに超えて面白い。一番よくないのはやらないで批判したり、無駄だとケチをつけたりすることだ。もう40歳だからとか、やっても仕方がないとか、もし興味があるのにそんな風に考えているのだとしたらもったいない。本当に興味がない人はいちいちケチなんかつけない。自分がやりたいことを必死でやっている。心のそこからプログラミングとか勉強する必要ないと、もし聞かれたら言えるだろう。しかしそんな人は決して何かを始めようとしている人を否定なんかしない。心で思っていても黙っている。

 

批判するだけの人はただの暇人

他人が何かをやっているのを批判するような人はただの暇人だ。話は(かなり)変わるが、シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが11月2日に日本で記者会見を開いた。私はその映像をYOUTUBEで見たのだが(トータルで3時間近くもあったのだが)、想像以上にまともな人だなという印象をもった。まず態度が卑屈ではなかった。何も隠すことはないという態度だった。目も確実に生きていた(先入観では卑屈な態度で死んだ目をしているのではないかと勝手に想像していたのだ笑)。話し方は落ち着いていて、そして何より記者の質問に対してものすごく真摯に答えていた。だいたいやましいことがある人間は適当に答えるし、言葉を濁すし、早く会見を終わらせようとするだろう。しかしそんな態度は一切なかった。記者の質問に熟考し、しっかりと言葉を選んで、必要以上に詳細を話していた。安田純平さんが国民に対してできることは、できる限り詳細に事実を話すことではないかと思っていたが、これ以上ないほどその行為が実行されていたと思う。私はかなり驚かされて、この記者会見を見てまともな人だという気持ちを持ったものだが、他の視聴者は違う意見が多かったようで「いいね」が約1000件に対して「Bad」が1万件もあった。確かに朝日系列の記者へ質問を当てることが多かったのだが、他にどこにBadを押す理由があるのかと疑問で仕方がなかった。確かに拘束された経緯は軽率だったかもしれない。しかし記者会見に望む態度と対応はこれ以上ないほどだったと思う。私はそこで仮説を立てたのだが、そのようにBadを押したり、くだらない中傷や批判的なコメントを書いたりそれに「いいね」を押すような連中は「チャレンジしない」かつ「自分の居場所がない」連中なのではないかと思った。だからチャレンジした人間が失敗すると「ほらみたことか!」「責任取れよ!」と一斉攻撃を仕掛けるのだ。彼らにしてみれば全然関係ない他人であり、大きな直接的危害を加えられた訳でもないのに「自己責任」だなどとわめき散らし、そこまで攻め立てるのは「ひがみ根性」でしかない。何も自分で変えられず、どこにも居場所がない寂しい人間だと思う。

 

論理崩壊するな

きっとそういう人間はプログラミングなんて勉強しないのだろう(無理やりつなげた笑)。もしかしたらプログラミングをやっている人の中でもひがみ根性丸出しの人がいるかもしれないけど、あまり想像はつかない(し、いたとしても大したプログラマーではないだろう)。プログラミングができる人は少なくとも、論理的に物事を考えられる能力は身についていると思う。プログラミングは考え方を学ぶことができるからだ。考えをどこかから吸収するだけではなく、考えるための「基礎」を学べる。プログラミングの作業はデバックというエラーを探す作業が多くなるというが、とにかくあらゆるミスきちんとを疑わなければならないということだ。問題を探して、どこが間違っているのかを検証していく能力。安田純平さんの動画に批判的なコメントを書くほとんどの人間はきっと(これは完全に決めつけだが)動画を全て見てはいないだろう(3時間もあるのだし)。中身を全て見ずに「なんか髭面で胡散臭いやつだな」とか「どうせ自作自演なんだろ」などと先入観だけで判断しているのではないかと想像できる。プログラマーならば少なくとも、そんな先入観だけで判断するようなことはしないと思うのだ。どういう考えがあり、なぜ危険を犯してまでシリアに行き、どうして捕まったのか、外務省の世話になりどういう心境でいるのか、なぜジャーナリストは紛争地帯にいくのか、そういった中身を検証して、そして判断することだろう。それができないプログラマーはろくな仕事はできないと思う。

 

可能性が広がる

何事も決めつけてはもったいない。プログラミングはとても興味深い。そしてこれから必要になってくるものだ。全ての人間がプログラミングそのもので飯を食うとかそういう話じゃないが、生活の多くの部分をITに依存し、ITと関わっていく社会に移行しているのだから、無視するわけにもいかないし、学んでおいて全く損はないと思う。プログラミングそのものを仕事にしなくても、プログラミングを通してITの世界に対するリテラシーを持ち、考え方を活かすことは必ずできるだろう。プログラミングとは自分のアイデアを表現するものであり、ただコードを書く作業ではない。プログラミングの基礎的な考え方が出来れば、自分でアイデアを膨らませて、優秀なプログラマーに仕事を依頼して、自分のアイデアで世の中を楽しくすることも可能になるだろう。ホリエモンなどまさに典型的ではないだろうか。

 

人に理解されないことほど新しい価値観を生む

時代はいつでも変化するが、今は急速にIT化が進んでいる。この変化に対応していくには価値観を塗り替えていかなければならない。これまでにない考え方であれば、人からは簡単に賛成などされない。むしろ批判ばかり受ける。親を安心させることも大切だが、親を心配させるくらいの方が実は時代に適合できていると言える。私はそのように思う。いつの世も親は子供を心配するものだと思うし、親にはなかなか理解されないものだが、それは親の価値観が時代と共に作られたもので、子供の世代と同じであるはずがないので当然のことなのだ。親にも理解されず、親だけでなく同世代からも理解されないような生き方とか考え方を持っているならば、それは新しい価値観を生み出すチャンスと考えた方がいい。その価値観とかアイデアを形にできるのがプログラミングなのかもしれないし、プログラミングが何をもたらすのかは人それぞれ違うだろうが、自分のすでに持っているスキルなどに付加価値として、もしくは全く別の行き方などをもたらす可能性なんかも高いと思う。

 

 

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