人間は必ず後悔する生き物ではないだろうか。
もしも、必ず後悔する生き物であるという仮説を立てると、いつ後悔すべきかという話になってくる。
いつも後悔しているような人がいたとする。しかしそんな人はその時の後悔を材料にして、後悔しないように生きようと考えるだろうから、その後悔の濃さが次第に薄くなっていくのではないだろうか。
後悔を全くしていない人。その人こそ、実は気をつけなければならない人なのかもしれない(気をつけなければというのは私の勝手な価値観であるが)。
つまり、見て見ぬ振りをしている可能性が高い。自分の選択は完璧だ、などと思える人間などいるのだろうか。人は誰かと比較してしまったり、人の人生を嫌でも垣間見るだろう(それこそ山にでも篭って野菜でも作って生きていればそのようなシーンには遭遇しないのだろうが)。
「これでいいのだろうか」と思いながらも盲目的に信じ切っているような人は取り返しのつかない時に後悔してもどうにもならない(この私の文章を読んで腹を立てるような人は予備軍かもしれない)。
でも、死ぬ直前まで自分を騙し続けて生きているのはそれなりに幸せかもしれない。死ぬ直前は(それこそ死ぬほど)後悔するのかもしれないが、誤魔化して生きてきたときはきっと後悔という感情がなかったのだから(というか殺していたのだから)苦しくなかっただろう。最後に苦しいだけだ。それなら幸せな気持ちを人生の大部分味わえるからいいのかもしれない。
結局、そんなことは本人にしかわからないし、人間はきっと(矛盾しているようだが)最善を常に選択して生きている。得る材料によって判断は当然変わるが、その材料を得ようとするか、見てみないふりをするかは、やはり人それぞれで変わるからだ。選択肢を広げるのも狭めたいのもその人次第で、タイミングとか出会う人とか何かの偶然とかで、決めてしまうものも多いだろう。やはりできることは自分の心ときちんと対話することしかないのかもしれない。ていうかそんなこと考えていない人がもっとも幸せなのかもしれないけど(死ぬときすら考えないかも)。