時間がくねくねしてなくてよかった

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中央アフリカ共和国を1000キロ横断した話

これは私が2012年3月に中央アフリカ共和国を1000キロ横断した時の話である。

 

 

カメルーンからバイクで国境越え

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バスの座席はギュウギュウに敷き詰められていて、そんな中で小さくなっているとまるで家畜にでもなったような気分がした。隣の人間との間隔は狭く肩と肩が触れ、人の汗が服にしがみついてくる。照りつける太陽と人間の熱気で、車内は蒸されていた。開放された窓から入ってくる風は、私のところに到達する一歩手前で力なく熱気によっておおよそかき消され、たまに一筋の弱々しい風が頬をなでるくらいだった。

 

コンゴ共和国からカメルーンに入国した私は中央アフリカ共和国へと向かっていた。カメルーンは通過するだけと決めていたので、毎日移動する日々が続いていた。中央アフリカ共和国というよく分からない国に早く行ってみたいという思いが強く、コンゴ共和国から最短距離で向かおうとしていた。そのため、カメルーンの主要都市には寄らず、通過するだけになっていた。それでもアフリカ大陸は広いもので、世界地図を眺めているとすぐにでも到着しそうに見えるのだが、実際にアフリカ大陸に身を置いている感覚はそれとは大きく異なり、道が舗装されていないという条件も合わさってか、予想よりもはるかに時間は掛かっていた。しかしそんなカメルーンでの移動も終わりが近づいていて、中央アフリカ共和国との国境がある町にもうすぐ到着するところだった。

 

カメルーンの公用語はフランス語と英語だが、コンゴ共和国から中央アフリカ共和国までに通過した地域ではフランス語が主に話されていて、英語を喋る人間は少なかった。バスの中で隣に座っていた男はナイジェリア人で英語を喋った。あまりベラベラと話をするタイプの人間ではなかったが、たまに少しだけ会話をした。腕など丸太のように太く怖い印象を初めは抱いたが、優しい男だった。

 

「あいつらは本当に腐っている。お前はどこに行っても賄賂を要求されるだろう。しかし男なら戦え、決して金など払うなよ」

 

これから中央アフリカ共和国へ行くという話をすると、そのように声を掛けてくれたのだった。

 

アフリカでは賄賂の要求というのはどこにでもある話だが、特に中央アフリカ共和国という国はこと賄賂に関しては幾らか名が知られていて、事前に情報を集めたときにも、それに関する記述がいくつか目に飛びこんできた。検問が多く儲けられていて、そのたびに警察や軍人から賄賂の要求がある、といった内容だった。

 

中央アフリカ共和国の話題が出てすぐに、力のこもった口調で言ってきたところをみると、このナイジェリア人はよほど嫌な思いをしたに違いなかった。このいかつい男に対しても執拗に賄賂の要求をしてくるほど、中央アフリカ共和国の役人というのは横柄で破廉恥な人間が多いのだろう。そんなことを簡単に想像させられた。まったく面倒で憂鬱な話だった。

 

もし私がこのナイジェリア人のような体格をしていれば、この男の口から出た言葉に奮起され、中央アフリカ共和国の役人と戦ってやろうなどと思い立ったのかもしれない。しかし、どう見積もってもそんな自信が沸いてくるような筋肉も度胸も持ち合わせていなかったので、戦おうなどとは一切考えなかった。やはり戦わないのが私の取るべき手段で、そのためにはなるべく低姿勢になり波風を立てないようにするべきだろう。そしてそれでも目に付いてしまったら金を出すというのが最善の選択であるように思えた。このナイジェリア人の気持ちに応えてやりたい気持ちはあったが、冷静に自分の能力と立場を考えたら戦うなどという選択肢はありえなかった。

 

しかしそんな情けない話をこのナイジェリア人にすることができない私は「オッケー」などといい加減なことを口にした。そしてこのナイジェリア人はそんな励ましの言葉をかけてくれただけではなく、「何かあれば連絡をしてこい」と携帯番号を渡してくれた。アフリカにはたまにこのような正義感の塊のような男が存在する。

 

中央アフリカ共和国との国境の町は、ケンゾウという日本人の名前のような町だった。そして到着したとナイジェリア人が教えてくれたので、バスを降りることにした。しかしどうみてもここが町であるとは思えなかった。辺りには何もなかった。どういうことかとナイジェリア人に聞いてみると、ここはまだケンゾウの町ではなく、ここからバイクでジャングルを抜けて町まで行かなくてはならない、ということだった。どうやらジャングルをバイクで抜けられる近道になっているようだった。

 

国境に向かうのは私だけだったが、私のためにナイジェリア人が気を利かせてバスを止めてくれたのだった。そしてバスを待たせたまま、ナイジェリア人ともう一人バスに同乗していたカメルーン人の男がわざわざバスを降りて、バイクタクシーと交渉を始めてくれた。バスが止まったところには、バイクタクシーの男たちが何人かすでに待機していた。おそらく国境へ向かう人間をここで捕まえるのが、彼らの客を獲得する手段なのだろう。ナイジェリア人たちはその中の一人を選んで話を始めた。

 

「こいつをちゃんとケンゾウまで連れて行け。何かあったらただじゃおかないからな」

 

きっとそのようなことを言ってくれたのだろう。そのバイクタクシーの男はナイジェリア人を前にして小さくなっているように見えた。

 

そして交渉が終わり、一人の若い男がドライバーとして選ばれたのだった。ナイジェリア人たちが選んでくれたのは体格のいい「強そうな男」だった。私ならばまず一番に避けて選ばないような男を選んでしまったのだった。まず第一に良いやつそうか悪いやつそうかというのが基準になり、次に強そうか弱そうかというのが基準になる。悪そうな人間かどうかは、しばらく話をして判断しなければならないが、強そうか弱そうかは一秒で判断できる。ナイジェリア人は少なくとも強そうな男を選らんでしまったのだった。この男とジャングルの中をバイクで二人きりで走らなければならないのだ。しかしバスを降りてバイクタクシーの男と交渉してくれたこの親切なナイジェリア人に、どうしても「ノー」と言うことが出来なかった。

 

その強そうな男の運転するバイクの後ろにまたがりながら、辛うじて道と呼べるところを走っていった。木々に覆われたジャングルの中では時折、人々が生活している風景が映し出された。人々は木と葉で出来た粗末な家でひどく原始的な生活をしているようだった。そしてバスの停車した場所から遠ざかるにつれて民家は減り、次第に人の気配もなくなってきた。ドライバーは脇目も振らずジャングルの中を走り続けた。

 

この男は英語を喋らず、そして英語で何か会話を試みても無駄だった。この男が話をしないのはおそらく英語を喋らないからではなく、ただ無口だからだった。よく喋る人間であれば、例えこちらが現地の言葉を理解しなくてもお構いなしに喋ってくるものだ。無駄話をしたい訳ではなかったが、この男が本当に信用できるのか少しでも情報を集めたかった。アフリカにいるバイクタクシーのドライバーは愛想がいい人間が多いが、この目の前にいる男は一言も口を利かずただ黙々と運転を続けていた。愛想が良すぎても疑ってしまうものだが、無口すぎるというのもやはりどこか不安になるものなのだ。

  

やはり奥にいた小柄で気の弱そうな男を選んでおけば良かった、などとそんなことばかりが頭を行き来していた。輪をかけて私は心配性なので、きっと人よりも悪い想像をしてしまう。ひとたび疑心暗鬼に陥ると、思考のベクトルは頻繁に向きを変え、あれこれと余計なことまで考えだしてしまうのだ。そんな自分のことなど嫌というほど分かっていたはずだった。そのため人選びは慎重にする必要があった。いつもならば出来るだけ時間を掛けて話をしてから、人を選ぶようにしていた。だからこそ自分ではない人間が選んだこのドライバーを信用できずにいたのだった。ナイジェリア人にはとても感謝していたが、人の親切を踏みにじる形になったのだとしてもそこは徹底するべきだったのだ。ナイジェリア人の男気を見せ付けられたことにより、心のたがが緩んでしまい、人任せにしてしまったのだ。ひどく後悔していた。道は一本道だったので、たとえ何かあってもバスを降りた場所に戻ることはできる。何か不審な点があればすぐにでもバイクを降りてやろうと考えていた。

 

次第に道の状態は悪化していった。しかし慣れているのか、ドライバーは悪路の中でもスピードを緩めることなく進んでいった。すっころんで笑い話にでもなれば愉快だが、怪我でもしたら目も当てられない。男の肩を叩きながら「減速してくれ!」と叫び、減速を促した。すると分かってくれたようでアクセルを緩めてくれた。そしてそのことが私を少し安心させた。減速の仕方が丁寧だったのだ。アフリカ基準では紳士的であったとも言える。初めてこの男とコミュニケーションが出来た気がした。その後もスピードを上げることなく男は運転を続けた。悪い男ではなさそうだった。

 

走り始めて40分程が経過したころ、川が目の前に現れた。茶色く濁った流れの穏やかな川だった。どうやらこの川を渡らなければならないようだった。対岸に目をやるとピローグ(小舟)がこちらに向かってくるのが見えた。どうやらバイクをピローグに積んで対岸に渡るようだった。なるほど道は狭く、川があり橋がないのであれば、バイクを使うしかないわけだ。そのピローグは子供が粘土をこねくり回してつくったように歪な形をしていた。木をそのままくり貫いただけの沈んでしまいそうな舟だった。そんな舟を舟渡しの男は器用に操っていた。

 

接岸すると、その舟渡しの男はバイクタクシーの男とどうやら顔見知りのようで、なにやら話をしていた。その舟渡しの男は気さくな男で、片言の英語を駆使し私にも沢山話しかけてきた。そして一緒に写真を撮ろうなどということになり、バイクタクシーの男も入れて写真撮影が始まった。そんなことがあり、ようやく少し安心することができた。

 

舟渡しの男とバイクタクシーの男は器用にバイクをピローグに積んでいった。乗れと言われたので恐る恐る足を運んだ。見た目は悪いがきちんと浮力は備えているようで、どうにか沈まずに済んだ。舟渡しの男は陽気に鼻歌など歌いながら対岸へ向かって舟を進めた。すると突然川の中から小さな男の子が顔を出した。濁った川で中が見えなかったとはいえ、今までどこに潜んでいたのかというほど気配が感じられなかった。少年は忍者のように立ち泳ぎをしながら舟渡しの男と会話をしていた。しばらくして会話を終えると、まるで川の中が自分の家であるかのように、再び川にその身を沈め、姿を消した。舟渡しの男に聞くと彼の弟なのだといった。こんなところで育てば毎日のように水浴びをして遊ぶのだろうが、きっとあのような子供が河童と間違えられたりするのだろう。

 

川を渡り終えてからしばらく走ると、中央アフリカ共和国との国境の町ケンゾウに到着した。

 

町はのどかな田舎町といった趣があり、人々は穏やかに生活をしているようだった。町の中心には巨大なコンクリートのオブジェがあり、その中には国境の町らしく地図が描かれていた。下校途中の小学生の姿もあり、サイズの大きいブルーの制服を着た子供たちがキャッキャッとこっちを見ながら興奮しているようだった。

 

 

賄賂要求

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時刻は午後の2時だった。風はその存在を自ら隠すかのように草木一本揺らすことなく静かで、太陽は相変わらずその圧倒的な日差しを地面に注いでいた。目に映るのは赤茶色の大地と、生い茂ったジャングルの木々、そしてペンキを塗りつけたような青い空だった。

 

私は中央アフリカ共和国との国境に辿り着いていた。その国境には建物はなく、木と葉で出来た雨よけのようなものがあるだけで、およそ国境になければならない威厳のようなものは一切なかった。それは、想像していたこの国の国境のイメージに限りなく近いものだった。

 

国境にいた人間も、まるで打ち合わせでもしたかのように抱いていたイメージと重なっていた。面構えなどは完璧な仏頂面だった。そんな男がまるで日光浴でもしているかのように、深く椅子に腰掛けていた。どうしたらここまで、というほどに悪い人間だという雰囲気を放っていた。何か会話をする必要などなく、私はこの男が悪いやつだと決めつけた。

 

その男に近づいていくと、椅子にのけぞった体勢を少しも変えることなく、まるでハエを見るように私にその細い目を向けてきた。出来れば会話などしたくなかった。私が「ハーイ」などとその男の前で挨拶をすると、男は「パスポート」とまるで蚊が鳴くような小さな声を発した。ずっとこの椅子に座って生活しているのではないかと思えるほど、全てが面倒くさいというような雰囲気がこの男からは出ていた。パスポートをその男に差し出すと、男はパスポートを舐めるように見始め、そして関係のないページまで延々と眺めていった。そして穴の開くほどパスポートに目を通すと、鼻をかんだティッシュペーパーでも投げ捨てるように、それをテーブルに放り投げた。そしてまるでそれが常套手段であるかのように、次の言葉を言い放った。

 

「俺とこいつに5000ずつだ」

 

自分と部下にそれぞれ5000セーファーフラン(約830円)の賄賂を臆面もなく要求してきたのだった。

 

それは本当にシナリオがあり、この男は役者か何かではないかと疑ってしまうほど、見事な一場面だった。この国境の雰囲気から始まり、役人のルックス、態度、賄賂の要求、全てが映画でも鑑賞させられているかのような出来栄えだった。

 

私は賄賂の要求を拒否した。するとこの男は次のような卑劣な言葉を口にした。

 

「それならばお前は日本に帰れ、今すぐに、バーイ」

 

国境の職員としての職務の遂行など、この男にはどうでもいいことなのだ。金がもらえるかどうか、それだけだ。そしてその金を巻き上げる行為にすら真剣さが感じられなかった。工夫や努力というものが見られなかった。金を払わなければならないような、もっともらしい理由をつけて要求してくるわけでもなく、ただ楽をして金が欲しいといった不愉快さがそこにはあった。

 

そんなやりとりをしていると、カメルーン方面から1台の車がやってきた。車の中からは2人の男が出てきて、話をするとカメルーン人で、私と同じように中央アフリカ共和国に入国するとのことだった。トヨタのランドクルーザーに乗っていて、金を持っていそうな2人組だった。お前はどうしたのだと聞かれたので、賄賂の要求をされて困っていると伝えると、賄賂を支払わなければここは通してもらえないよ、などと言った。

 

そしてこのカメルーン人は10000セーファーフラン(約1670円)をその役人にあっさりと渡すと、車に乗り込み、そそくさと国境を抜けて走り去ってしまった。

 

自分がひどく馬鹿なことをしているように思えた。彼らの行動は賢いように思えた。おそらくあの連中は頻繁にこの国境を通るのだろう。判断に迷いがなく、慣れている様子だった。毎回無駄なやり取りをして、時間を無駄にするようなことはしないのだ。

 

私はある紙切れを準備していた。それはフランス語で「財布を落としました」と書かれたものだった。私は小賢しくも、カメルーンの出入国管理事務所でそんなものを書いてもらっていたのだ。賄賂の要求があったときに見せてやろうと思っていた。そして私はその紙切れをその男に見せて、財布を塵が舞うほどひっくり返しながら、こう言った。

 

「これが俺の全財産だ。首都バンギに友人がいるからそいつに会うまでこの金で旅しなければならないんだ」

 

臭い芝居だった。その台詞を言い終えた途端、自分はいったいこんな所で何をやっているのだという虚しさに襲われた。そしてひどく疲れた。「波風を立てない」と考えていたはずなのに、気がつけばこの国の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。

 

結局、体力と精神力の消耗とを引き換えに、賄賂を払うことなく国境を通過することに成功した。しかしそのやり取りの為に、1時間ほど時間を無駄にした。待たせたバイクのオヤジにもチップを弾まなくてはならなかった。

 

賄賂を頑なに拒否するメリットなど果たしてあるのだろうか。

 

私は国境からカムボラの町に向かう途中、バイクのオヤジの背中にしがみつきながら、そんなことばかり考えていた。

 

自分は賄賂など渡さない、と自分で何かの信念をもって貫くことには意味があるかもしれないが、そのような信念を特に持たない人間にしてみれば、アフリカの汚職をいちいち気にする必要などないだろう。金を渡さないことで身に危険が及ぶ、というのは紛争地域でもない限り可能性は低そうだが、身の危険とまでいかなくても入国を拒否をされたり、通行の許可が下りずに引き返さなくてはならない状況に陥ったり、一時的に拘束され時間を無駄にするということは起こりうるだろう。そのような面倒とアフリカの役人が要求してくる小額の賄賂の支払いを天秤にかけてみれば、どちらにするべきか判断するのにそれほど時間を必要としないはずだ。飴をしゃぶらせる人間がいるから、次から次へと賄賂を生み出してしまう、という見方もあるかもしれないが、やはりそんなことはどうでもいい。相手は成熟した大人であり子供ではない。甘い汁はすでに嫌というほど吸っている。たとえ賄賂の要求を必死に拒み小さな抵抗をしたところで、改心する余地などほとんどないだろう。外国から来た無力な人間が役人の汚職という問題に首を突っ込む必要もない。いかに波風を立てずに空気のように通過するかという一点に尽きる。アフリカでは賢い旅人にならなければならない。

 

カムボラの町につく頃には、賄賂要求に対する自分なりの考え方がまとめられていた。国境で感情的になり賄賂の要求を子供のように拒否し、時間を無駄にしてしまった自分にひどく腹が立っていた。もう国境で起きたような面倒は繰り返したくはなかった。

 

国境からカムボラの町までは20分ほどで到着した。中央アフリカ共和国に到着したからといって、もちろんカメルーンから急激に景色が変わるわけでもなく、相変わらず赤茶色の大地が眼前に広がり、ジャングルの木々が生い茂っていた。

 

このカムボラの町から首都のバンギまでは、およそ1000キロの道のりになる。道路もろくに舗装されていないこの国での1000キロは、途方もなく長い距離に感じた。

 

まずバイクのオヤジに中央アフリカ共和国の出入国管理事務所まで連れて行ってもらい、入国手続きを済ませた。賄賂の要求も待たされることもなく、その職員は簡単にスタンプを押した。

 

出入国管理事務所には、先ほど国境で会ったカメルーン人たちがまだそこにいた。彼らはこれから次の町であるベルベラティに向かうということだった。ベルベラティとはここからおよそ100キロ東にある町だ。このカメルーン人がいうにはやはり公共の交通手段はこの町にはなく、自分で次の町に向かう乗り物を探すしかないとのことだった。

 

私は彼らの車に乗せてもらうことにした。日も傾き始めていて、この町に1泊しようと考えていたのだが、この小さな町では車を見つけるのも簡単ではなさそうだったのだ。そして彼らの所有している車はランドクルーザーであったし、このカメルーン人は旅なれている様子だった。何よりも国境で私に興味を示すことなく去っていったという事実があったので、信用できた。すぐに出発するというので金を支払った。5000セーファーフラン(約830円)という言い値だった。乗り物がランドクルーザーであることを考えれば、安い値段だった。

 

カメルーン人によると、北を平行して走る国道3号線なら道路も舗装されていて、比較的車両も見つけやすいということだったが、カメルーンの田舎町から入国した私のとったルートでは状況は大きく異なるようで、首都のバンギまではヒッチハイクがメインになるだろう、ということだった。車を探す度に中央アフリカ共和国の人間と交渉しなければならないのだ。それは相当骨が折れる作業になりそうだった。

 

「ストーーーップ」

 

すぐに検問が私たちを待ち構えていた。まだ走って30分も経っていなかった。機嫌の悪そうな軍人が、亀のようにゆっくりと近づいてきた。そしてやはり予想通りの台詞を吐いた。

 

「通行料、ここを通りたければ一人2000(約330円)だ」

 

するとやはりドライバーのカメルーン人は、あっさりとその賄賂を支払った。やはりこの男は慣れていた。

 

しかしどういうわけだろう。私はとにかく払いたくなかった。先ほどあれだけ賄賂を支払うという決意を固めたばかりだったというのに。たったの数百円の話だ。悪人の改心にも全く興味がないし、他の通行人の為というような責任感も持ち合わせていない。何が賄賂を払うという行為の妨げになっているのかさっぱり分からなかった。でも、ただ払いたくなかった。すぐに払ってさっさと通過するべきだと分かっていたのだが、何かが邪魔をしていた。この軍人と面倒な駆け引きをして、ストレスを溜め、そして時間を無駄にすることに、メリットなどなかった。

 

しかし結局20分もの間、私は入国時と同じようなやり取りを再び展開し、賄賂を払うことなく通過した。初めに国境で余計なことをしてしまった手前、自分自身に引っ込みが付かなくなってしまっていたのかもしれない。発破を掛けられた私の小さな自尊心が、何食わぬ顔で私に対峙していた。

 

目的地であるベルベラティに到着したときには、夜の11時を回っていた。街灯はついておらず辺りは真っ暗だった。静かで車の走る音が響き渡るほどだった。泊まろうとしていた宿はすでに決めていた。ガイドブックにはわずかだが宿の情報が載っていたのだ。そしてカメルーン人たちは親切にもその宿まで送ってくれた。待たせた迷惑料とあわせてチップを渡し、礼を言って彼らと別れた。

 

モーテルソーポーという名の宿で、宿のオヤジは幸運にもまだ起きていた。宿のオヤジは60歳くらいの、背が低くて背中の曲がった、どこか寂しそうな男だった。彼は蝋燭で灯されたランタンを持って部屋まで案内してくれた。この町では停電することが多いということで、電気は使えるほうが珍しいのだと、そのオヤジは言った。部屋に備え付けの冷蔵庫でもあればひどくガッカリする話であったかもしれないが、その部屋で電気を使うものといえば裸電球くらいだったので、「ああそうですか」と適当に空返事をした。

 

部屋はシングルで1泊5000セーファーフラン(約830円)だった。アフリカの田舎町の平均と比較すると少々割高だったが、値段に見合った設備ではあった。部屋にはトイレとシャワールームが併設されていて、机や椅子があり、蚊帳まで備え付けられていた。遅かったこともあり、持っていたビスケットをかじり、水を飲み、すぐ眠りについた。

 

 

ベルベラティの町

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疲れていたのか、朝の9時頃まで一度も目を覚ますことなく熟睡していた。すでに太陽はギラギラとその光線を大地に突き刺していて、部屋はその光輝で満ちていた。

 

部屋の外に出てみると、宿の使用人とみられる若い女性が洗濯をしていた。水は井戸が宿の目の前にあり、そこから汲めるようだった。部屋にあったシャワールームだったが、結局この井戸からバケツに水を汲んでシャワールームに運び、そこでバケツシャワーを浴びるという、シャワールームの利便性が完全に欠如したシステムになっていたので、結局水着を着用し外でシャワーを浴びることにした。

 

バケツシャワーというのは初め抵抗があったが、慣れると非常に気持ちのいいものだった。アフリカのシャワーは、出ても水圧の低いものばかりでムシャクシャすることが多いが、このバケツシャワーであればザブンと気持ちよく水を浴びることができる。アフリカの茹だるような暑さの中、バケツの水を頭から被ると「ゥクアー!」となど思わず変な声が出てしまうくらいに気持ちがいいのだ。

 

そしてアフリカでする洗濯も非常に楽しい。Tシャツを水の入ったバケツの中に突っ込み、石鹸を擦り付けてバシャバシャと洗い、固く絞ったそれを外の適当な所に出しておけば、アフリカの太陽があれよあれよという間に乾かしてくれる。洗濯物は溜まっていくとこはない。Tシャツは2枚も持っていれば十分なのだ。

 

部屋の扉を開ければ、すぐに外の景色を見ることができた。そして外に出たところには各部屋に小さなテラスが設けられていて、そこにもテーブルと椅子が備え付けられていた。そして昼を過ぎればテラスは日陰になり、快適な空間になった。そこは風の通り道であったようで、いつもおいしい空気を運んできてくれた。宿の目の前の通りは狭くなっているので、人の往来も少なかった。たまに近所の子供が遊びまわったり、女性が井戸に水を汲みに来るくらいで、ほどよい静寂を提供してくれた。

 

電気はやはりほとんどの時間で使えなかったが、宿のオヤジがランタンを灯してくれたので不便はなかった。その蝋燭の灯りはやわらかく、心を落ち着かせてくれるものだった。また夜は寝苦しく感じる一歩手前くらいの温度で、ぐっすり眠ることができた。

 

宿が快適という理由で、しばらくこの町に滞在することに決めた。コンゴ共和国に入国してすぐに爆発事故に巻き込まれ、カメルーンでは慌ただしく移動ばかりしていたこともあり、いい加減少し休みたかった。

 

ベルベラティは小さな町だった。ある日、バイクタクシーの男に金を払い、一度町をぐるりと見て回ったことがあったが、30分も走れば見るところは何もなくなる、といったくらいの規模だった。

 

町の中央に商店が集中していた。レストランのようなものは見当たらず、「CAVE KAO KAO」という怪しげなバーが一軒あるだけだった。その名の通りの薄暗い店内では、男たちがぬるいビールを胃に流し込んでいた。屋台ではウガリやフランスパン、牛肉、鶏肉、ゆで卵、甘く味付けした粥、バナナ、そして豆などが極めて不定期的に売られていた。商店には寂しくなるほど物が置かれていなかったが、ワインやぺルノー(香草系の酒。午後の死というアメリカの小説家ヘミングウェイが考案したカクテルはこのぺルノーとシャンパンを混ぜてつくられる。正確にはぺルノーではなくアブサンなのだがこれ以上脱線するわけにもいかないのでこれくらいにしておく)などはずらりと並べられていて、小さくパック詰めにされたワインやウイスキーまで売られていた。人々はその小さなプラスチック容器に入ったワインやウイスキーを舐めるように飲み、駄菓子のゴミのように、その酒が入っていた容器は投げ捨てられた。

 

半分以上破けたジャンパーを裸に直接羽織った子供が鼻水を垂らしていた。ガソリンはサラダ油のようにペットボトルに入れられ売られていた。ダンボールを器用に頭に乗せて歩いてる少年がニコニコしていた。大きな教会脇の木陰でなにやら集会のようなものが開かれ、民族衣装を着た女性たちが話をしていた。シネジャックバウアーと書かれた小屋で出来た映画館では、中国映画が字幕もなしに小さなブラウン管テレビから流れていて、汚く緑色に塗られた長椅子の上に若者が無気力に横たわりながら、眠るように映画を見ていた。町の中心から少し離れたマーケットでは、ブラジャーが吊るされ、豆が山積みにされ、ニワトリが歩き回っていた。ある一般家庭には中央アフリカ共和国大統領の写真が掲げられていた。

 

滞在中はそのように街中をブラブラ歩き回っていた。住民はフランス語を喋るがまれに英語を喋る人間もいて、私が珍しいのか歩いているとよく話しかけてきた。

 

そしてこのような会話が展開されたことがあった。

 

「チャイナ!」

 

「日本人です」

 

「おージャポネ、カム」

「お前の宗教は何だ?」

 

「えっと、日本では仏教や神道が一般的ですが、私はどちらかといえば無宗教です」

 

「なぜ宗教持たないんだ。神は全てを与えてくれる。医者も必要ない。なぜなら病気にならないからだ。アイデアも与えてくれる。生き方を教えてくれるんだ」

 

「日本人は必要なときに神に祈ったりしますが、でもアフリカの神は忙しいですね、みんなの願いを叶えなくてはならないのでは」

 

「インターネットを知っているだろ。みんながアクセスしても答えを出してくれる。神はインターネットみたいなもんだ」

 

「それはすごい」

 

彼らはとにかく「カム」とだけ一言いい、私をいつも呼びつけた。そしてひらすら宗教の話を始めた。そして多くの場合、それにいたるまでにはなんの脈絡もなかった。そしてこの会話を展開した男は、その代表とも言える人物だった。彼は人の話をあまり聞かなかった。彼は日本人が大事にしてるもの、つまり気遣いとか、会話の流れとか、空気とか、そのようなものを気持ち良いくらい簡単に壊した。日本ならば本音に入るまでに長い時間を必要とするが、彼は初対面から自分の言いたいことを遠慮なく喋ることが出来る人間だった。とにかく頭に思い浮かんだことをベラベラと喋ってきた。そんなことなどがとても新鮮で、話していて実に興味深かった。

 

彼の口からは、余りにも突発的に言葉が飛び出してくるので、その言葉の貯蔵庫である彼の頭の中が見えるようだった。思考というものがあり、生まれてきた考え方があり、整理して組み立て、それを話す相手に応じて選択し、あるいは意見を変え、あるいはオブラートに包み、さらにラッピングを施して提供する、というのが日本では美徳とされている、はずだ。しかしこの会話を展開してきた男はその過程を大股でヒョイと飛び越え、つまり思考から提供に至るまでのプロセスが全く存在しないかのように、軽やかに口を動かしてきた。人の気持ちが分からない、と日本では多くの人間が悩んでいることだろう。そのような悩みはこの男は塵ほども持たないのではないか、と疑ってしまうほど気持ちよく脳みその中身を見せてきてくれた。初対面の人間に対して「神は全てを与えてくれる」という会話の展開は日本では起こりえないだろう。

 

しかし、ベルベラティの町で出会った人間のように「思ったことを思ったとおりに言う」よりも、日本人のように「回りくどくて結局何を言いたいのか分からない」くらいの方が、どうやら私には心地がいいのだった。日本人の良さを改めて再確認し、少し日本が恋しくなった。

 

 

わけのわからない町に放り出される

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まだ朝の4時だった。私は持っていた小型の懐中電灯を口に加えながら、荷物のパッキングを行っていた。

 

前日に、ムバイキに向かう車があるという情報を、私は町の連中から得ていたのだった。ムバイキはここから約600キロほど東に位置している町だ。そこまでいけば首都のバンギまではあとわずかとなる。そして朝の5時には出発するというので、眠い目をこすりながら朝からガサゴソしていたのだ。

 

外に出てみると街灯はやはりついていなかった。私は懐中電灯を照らしながら歩いてゆくしかなかった。町の中心にいけばわかる、とだけ言われていたが、なるほど一目瞭然だった。車が何台か止まっていて周りに沢山人が集まっていた。

 

ムバイキ行きの車がどれなのか、人から金を集めていた男に聞いてみた。これだ、と指差されたのは巨大なローリーだった。私は間髪入れずにその男に助手席に乗れるかと尋ねた。というのも、カメルーンでローリーの荷台に乗って以来、二度と乗るかと心に決めていたのだ。ローリーはそもそも人を乗せるためではなく、物を運ぶためにつくられたものだ。よって座席などなく、ましてやクッションなどあろうはずもなく、荷台に載っていると揺れるたびに骨に衝撃が走るのだ。そして屋根や窓も付いているわけがないので、土埃がまるで蜂の群れのように人に襲い掛かってくる。同じ思いは二度としたくはなかった。

 

「助手席に乗りたいなら10000セーファーフラン(約1670円)だ」

 

悪い金額ではなかった。なによりも助手席なのだ。よほどの金額でなければ荷台になど乗りたくはなかった。私は承諾して金を払った。

 

助手席に座り荷台に人が乗り終わるのを待っていた。もう乗れないだろうというほど人が詰め込まれていった。およそ50人は乗っていたはずだ。地元の人間で慣れているとはいえ、これからの彼らの苦労を思い私は同情した。

 

朝の6時過ぎに車は出発した。ドライバーを含め前方には4人座っていたが、それほど窮屈ではなかった。狭い中、隣の男と体勢を入れ替えながら乗車していた。なかなか話のわかるオヤジで、絶妙のタイミングで体勢を入れ替えてくれた。

 

しかしとんだ落とし穴が待ち構えていた。

 

「到着だ」

 

ベルベラティの町から数時間ほど走った先の町で、降ろされてしまったのだった。目的地のムバイキの町はまだまだ先のはずだった。

 

「約束が違うだろう金を返せ!」

 

そう言おうとしてやめた。喚いたところで無駄だった。そのドライバーは雇われていただけで、金を渡した男は出発した町に残っていたのだ。ドライバーに文句をつけても状況が変わる訳ではなかった。支払った金など返ってこない。正規の乗り物でない以上は、平気で足元を見られてしまう。騙されても仕方がなかった。

 

ただでさえよく分からない国なのに、さらによく分からない場所で降ろされてしまった。こんな地図にも載っていないような小さな町に放りだされて、車が果たして見つかるのかもわからなかった。

 

仕方なく私は途方に暮れてみることにした。その時の私はいつになく冷静で、何処かで何か飲みながら休もうなどと考えることが出来ていた。慌てて先を急いでもどうせろくな事にはならない。この国との付き合い方を、少し学習し始めていたのかもしれなかった。そして町の賑やかそうな方角に向けて歩き出した。賑やかそうといっても賑やかな雰囲気とはほぼ無縁であり、町というよりもただの一本道だった。

 

ブラブラ歩いていると一人の男が英語で喋りかけてきた。こんな所で何をしているのだ、というもっともな質問を投げかけてきた。そんなことは私が教えてほしいくらいだった。

 

男はイブと名乗り、軍服は着ていなかったが、彼は軍人なのだといった。40歳を少し過ぎたくらいの痩せた男だった。イブが言うには、この小さな町はマンベレという名前らしく、今朝出発したベルベラティの町からは、わずか100キロしか離れていないということだった。目的地であったムバイキまでは、まだ500キロも離れているということだ。つまり本来到着するはずだった場所までの6分の1しか進めていなかったのだ。

 

イブが彼の姉が経営しているバーに連れて行ってくれるというので、ついていくことにした。とにかく喉が渇いていた。5分も歩くことなくそのバーと呼ばれる場所に到着した。

 

そのバーのような空間は宿に併設されていて、テラスも備え付けられていて開放的で、なかなか過ごしやすそうな場所だった。そしてそこで飲み物を注文し、ようやく一息つくことが出来た。

 

するとイブは私のために車を探しに行くと言って、慌ただしく消えていった。落ち着きのない男だと思ったが特に気にしていなかった。ただの親切な男なのだろう。そう考えていた。

 

バーのテラスから外の様子を眺めながら車を探すことにしたが、悲しくなるくらい車の往来はなかった。そもそもこの国に来てから車自体ろくに見かけなかったのだから、当然ではあった。

 

しばらくするとバーに何人かの軍人がやってきた。物々しく自動小銃を抱えていた。彼らは私の座っていたテーブルの隣の席に着いた。そして当然のようにビールを注文した。隣で軍服を着た軍人が集団で、昼間からビール瓶をコツンと合わせ乾杯をしている光景は異様だった。きっと賄賂で巻き上げた金かなにかで景気よく飲んでいるのだろう。

 

時刻は午後の2時を回っていた。車を待っていても一向にやってくる気配はなかった。イブも車を探しに行くと言って出て行ってから、まだ帰ってきていなかった。私はこの日はこの町に宿泊することに決めた。新しい町に夜中に到着することを避けたいということと、宿を探す必要がなく目の前にあるということが理由だった。サイレンス・デゥラ・フォレットという名の宿で、入り口には木にしがみつきワニに襲われそうになっている少年の画が、木材で出来た壁にあまり上手でないタッチで描かれていた。

 

チェックインして部屋に案内された。部屋はベッドがその空間のほとんどを占めるほど狭く、裸電球一つ備え付けられていなかった。疲れたのでベッドでひっくり返っていたのだが、天井をネズミが駆け回る音が絶え間なく続き、どうにも落ち着かなかった。おそらく天井が巣になっていて一家で暮らしているのだろう。慌ただしくネズミたちがドタドタと床を叩いた。そしてその音がするたびに私は怯えた。天井を駆け回っているくらいならいいが、ドタドタと部屋の中にまでやってこられたら、少女のような悲鳴を上げてしまいそうだった。おそらく宿泊者もほとんどいないのだろう、建物はボロボロで今にも潰れてしまいそうで、部屋は凝視したくないほど汚れていた。

 

しばらくすると若い女性がバケツに入った水を運んできてくれた。凄く感じのいい女性で、身振り手振りを交え「これでシャワーを浴びてください」と教えてくれた。囲いも何もないシャワールームを案内されて、私はそこでシャワーを浴びた。 

 

シャワーを浴びリフレッシュした後は、近くにピグミー族の住む集落があるというので訪ねてみることにした。宿の近くの商店に英語を喋る若い男がいて、その青年が案内してくれることになった。その青年は店に小さな子供を一人残して、私についてきてくれた。しっかりした英語を喋る頭のよさそうな青年だった。会話もまともに成立した。

 

ピグミー族とは中央アフリカの熱帯雨林を生活拠点とする狩猟採集民族のことだ。特徴は身長が低いことであり、平均で1.5メートル未満とも言われている。

 

そしてわずか10分もしないうちに、彼らの住む集落に到着した。

 

小人族といわれるあのピグミーに会いにゆくのだから、ヒルに血を吸われ、毒蛇に怯えながらジャングルを進む、というようなイメージを勝手に抱いていたが、いとも簡単に発見できてしまったのだった。しかしこの町がそもそも辺鄙な場所であることを考えれば、近所に住んでいても決しておかしな話ではなかった。

 

それでも彼らはしっかり狩猟採集民族であるようで、私が訪ねたときは若い男たちが森に狩りに出かけているとのことだった。彼らは本当に小さかった。そして背が低いだけでなく顔も皆非常に似ているという特徴を持っていた。きっと血がそれだけ濃いということなのだろう。彼らは木と葉で出来た粗末な家に住んでいた。小さな子供などは丸裸でその辺を歩き回っていた。私のような得体の知れない来客に対してもみな人懐っこく、そして穏やかに接してくれて、写真も嫌がることなく撮らせてくれた。

 

ピグミー族を訪問した後は、案内してくれた青年が食事ができるところにも連れて行ってくれるというので、お願いすることにした。青年が案内してくれたのは看板も出ていないようなところだった。中に入ると、一応レストランのようにテーブルと椅子が備え付けられていて、何か食べられそうな雰囲気ではあった。

 

席に着くと青年が声をだして店員を呼んだ。すると奥から10歳にも満たない子供が出てきた。青年はその子供に金を渡すと、その子供はレストランの外に出て行った。青年に今のやり取りはなんだと聞いてみると、「子供に材料を買いに行かせた」という答えが返ってきた。どうやらこの町のレストランでは材料の調達から待たなければならないようだった。

 

30分ほど待ち、ようやく子供が帰ってきた。そしてなにやら金をその青年に返していた。やはり青年に今のやり取りはなんだと聞いてみると、「なにも材料が調達できなかった」という答えが返ってきた。ここが日本ならばテーブルをひっくり返していてもおかしくなかったかもしれない。しかしこんな小さな町では、きちんとした食事にありつくのもどうやら簡単ではないのである。

 

このレストランの小さな子供もそうだが、アフリカの子供は本当によく働く。そして子供は大人の言うことをよく聞く。大人と子供の上下関係が非常にしっかりしているのだ。大人になるにつれて怠けていく印象がある。大人が働かない分、子供が働く姿はアフリカでは本当によく目にした。子供たちは生きるために必死だった。

 

粗末な食べ物と騒音宿

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レストランで長時間待たされた挙句に食事にありつけなかった私は、空腹を抱えながら宿に向かい歩き始めていた。すると宿を出る前は見かけなかった路上の屋台が、宿の前で営業しているのを発見した。若い男が炭火で肉を焼いていた。たまらずその男のところに駆け寄り、その焼かれていた肉を指差した。牛のどこかの内臓であると思われたそれは、香ばしく焼かれ塩と胡椒で味付けされていた。誰もいない宿に併設されているバーでワインと共にそれを夕食にすることにした。

 

次の町に向かう車のことを考えていた。昼間から一日近く探していたのだが、結局見つけることができなかったからだ。いつ車を発見できるか分かったものではなかった。余りにも車の数が少なすぎた。

 

気を揉んでいた私だったが、空腹の胃袋に飛び込んできた肉とワインは、そんな不安を吹き飛ばしてくれるのに十分な作用を備えていた。先の苦い不安を考えながらも、「なんとかなるだろう」という楽天的な思考をもたらせてくれた。人の不安は身体的な環境を変えるといくらか軽減されるようだった。

 

私は貴重な肉をチビチビつまみながら、ワインを舌の上でじっくり転がし味わっていた。一つまみ肉を食べ一口ワインを飲むたびに、元気が出てくるようだった。無気力に地面に座りこみ寝転んでいる人間をアフリカではよく見かけるが、まともに食事が出来ないというのは人間の気力を奪うには十分すぎる根拠だと、そのときは思えた。空腹で死にそうな物乞いに、働こうという気力が生まれるはずはない。物乞いは物乞いになっている時点でそうとう追い込まれている。人に手のひらを向ける行為だけでも、全力で力を振り絞っているのかもしれない。アフリカにいると、日本という国に生まれただけで豪華客船に乗っているような、そんな守られているという錯覚に陥ることがある。両替屋の窓口に100ドル札を滑り込ませるだけで、使いきれないほどの現地紙幣が束になって現れ、そんな札束をポケットにでも突っ込んでおけば、ここでは好きなものを好きなだけ食べれて飲める。ただ日本に生まれただけというだけで、それほどの差が生まれているという事実は、嫌でも考えさせられるのだ。

 

食事を終えた頃に強い雨が降ってきた。車探しはこの日はもう諦めて宿に戻ることにした。車の往来もなく、雨では人も姿を現さない。雨がしのげるところで待つしかここでは方法がなかった。

 

裸電球ひとつない真っ暗な部屋で、何も出来ずにただベッドでひっくり返っていた。雨はやむ気配もなく、次第にその強さを増していった。建物が粗末なせいか異常なほど雨の音が響き渡った。真っ暗な中でひたすらその雨の音だけを聞き続けた。そして自然が作り出す音というのは大きくてもさほど気にならないようで、私はいつの間にか眠ってしまった。

 

しかしこの騒音宿で私は他の騒音に起こされることになった。発電機がうなり声を上げ回り始めたのだ。そしてどうやらその発電機は私が寝ていた部屋の隣にあるようで、その振動までも伝わってきた。時計を見ると夜の9時だった。そして次の瞬間、発電機を回し始めた理由が明らかになった。

 

巨大なスピーカーから発せられたと思われる重低音が轟音で鳴り響いたのだった。つまりこういうことだ。ここの宿の住人は音楽を聴くためだけに発電機を回したということだ。ビールもコカコーラも冷やさず、裸電球すら客に提供せずに、こんな夜遅くに音楽を聴くためだけに、そのためだけに全てを犠牲にしたのだ。 

 

この時間に発電機を回し始めるという妖術も去ることながら、私の他には猫すらいないこの宿で、発電機の振動が伝わる隣の部屋に私をわざわざ招待し、あまつさえその音楽を聴きたいという欲望のために、寝ている私のことなどお構いなしにそのスピーカーのスイッチを入れ、音楽という飲むこともできず明るさも提供しないものに彼は酔いしれたのだ。

 

深い眠りを極めて不愉快な方法により起こされた私は、中央アフリカ共和国の宿で起きたこの怪奇現象について解決策を模索するため、思考をめぐらせていた。しかし騒音というハンターにあっさりとその思考は撃ち落とされてしまい、私はあきらめて忍耐という耳栓をして寝ることにした。

 

 

懐疑

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朝になり私は部屋をノックする音に起こされた。突然の来客にびっくりし、ドアを開けずにイエスと答えた。するとその男はイブと名乗った。昨日車を探しに行くといって帰ってこなかった男だ。きっとこの宿の経営者の姉に、私がここに泊まっている事を聞き訪ねてきたのだろう。

 

「車が見つかったぞ」

 

「えっ?」

 

「バンギに行く車が見つかったんだ」

 

トビラの向こうからイブがそう言ってきたのだった。まだ朝の6時半だった。こんな朝早くからどうしてこの男は車を見つけたのだろう。半分寝ながら私は訳がわからないまま出発の準備を始めた。

 

「すぐに出発するから早く支度してくれ!」

 

イブにせかされ慌しく準備をして、追い出されるように部屋を飛び出した。軍人であるはずのイブはこの日も私服だった。イブが言うには、イブの兄がドライバーになり、首都のバンギまで連れて行ってくれるとの事だった。提示された金額は10000セーファーフラン(約1670円)で、悪い金額ではなかった。兄弟ということでこの早朝に呼び出しに来たことが、少し納得できた。

 

急いで支度をしたこともあり、7時にはイブの兄の家に到着していた。イブが支度を終えるのを待っていて案内してくれた。宿から歩いて10分ほどで到着した。

 

イブの兄の家には彼ら兄弟の他に何人か一緒に住んでいるようで、どうやら彼らも同行するようだった。慌てて支度をしたにもかかわらず一向に出発する気配はなく、時間は過ぎていった。彼らは慌しく身支度をしていた。荷物も荷台にまるで引越しでもするかのように沢山積まれていた。

 

10時頃になりようやく出発するという声が掛かった。荷台には生きたサル、干物にされたサル、干物にされた食用ネズミ、そんな底気味わるいものが積まれていた。私は助手席に乗りたいと彼らに告げた。

 

そしてこれから出発するという時になり、突然イブが彼の兄の代わりに同乗してくると言い出した。どうもこの男が信用できなくなってきた。この男は昨日車を探しにいくと言ったきりそのまま帰ってこなかった。また慌てて朝早く呼びに来たわりには一向に出発しなかった。そして今度は急に自分も行くと言い出したのだ。

 

さらにこの男は軍人だといったにもかかわらず軍服を着ているところを見たこともなければ、昨日から働いている様子も一切なかった。ここからバンギに行くのであれば往復で最低でも丸2日はかかる。突然気まぐれで決断できることではなかった。

 

そしてなによりもイブの顔つきが徐々に変わってきたことに、私は気がついていた。何かずっと物事を考えているような、そんな表情だった。考えてみれば、昨日突然車を降ろされたときに一番に近づいてきたのは、この男だった。この男から英語で話しかけてきた。渡りに舟とばかりに助けられた気がしていたが、そのように考えると、どうしても疑いの目を向けてしまわずにはいられなかった。どんな小さな変化でも、そのときの私を不安にさせるには全てが十分な材料であったし、そして私はまた疑心暗鬼に陥っていた。

 

そんなことを考えていると車は出発した。結局イブが運転手になり、私は助手席に乗せてもらうことになった。そして2人の若い男も荷台に同乗した。イブは昨日と違い無口でほとんど会話をしてこなかった。昨日はあれほど愛想よく馴れ馴れしいほどに話をしてきたが、打って変わってこの日はまるで別人のように寡黙な男になっていた。色々と確認したいことはあったが、イブに何か怪しんでいると悟られたくなかった私は、余計な詮索はやめにして黙っていた。感づかれて何か変な気でも起こされては困る。車に乗っていては何かあったときに逃げ場がない。次に不審な点を見つけたら車を降りようと決めていた。

 

1時間ほど走りバンビオという小さな町に到着した。休憩でもするのだろうか、皆が車を降りた。これはチャンスだと思い車を降りてすぐに荷台の男たちに話しかけてみた。

 

「なぜバンギにいくのですか?」

 

「仕事だ」

 

「何の仕事ですか?」

 

しかしその男はその質問に答えなかった。英語が通じていないというわけでもなさそうだった。

 

「あなたの職業はなんですか?」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「タクシードライバーですか?」

 

「そうだ」

 

その男は私が試しにタクシードライバーかと尋ねたら、イエスと答えたのだった。タクシードライバーかどうか聞いてイエスと答える、そんな偶然はそうそうありえないだろう。そもそもタクシーなどこの辺りには存在しない。まるで詮索されるのを嫌がっているかのように、その男は嘘をついていた。

 

もう一人の男にまったく同じ質問をしてみた。つまり何の仕事をしているのかと。するとやはり答えないので、同じようにタクシードライバーか聞いてみたら、イエスと答えたのだった。彼らには嘘をつくときに工夫するという考え方がないのだろうか。不安になり彼らを疑っていたことよりも、私はそっちに関心がいってしまいそうになるくらいだった。

 

彼らはまるでイブに命令されて喋らないように言われているような、そんな気がした。気のせいであるかもしれないが、そんな気がした。ただコミュニケーションを面倒に思っているのとは異なる何かの違和感があった。

 

ひとつ確かなのはこの男たちが嘘をついているということだった。しかし何故なのかはさっぱり分からなかった。それでも誕生日のサプライズのように良いことが待っている可能性よりも、トラブルが待っている可能性の方が圧倒的に高いということだけは予感できた。やはりイブにはっきりと問いただしてみた方がよさそうだった。荷台に括り付けられていた荷物をとりあえずは確保しておいた。

 

バンビオの町でほかに人がいることを確認してから、イブに次のような質問をした。

 

「あなたは本当に軍人ですか?なぜ突然一緒にいくと言い出したんですか?」

 

するとイブは涼しい顔でこう答えたのだった。

 

「これからお前はバンギにいく。なにか問題あるか?」

 

質問には一切答えなかった。やはり彼らはなにかを隠しているようだった。同じ質問をもう一度してみたが、やはり話は要領を得ず、無意味なやり取りが虚しく続くだけだった。その瞬間、私は車を降りることを決めた。

 

「この町が気に入ったので今日はここに泊まることにした」

 

私は車を降りるためにそんな嘘を言った。そしてイブとは10000セーファーフラン(約1670円)で約束していたのだが、彼に1000セーファー(約170円)だけ渡した。当然文句を言って全額払えと言ってくると思ったのだが、そうではなかった。

 

「急にどうしたっていうんだ?」

 

イブは怒ることもなく、一緒に行こうとしつこく誘ってきたのだった。

 

「質問にまともに答えないから信用できない」

 

きっぱり言ってやった。

 

「俺に何か問題でもあるのか?」

 

しかしそれは困るというような表情を浮かべながら食い下がってきた。怖くなった。この男はやはり何か企んでいたのかもしれなかった。

 

イブと話をしていても一向に埒が明かないので、英語を喋る町の男に仲介に入ってもらえるようにお願いした。このバンビオという町はとても小さな町で、おそらく人口など100人もいないようなところだったが、幸運にも英語を喋る人間がいた。第三者が話に入れば、支離滅裂な会話もしてこないだろうと思ったのだ。町のエデンという仲介に入ってくれた男に話を聞いてもらいながら、再びイブに同じ質問をした。

 

「あなたは本当に軍人ですか?なぜ私に同行するのですか?仕事はしていなくていいのですか?」

 

「その質問には答えられない」

 

そんな言葉がイブの口から出てきたのだった。私は混乱した。もしこの男が私に何かしようと考えているのならば、「ああ俺は軍人だ。今日は仕事が休みだから兄の代わりに同行することにした」などと、そのようなことを言えば済む話だった。簡単な嘘だ。本当に何がなんだか分からなくなった。しかし疑いが晴れない状況で彼らと共に車に乗ることなどやはりできるはずもなかった。そしてこの町に残ると、私はイブにきっぱりと言い切った。

 

ついにイブは承諾し仲間と共に町を後にした。結局1000セーファーフラン(約170円)以上要求することなく去っていった。

 

本当は物凄くいい人間で、ただ本当に言えない理由があっただけなのかもしれない。もしそうならば、昨日からずっと車を探してくれ、部屋にまで呼びにきてくれて、そして金も多く要求することなく乗せてくれた、親切な人物ということになる。しかしトラブルに巻き込まれないためには、必要以上に慎重にならなければいけなかった。ボタンの掛け違いは最後の一つに手を掛けるまで気が付かないことが多いが、だからその小さな違和感は大切にしなければならなかった。

 

 

続く賄賂要求

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中央アフリカ共和国に入ってからまともに進めていなかった。前日は降ろされ、この日は自分で降りた。私は疲れ始めていた。

 

イブとの会話の間に入ってくれたエデンという男は信用できる男だった。なによりも会話がまともに成立した。きちんと質問に答えてくれる人間だった。日本では当たり前のことだが、アフリカではきちんと質問に答えてくれる人間にはあまり出会えなかった。だから綺麗に会話が展開するだけで大きく抜きん出て信頼できるのだ。

 

エデンが言うには、この町で車を見つけるのはやはり大変とのことだった。こんな小さな町に立ち寄る車は当然少ないのだそうだ。ここには宿のようなものも何もなく、食事をするようなところもなさそうだった。なんとしてでも車を見つけなければならなかった。

 

「車だ!」

 

なんとエデンと話していると一台の車が近づいてきた。私は必死に手を振りその車を呼び止めた。そして幸運にも、その車は行き去ることなく我々のいる所へと来てくれた。これから一日がかりで車を探そうとしていた矢先の出来事だった。

 

そのピックアップトラックには女性を含む3名が乗車していた。乗せてくれと頼むと、30000セーファーフラン(約5000円)という金額をそのドライバーの男は提示してきた。とんでもない額を吹っかけられた、と一瞬考えたが、そのことが逆にこの男の信用に繋がった。今考えればイブのような話がうまく出来すぎていたのであって、この男の方が中央アフリカ共和国の人間が旅行者に対して要求してくる金額としては、妥当なもののように思えたからだ。吹っかけられたことで信用できる人間だと、少なくともイブのケースよりは思えた。

 

しばらく話をし、結局13000セーファーフラン(約2170円)まで値切ることに成功した。イブのときと同様に金は後払いでお願いした。金にがめつく、女性が同乗していたというのが乗ることを決めた判断基準だった。また、行きずりの人間がなにか企むというのもそうそう起こることではないだろうと思った。

 

荷台には死にたてで血まみれのセンザンコウ(センザンコウ目に属する哺乳類)の死骸が積んであった。見た目はアルマジロに似ていて、巨大で体長は60センチくらいで、重さは10キロ近くはありそうだった。茶色くテカテカと光る大きな鱗が魚のようについていて、気持ちの悪い見てくれだった。その余りにも存在感のある動物の死骸と、仲良く肩を並べて荷台に乗るのには大きく抵抗があったため、必死に助手席に乗せてくれと彼らに頼んだ。助手席には若い女性が乗っていたのだが、交代することを了承してくれた。女性を押しのけてでも荷台に乗りたくないほど、得体の知れない気味の悪い生き物だったのだ。

 

乗せてくれた連中は変に馴れ馴れしいこともなく、英語もあまり喋らなかった。そして身の危険を予感させるような言動も見当たらなかった。このまま何事もなく進めることを願った。

 

しばらく検問もなく順調に距離を稼いでいたのだが、前方にそれらしき「モノ」が姿を現してしまった。小さな橋が架かっている手前に検問所があり、その脇に軍服を着た男が一人椅子に腰掛けていたのだ。しかし道路は封鎖されていなかった。私はこのままドライバーが通過してくれることを祈った。そしてその期待通りドライバーは軽く挨拶をして、突破を試みた。しかし、その軍人はこっちにこいと言わんばかりに右手を高く上げ、我々を呼び止めた。無視できる雰囲気ではなかった。そしてドライバーだけその軍人のところまで話をしにいった。

 

このまま呼び出されることなく終わってくれと願っていたが、願いも虚しく全員車を降ろされることになってしまった。この国の目ざとい軍人が、私を見逃すはずはなかった。

 

ドライバーが私たちを呼びに来た。その軍人は一切のことを椅子に座ったまま行い、立ち上がろうともしなかったのだ。私たちは、横一列に整列したような形になりその軍人の前に立たされ、身分証の提示を求められた。その軍人は御多分に漏れずいかつい軍服を身にまとい、肩には自動小銃をぶら下げていた。中背で、恰幅がよく、目は鋭くもありどこか精気を失っているようにも見えた。唇は後からつけたように分厚く、それが妙に平たい鼻と調和していて、こわばった肩は好戦的な印象を備えていた。そしてワインのボトルが苦しそうにその岩のような手に握られていた。

 

その軍人は私のパスポートを握り締めながらゆっくり立ち上がると、その目で私を捉えた。顔を近づけ眉間にしわを数本つくり、その腫れ上がった唇をゆっくりと動かした。

 

「金だ」 

 

その軍人はすでに出来上がっているらしく、アルコールの臭気をその黄ばんだ歯の間から漂わせていた。

 

そして私は賄賂の要求を頑なに拒否した。

 

このような男に屈服すること自体が恐怖だったのかもしれない。金を渡したら自分がどうにかなってしまいそうだった。とにかくこのような男とは関わりたくない。口を利くことすら嫌だ。そんなふうに思っていた。

 

そんな私の態度が癪に障ったのか、ドライバーと他の2名は車に戻されたが、私だけその男の前に立たされ続ける羽目になってしまった。その男は私のパスポートを握り締めたまま返そうとしなかった。

 

「返してくれ」 

 

そんな言葉が独り言のように虚しく響いた。その軍人は私の言葉など無視し、目を細めてただ黙って座っていた。パスポートを取られた私はその場に呆然と立ち尽くすほかはなかった。この男の存在自体が恐怖だった。会話もしたくなかった。私はただ黙って立っていた。

 

しばらくするとドライバーがやってきて、その軍人と話を始めた。そしてドライバーは話を短く切り上げると、小額の紙幣をその軍人に掴ませ、私のパスポートを取り返してくれたのだった。

 

「すみません・・・」 

 

車に戻りドライバーに礼を言い、彼が支払った額の紙幣を渡した。彼らを待たせているという自覚はあったのだが、やはりこのときも私は意固地になってしまったのだった。ドライバーの毅然とした態度を見せ付けられて、自分が恥ずかしくなった。

 

「あんなやつらにはさっさと金を渡してしまうのがいいんだよ」

 

寡黙な男だったが、そう優しく声を掛けてくれた。久しぶりに人の優しさに触れた気がした。私は先ほどこの男がパスポートを取り返してくれるその瞬間まで、この男のことも疑い続けていたのだ。

 

窓から顔を出すと、澄んだ空気が顔にぶつかってきた。

  

すると、このときに初めて、国境の辺りよりも森がだいぶ深くなっていたことに気が付いた。国境からはもう500キロ以上進んでいたはずだった。恐らく少しずつ景色は変わっていたはずだろう。人の顔色ばかり伺っていたせいか、景色が変わっていたことにすら気が付いていなかったのだ。

 

カメルーンではバイクのドライバーを色眼鏡で見て警戒し、国境では役人の外見と態度だけで悪人と決めつけ賄賂を拒否し、マンベレで出会ったイブという男とその仲間を疑い続け、先ほどの検問では軍人の外見と酒気に恐怖し閉口し、そして今の今までパスポートを取り返してくれたドライバーのことさえも信用していなかった。そんな疑心暗鬼の繚乱が起き、いつのまにか懐疑の連続の中にいた私は、猜疑的武装を身にまとい、人を恐れ、探り、疑い、そして突き放し続けていた。その虚しい戦いに追われ続けていたため、アフリカの景色を見る余裕など、これっぽっちもあるはずはなかったのだった。

 

空気が美味しかった。気がつけば空気は少し湿気を帯びていて、どこか良い香りがしていた。私の嗅覚は森のにおいではなく人のにおいばかり嗅ぎ分けるために使われ、視覚は空を見るのではなく人の心を覗き見るために使われ、聴覚は鳥の声を聞くのではなく人の嘘を聞き分けるために使われていた。なんだか腹も空いてきた。喉も渇いてきた。風が気持ちよかった。窓から顔を出しながらジャングルを眺めていた。1秒がちゃんと1秒に感じた。

 

「・・・・・・・それにしても、なんでこんなとこにいるんだろ」

 

なぜアフリカに来たのかという問いのもう一つの答えは、なぜここにいるのかという問いを自分にするためだったのかもしれない。アフリカはソクラテスのように良質な質問を投げかけてくれる存在だったのだ。混沌から解き放たれたときの健全な脱力感だけが可能にする自分自身への門答。そんなものをこのアフリカで求めていたのかもしれなかった。

 

午後10時半を回った頃に、ムバイキの町に到着した。空腹と喉の渇きだけがとにかく気になっていて、揚げ魚とビールをなんとか調達し、適当な小屋のような宿で眠りについた。

 

 

史上最悪の乗り物

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翌日、私は首都バンギへ行く車を探していた。しかし一向に見つからず、時間だけが過ぎていった。宿の使用人であるアントニオという若い男が、すぐに車を見つけてやるなどと大見得を切って一緒についてきた。しかしこの男は大風呂敷を広げただけで、まともに探そうという気はなかった。町の連中とただ口を動かしているだけで全く役に立たなかった。

 

「バンギだ」

 

ようやく見つけた車はローリーだった。そしてそのドライバーはせかすように私に目的地を告げた。荷台にはすでに30人を超える人間が乗っていた。

 

「乗るのか?乗らないのか?」

 

痺れを切らした私は二度と乗らないと決めていたローリーの荷台に荷物を放り込んだのだった。全長10メートルはある巨大なローリーだった。そのローリーは広い空き地に佇み、荷台に乗る人間を待っていた。荷台にはすでに沢山の荷物が積み込まれ、その荷物の上や隙間に人が乗り込んでいた。荷台の側面は木材が打ち付けられていて柵のようになっていたが、それはまるで家畜の運搬車のような粗末なつくりで、落下はどうにか免れるといった程度の代物だった。やはりこんなもので人を運ぶのは間違っている。そんな荷台を見ていて怒りにも似た気持ちが沸いていた。そしてそれを超える憂鬱さがあった。

 

私が乗ったと同時にローリーはすぐに出発した。同じ失敗は二度と繰り返すわけにはいかなかった。カメルーンの荷台ではとにかく苦しい思いをしたのだ。座席のようにクッションがない荷台では衝撃が身体に強く伝わってくる。そしてこのローリーのように車体が大きければ大きいほど、当然その衝撃の強さは高まるのだ。私はキャッサバが入った袋を吟味し、いくつか並べ、積み上げ、その上に座った。そして自分の鞄を背中に敷いた。

 

場所も重要だった。なるべく前方に座る必要があった。これだけ長いローリーになると、前輪により巻き上げられた土埃が荷台に降り注いでくるのだ。そして後方であればあるほど土埃をくらう羽目になる。カメルーンで荷台に乗ったときには、その土埃で呼吸は妨げられ、肺は悲鳴を上げた。土埃はタオルで覆っていても隙間からいくらでも入り込んできた。また賄賂の要求を避けるためにも前方の方が発見されにくいというメリットもあった。

 

荷物と人を掻き分け、出来るだけ良い場所を確保した。自分の周りも使い勝手のいいものに工夫した。荷物を積み上げ、土埃を運んでくる風の進入を妨げる壁を建設し、荷台側面の隙間も荷物を積み上げて埋めた。出来る準備は整った。後はひたすら忍耐との戦いだ。100キロなどあっという間だろう。

 

そんなことを考えていたら、突然揺れが収まった。しかし車が止まったわけではなく、依然として風を切り走行を続けていた。どうしたのかと思い、その場に立ち上がり外の景色を見てみた。そして私は驚愕した。

 

「道路が舗装されている」

 

私は自分の目を疑った。この国に舗装されている道路があるなど信じていなかったからだ。国境の町であるカムボラからここまでおよそ900キロ、カメルーンからここまでおよそ1300キロの距離で、舗装された道路など皆無だったのだ。しかし何度確認しても、コンクリートで綺麗に舗装された道路が目の前に広がっていた。

 

「フッフッフッ」

 

私は気持ちの悪い笑い声を出していた。バンギまで残り100キロにまで迫っていて、そして道路は舗装されていたのだ。もう嬉しくて仕方がなかった。揺れに悩まされることもない。ケツが痛くなることもない。土埃に襲われることもない。アフリカの大地でこんな「素敵な」ローリーの荷台に乗り、気持ちよく風に吹かれている。げんきんなもので、ホッとすると突然この荷台が楽しく思えてきた。私はアフリカの風に思いっきり吹かれてやろうと思った。

 

しかしそんな矢先、車がすぐに停車した。まだ走り始めて3キロも走っていなかった。どうしたのかと思ったら、新しい荷物や人が追加されてきた。干物にされたサル、干物にされた食用ネズミ、そしてニワトリにキャッサバに小麦粉にコカコーラにおばさんにおじさんに子供に木材、あれこれ追加されてきた。

 

それからというもの、車は頻繁に停車を繰り返した。ここはアフリカ大陸のど真ん中のはずだった。それがまるで日本の市バスのように、数キロ走っては車が止まり、人の乗り降りを繰り返した。一人でも道端で車を待っている人間がいれば、その巨大なローリーは停車して、人を拾った。

 

荷物の積み降ろしもとんでもない頻度で繰り返された。その度に目の前を慌しく人が行き交った。私がケツに敷いていたキャッサバは取り除かれ、小麦粉が目の前に山積みにされた。荷物の積み方にもまるでルールがなく、適当に乱雑にちゃらんぽらんに積まれていった。そして荷台の貴重な空間は少しずつ削り取られていった。人口密度は嫌がらせのように高められ、気がつけば人に囲まれていた。見上げればそこにはすぐにおばさんの顔があった。

 

そして車が停車する度にどこからか物売りが現れて、食べものやらそのほか生活品などを売りに来た。そのたびに乗車している人間は物売りから食べ物などを買い求めた。頭の上のおばさんは食事を始め、ボロボロと食べカスを私に落としてきた。ニワトリを持って乗車してきたおばさん連中は私の周りを陣取り、そのニワトリを野放しにした。この国では鶏肉は売られてなく、ニワトリが売られているのだ。ニワトリがココココと鳴き、その羽をバサバサとはためかせた。そして頭上で食事していたおばさんが落とした食べかすに群がり、私の近くをうろちょろした。

 

「持っとけ持っとけ」

 

そんなものを私に近づけるな、という仕草と共に日本語で言った。するとその言葉の響きが面白かったのか、「モットケ、モットケ」とおばさん連中は繰り返した。

 

「ハローハロー」

 

常に誰かが私を呼んでいた。

 

彼らは私の周りを囲むように座り、お構いなしに会話をした。彼らは鼓膜に響くくらい人の耳元で大きな声を出した。この人の迷惑になるから少し小さい声で喋ろう、遠慮しよう、そんなことを考える連中では当然なかった。そんな連中から逃げるために私は荷台の端に場所を移した。そして荷台側面の柵にもたれかかって座った。

 

しばらくすると背中に突然激痛が走った。若い男が私の背中を踏みつけて荷台に乗り込んできたのだ。やんちゃなその幼稚園児のような男は、私の背中を踏みつけ乗車してきたあと、積んである荷物などお構いなしに踏みつぶし、彼が行きたかったであろう目的地に最短ルートで到達していた。その男だけではなく、人々は食べ物が入った袋なども平気で踏みつけて乗車してきた。カメラやパソコンの入った私の小さなバッグも、何度も踏まれそうになった。

 

とにかく車は進まなかった。止まっている時間のほうが多かった。そして容赦なくアフリカの太陽は降り注ぎ、荷台は熱された。結局、風に吹かれて気持ち良かったのはほんのわずかの間だけだった。この荷台はアフリカの気持ちいい風も広大なジャングルの景色も、全て無効にする魔力を備えていた。この荷台はいつのまにか私の神経を逆なでする、動く無法地帯へとその姿を変えていた。ただ荷台に乗っているだけで、次から次へと私を不愉快にさせるものが襲ってきた。

 

そして私は現実逃避を試みることを決めた。服を頭から被り嫌なものは見ないことにした。しかしそんな出来そこないの忍術のような、間に合わせの策がこのローリーという名の魔物に、通用するはずはなかったのだった。

 

しばらくすると誰かが私の太ももに座ってきたのが分かった。びっくりして見てみると、中学生くらいの女の子が赤ん坊を抱いて太ももに腰かけていた。その子はまるで私の太ももがベンチであるかのように座っていた。この国では15歳くらいで妊娠するのが当たり前なのだと町の人間から聞いていた。妊娠していないと「なんで妊娠してないの?」と言われるくらいなのだという。その言葉通り、目の前には赤ん坊を抱いた幼い女の子がいたのだ。びっくりしたものの、町の人間からそんな話を聞いていた私はその女の子に対して無言の承諾をした。荷台は人と荷物で座る場所もまともになかったからだ。ニワトリでも赤ん坊連れの女の子でもなんでも来てくれ。半分投げやりのような気持ちでそう思っていた。

 

しかし次の瞬間、私のそんな気持ちは吹っ飛んだ。

 

その女の子は私の目の前で服をまくりあげると、子供におっぱいをあげ始めたのだ。人の太ももに座りこともあろうにおっぱいをあげ始めたのだ。

 

「あっちにいけ!」 

 

赤ん坊に授乳する女の子に対して私は怒鳴り散らした。赤ん坊がいる以上、おっぱいをあげるのは仕方のないことだ。幼子が腹をすかして泣けば、場所など選ばず母親はおっぱいをあげるものだろう。怒鳴ってしまった瞬間、かわいそうなことをしたと思ったのだが、もうそれは反射のようなものだった。自分の中の何かが土足で踏みにじられたような気がして、その時の私は決して冷静ではいられなかった。到底受け入れられる光景ではなかった。その行動は私が定めていた許容範囲を明らかに超えていた。これを受け入れてしまったら、ここで怒らなければ、自分の中でそれを認めたことになり、自分の中で何かが変わってしまうのではないか、美しいものを美しいと感じる心、そんなものがなくなってしまうのではないか、そう本能的に思ったのかもしれない。それは私の想像を遥かに超えたモラルのなさだった。

 

そしてこの国は私をまだ休ませてはくれなかった。検問が待ち構えていたのだ。顔も腕も服で覆い隠していたのだが、どういうわけか発見されてしまった。

 

「事務所まで来い」

 

軍人は容赦なくパスポートを取り上げると、何か私が罪を犯したかのようにそんな言葉だけを発した。

 

荷台から降りようと立ち上がったとき、目の前に映った光景に私は眩暈がした。モラルの欠如したローリーの荷台が目の前にあり、軍人が待ち構えている事務所が奥にはあった。 

 

この国に落ち着く場所なんてあるのか。

 

事務所に行き椅子に座らされた。そして5、6人の軍人が囲むように私の周りに立った。このときの私はいつにも増して冷静ではなかった。荷台で遭遇したモラルの無さで極限にまで高められたストレスは、爆発してしまいそうだった。

 

「早くしろ、ビザはここにあるだろ」

 

私はそう言い放った。すると一人の軍人が鼻で笑った。そしてその態度にさらに腹を立てた私は、大きな声を出した。

 

「なにがおかしいんだ、お前らいったいなにがしたいんだ、俺がなにか悪いことでもしたかよ!」

 

中央アフリカ共和国に入国する前に考えていた「波風を立てない」という作戦は頭の片隅にも転がっていなかった。そもそもそんなもの一度も守ることなどできていなかった。毎回感情を露わにしてコントロールを失い、気づけばあのナイジェリア人が言ったように「戦っていた」のだ。私がひねくり出した小賢しい戦略など糞の役にも立たなかった。絶対に避けようと思っていた選択肢の中の一つを自ら掴み取ってしまっていたのだから。

 

「金だ、払わないとお前は通れない」

 

もう自分のためでもこの国の為でも他の通行人のためでもなんでもない。とにかくこんなやつらに金など一円も渡したくなかった。

 

「金なんか払うか!ばかやろう!」

 

結局、私はこの中央アフリカ共和国で、一円も賄賂を払うことはなかった。冷静になると全く馬鹿な恥ずかしい話なのだが、人間の感情というものは理屈ではないのだと、よく耳にするその言葉の意味を嫌というほど実戦させられたのだった。

 

その最悪の検問所がバンギの入り口だった。そう、私はようやく目的地であった中央アフリカ共和国の首都バンギに到着したのだ。時刻は午後3時半だった。ムバイキからたった100キロの距離に4時間も掛かっていた。史上最悪の乗り物と言っても大げさではない乗り物だった。

 

 

飛ばないドウマイ・エア・チャド

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首都バンギで暖かい食事とホットシャワーで英気を養った私は、中央アフリカ共和国を出国するための航空券を購入した。

 

チケットはインターネットで探し、あるスペインの代理店のサイトから購入した。いつも利用していたサイトの航空券は高いものばかりだったので、普段は利用しないスペインの代理店が扱う安いチケットを購入した。しかしそれが間違いだった。

 

バンギからカメルーン、ナイジェリア、そしてベナンと乗り換えの多いチケットだった。中央アフリカ共和国からカメルーンまでは、ドウマイ・エア・チャドという航空会社のフライトで、カメルーンからナイジェリア、ナイジェリアからベナンはセネガル航空のフライトだった。聞きなれない航空会社のチケットがあっても、国際線であれば問題ないだろうと考えていた。しかしこのドウマイ・エア・チャドという航空会社はどうやら評判が悪いらしく、バンギで出会った人間に聞いても口を揃えて良くないと言っていた。飛ばないこともあるなどという人間もいた。突然キャンセルになることもあるだろうが、年に数回の話だろうと、そのときの私は高を括っていた。

 

私はタクシーを走らせ、バンギ・ムポコ国際空港に到着した。そしてその外観はひどく私を不安にさせるものだった。見た目は日本の地方都市の区役所のような国際空港だった。そして中は薄暗く、外観よりもさらにひどいもので、まるで潰れたレンタルビデオショップにでも入り込んだかのようだった。そこには電光掲示板すら存在しなかった。

 

「ドウマイ・エア・チャドのチェックインカウンターはどこですか?」

 

中にいた職員に尋ねると、あちらに行けというので並び、手続きをしようとした。しかし英語は伝わっていなかったようで、その男が案内したのはエチオピア航空のチェックインカウンターだった。改めてドウマイ・エア・チャドのチェックインカウンターの場所を尋ねると、「あれだ」と指を指された方向に小さな事務所があった。

 

近づいてみると事務所には鍵が掛けられていた。中には誰もいなかった。電気も消えていた。確かにその事務所にはドウマイ・エア・チャドの看板が掲げられていた。時間には余裕を持って2時間前に来ていたので、まだ職員が到着していないだけだと思い、待つことにした。

 

しかしそれから30分待ち、フライト1時間半前になるも、一向に人が現れる気配が無かった。痺れを切らし空港職員にもう一度聞いてみると、こんな返事が返ってきた。

 

「トゥデイ、ノーフライト」

 

「えっ、どういうことですか?」

 

「ドウマイ・エア・チャド、ノットグッド」

 

その返事の仕方から察して頻繁に欠航になるということが予測できた。その空港職員は何度もその台詞を言ったことがあるかのように、あっさりとそんな言葉を発したのだった。

 

エチオピア航空のチェックインカウンターを見ると、きちんと制服を着た職員が人々を対応していたが、ドウマイ・エア・チャドの人間は一人も空港にすら出勤してきていなかった。

 

空港職員の話だと、ダウンタウンにドウマイ・エア・チャドのオフィスがあるということだったが、そんなところにクレームを言いに行っている時間などはなかった。セネガル航空のフライトがカメルーン、ナイジェリアと控えていたので、とにかくバンギを飛び立たなくてはならなかったのだ。カメルーンからの乗り継ぎ時間もそれほど余裕はなかった。

 

対応するかも分からない航空会社に文句を言っている暇などなかった。事務所に記載されていた住所、電話番号、メールアドレスだけ控えて、ドウマイ・エア・チャドのことは棚上げすることにした。

 

エチオピア航空の事務所へ行き、カメルーン行きのフライトがあるかを確認した。するとビジネスクラスのみ空席があるとのことだった。迷っている暇などはなかったので、仕方なくそのチケットを購入することにした。そしてなんとか乗り継ぎの飛行機に間に合わせる事ができた。たった1時間のフライトで約5万円という大出費だった。

 

私はカメルーンのドゥアラへ向かう飛行機の中でシャンパンをたらふく飲み、「午後の死」を決行した。

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