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角幡唯介の『漂流』を読んだ

角幡唯介著『漂流』を読んだ。

 

著者の作品は好きでよく読むのだが、海外での探検の話やそれにまつわるエッセイが多い中、この作品は珍しく探検をしない作品となっている。

 

発売とほぼ同時に買ったのだが、少し読み始めてなんだか暗いじめじめしたような印象を受けて「求めているのはこれじゃないんだ」と読むのをすぐにやめて放置していた。

 

ところが最近、ヤフー記事か何かで石川直樹という写真家がコロナ禍でどう過ごしているか、と言ったような記事を読み、そこで角幡唯介を思い出し、石川直樹と角幡唯介が対談している記事はないかと探していたところ、いとうせいこうと角幡唯介が対談している記事を見つけ、その中で『漂流』が「これまでに最高の出来だ(対談の記事はおそらく漂流を書いたあとすぐくらいのもの)」みたいなことが書いてあったので、コロナで暇だし読んでみるかと読み始めた。

 

つまらないんだろうなと決めつけて読み始めるのと、最高の出来だというのを受けて読み始めるのでは違うのかもしれないが、以前手に取った時よりもさらに読み進めたところ、取材の動機について触れている部分があり、その動機を知ったらとんでもなく面白い読み物に思えてきて、一気に読めてしまった。海外で探検、という興味を引きそうなテーマでないという理由で読まずに置いておいたのは間違いだった。著者は探検家だが、漁師が漂流することは陸の探検家が体験できる探検を超えているのではと思いをめぐらし、過去に漂流したと記事になった人物に話を聞きに行こうとして書かれた作品だ。

 

著者は探検家としてとんでもない作品を多く残している人で、しかもスポンサーや資金提供などを受けることなく自分で稼いだ金で探検をして文章を書いている。理由は他人の干渉を受けたくないとかそういう理由だったと思う。他人から金をもらってしまっては、完全に自分が書きたいように書けなくなってしまうということなのだ(というようなことがどこかで書いてあったと思う)。

 

 

角幡唯介は、探検界(と言ってもごく少数)でも、作家界でも数少ない本物の人物であると思う。しかし爆発的に知名度があり人気がある訳ではない。私はこれまでに出会った作家の中で一番好きだ。読書が好きで、特にノンフィクションが好きでよく読むが、ダントツで面白い(高野秀行も沢木耕太郎も好きだ。沢木耕太郎なら凍、檀、一瞬の夏あたりが好きで、高野秀行ならワセダ三畳青春期、アジア新聞屋台村あたり。また服部文祥の作品もほとんど読んだ)。ノンフィクションに限らず、小説、エッセイ、思想、哲学なんかも好きだが、それら全て含めても角幡唯介はダントツで面白い。

 

角幡唯介がなぜ面白いかを考えていきたい。これは偉そうに評価するのではなく私の素直な感想だ。解釈が間違ってる可能性もあることをまずは断っておく。

 

まず、自らが行為者となっている。だから文章にリアリティがある。探検前、探検中、探検後の思考、葛藤、発見などが驚異的に面白い。探検の動機が示されている。その動機が本質的である。人間なら一度は考えたことがあるような本質的な部分を掘り下げていくので興味が止まらない。本質的なテーマを扱うが、行為自体は地道で根気よく確実に本質に迫っていく。とんでもない作業量で取材して事実を明らかにしていく。そしてそこに自分の行為が重なっていく。事実と行為が交互に展開されたりして飽きさせない構成になっている。ノンフィクションという偶然性に左右されるものを完成度の高い読み物として書ききっている。とんでもない探検スキル。思考スキル。文章力。全てが超一流。それでいてドジをやり、リカバリーもしていくような対応能力。金もうけや知名度アップに走らない。共感を得ようとして目的を見失わない。スポンサーを得ていない。だから面白い。オリンピック選手とかイチローとか有名なスポーツ選手は楽しめてスポーツできていないというが、それはプレッシャーがかかるからだと解釈している。なぜプレッシャーがかかるのか、それは他人に期待されているからだろう。人間であれば人から期待されれば他人のために行為を行おうと考えるはずだ。ましてや介入してあれこれ言われては自分のやりたいようにはできない。人の期待を背負わないことで自分の哲学を貫くことができているのだろう。そして、行為のレベルの高さが半端ない。必要なスキルは獲得していく。その過程も書かれていて面白い。誰もやっていないことをやっている。むしろあえて避けている。前例がないから試行錯誤がある。その過程が書かれている。思考も。失敗したことも書かれている。つまり人間のチャレンジが生まれる瞬間から達成されるまでを読める。ただのノンフィクションではなく、哲学書、思考書でもある。何かを専門に取材している記者が「そろそろ長くまとめられそうだから」と細かい取材の延長のような作品ではない。「価値があるだろう」というような社会性を意識した作品でもない。誰かのために書いていない。もちろんお金のために書いていない。純粋に自分の好奇心を追求している。完全に自由。誰かのためでないのにモチベーションを保ち書ききる力。これほど面白い作家はいない。

 

なんとなく角幡唯介がなぜ面白いのか適当に思いつくままに書いた。紹介しようと思った『漂流』がなぜ面白いのかも考えていきたい。

 

はじめにも書いたが著者が探検したものではない。でもかなり面白い。探検しなくてもこれだけ面白いのだから、角幡唯介が面白いのは探検の派手さだけではないということがこの本を読んでいるとわかる。漂流した人物を浮かび上がらせるアプローチが徹底している。周辺人物に徹底的に当たる取材だけでなく、取材対象者がどれほど信頼に値するかなどの考察も鋭く、丁寧に丁寧に主観や断定を避けつつも事実に迫っていき人物を浮かび上がらせている。さらには自ら漁船に乗り込み取材を敢行している。話だけ聞いてわかった風になりたくないという考えだ。その著者の真剣さと誠実さが漁師や関係者を動かし、新たな協力者につながっていく。取材の完成度だけでも相当なものなのだが、それに加えて角幡唯介の考察力の高さと表現力の高さが加わっている。事実を丁寧に追っているからこそ、考察にも説得力が生まれている。過去に漂流した人物を追って沖縄まで行ったが、その人物は現在進行形で漂流していて、その展開から周辺の人物の取材で本人を浮かび上がらせていく。ノンフィクションとはいえある程度は予定調和で進めていきたいところに生まれてきた違和感などにも目をそらすことなく、その違和感を大切にして追求していく。シナリオを作って型にはめていくような偽物のノンフィクションではない。扱っているテーマが漂流で、漁師の暗い部分なども多く、民族史など興味がない人には退屈に感じてしまいがちな内容でも、読ませる文章力は圧倒的。シリアスな中でこそ生まれる笑いも盛り込まれている。それもごく控えめに。それがいい。次から次へと明らかになる事実に興味を持ち、いい意味で流されて取材の幅が広がっていき、そしてバラバラになることなくまとめ上げる筆力。自らが探検家として行為者になれる人物が徹底して客観性を保ち書ききった作品。自らも行為者になれるからこそ深い考察が生まれている。真実(という言い方が適しているかはわからないが)により迫れている作品。