時間がくねくねしてなくてよかった

答えは人それぞれですが、何かを考えるきっかけになるようなブログを目指してます

【雪山登山】危険から得られる能力と幸福感

 

雪山登山の動機

 

中国を旅していたが新型肺炎の騒ぎが大きくなりそうな予感がしたので重慶から早めに帰国をしていた。帰国は2020年1月14日だったが、春節による延べ30億人とも言われる人々の移動が控えていたし、万が一にもパンデミックになった後では動きづらいと考え中国を後にした。人の移動が活発になれば新型肺炎にも感染する恐れが高まるし、航空券も値上がりするだろう。ましてや新型肺炎に感染してしまっては日本に帰れないかもしれないし、日本人がどれほど丁寧に病院で対応してもらえるかも安心できるものではなかった。

 

帰国して余っていたエネルギーのぶつけどころを考えていたところ、雪山に行こうと決めたのであった。考えようによっては中国にいるよりも危険なのかもしれないが、自分の判断や能力ではどうにもならない危険よりは、自己責任の危険の方がましであるとは言える。誰でも平等の確率で危険な目に遭遇するという不可抗力的な環境に身を起きたくは無い。というわけで雪山登山に向かうことにした。

 

私はこれまで登山(というかトレッキング)の経験はいくらかある。一番高いところではネパールのランタン渓谷(3870m)にあるチェルコリー(4984m)に登った。一週間でおよそ3500mを登って降りた。山小屋に泊まったので荷物は10キロくらいだった。

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また、カナダのユーコン準州でガイドをしていた経験もあり、その時には氷点下の中での野営を何度も経験していた。

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野外救命救急などガイドとしての技術・知識や氷点下20度の世界でも耐えられる装備も備えていたし、空が見えるところなら世界中ほとんどの場所で外部と連絡の取れる衛生端末も常備するなど自然の中での安全に対する意識は強い方だと自負はある。

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いまは都内に住んでいるが、東京近郊で一番手軽に雪山を経験できる場所として奥多摩を選択した。標高2017mと東京で一番高い雲取山をとりあえずの目標とした。登山というとサミット(頂上)を目指すというのが通常であると思うが、私の中の基準ではそれほど優先順位は高くなく、できる限り自分の力で雪山に行き無事に帰ってくるというのが目標だった。

 

まず単独であるということ。よほど信頼のおける人でお互いのことをよく知っている人で無い限り、一緒に登るのは複数であるからこその危険が増すと思う。気分の体調や精神状態などは自分が一番よく知っているので、雪山では完全に自分のペースで行動すべきだと思うからだ。何度も登山中に立ち止まり服装の調整をしなければ汗をかいたり体を冷やしてしまうことになる。人それぞれ暑さ寒さの感じ方も異なるし、装備も異なるので体温調整は同じタイミングにはならないはずだ。ルートの変更を迷った時も、一人ならば変更も簡単だが複数いるとそうもいかないだろう。当初の計画通りに行きたいという共通の感覚に自然とさせられてしまい、他人を忖度するあまり自分にとっては危険だと感じていても「みんなはせっかく来たんだから実行したいと考えているのでは」といった相手を思う感情が判断を鈍らせることにもなるだろう。複数いる場合は一番体力や経験の無いメンバーに合わせなければならないが、物足りなさを感じるメンバーが出てくるのは避けられないだろう。

 

そして山小屋に泊まらないということ。これも自力感が増す。山小屋に泊まらないということは野営するための道具を持っていなければならないということだ。それだけでテント、寝袋、マットといった装備が増すし、食事も出てこないのでコンロ、燃料、鍋、食料、水といった荷物も増えることになる。

 

もちろん完全な自力だというつもりもないし、大した登山なんかできない。しかしせっかく雪山に登るという行為を考えた時に、私にとってはどこかの山の頂上に登るという目的よりも、できるだけ自力感を増した状態で雪山で過ごしその厳しさを身をもって経体感し、恐怖や不安に襲われる経験をしたい。その中で無事に帰ってくることでむき出しになった自然の姿や人間の弱さ・強さを観察したかった。

 

雪山登山の準備

 

装備を整える必要があった。しかし雪山登山には金がかかる。まずは何も知識がないので、好日山荘の雪山講習会に参加した。会員になると1000円が500円になるというお得なものだったが、当日に1500円ほどの教科書を強制的に購入させられた。そこで雪山登山とは何かを学ぶ。雪山登山にはどんなものが必要かも多少ではあるが学習した。

 

まず靴について検討する必要があった。雪山用の靴はとにかく高い。3−5万円はする。一番大事な装備とも言えるだろう。しかし私は考えた末に靴の購入をやめ、持っていたアプローチシューズでいくことにした。大金を払うくらいなら「無理だ引き返そう」というところまで行って駄目なら諦めようと考えた。実家にユーコンで購入したアラスカ軍が使用のバニーブーツがあったのでそれを履いていこうか検討したが、わざわざ取りに行くのも面倒だったし、バニーブーツはよく滑るという最大の欠点があるのでやめておいた。ちなみに保温力はピカイチなのでオーロラ鑑賞などじっとしている場面では利用価値は高くマイナス40度でも足先は冷えない。

 

次にアウターである。調べてみるとハードシェルと呼ばれるものが雪山では良いようだった。しかしこれも高い。やはり3−5万円はする。私はこれも熟考の末、買うのを断念した。持っていたダウンジャケットと雨具でやり過ごすことに決めた。ズボンもカナダでのガイド時代に使用していたRubのズボンを履いていくことにした。防水ではないのでこれも雨具で対応することにした。インナーはこれもやはりカナダで購入したRubのものがあったのでそれを採用することとした。

 

次にアイゼンというものが必要なようだった。アイゼンとは靴にはめる爪のことである。しかしこれは奥多摩などの低山では軽アイゼンで良いという情報をいくつか目にしたので、ゴムに10個のスパイクがついた簡易的なものをアマゾンで1000円で購入した。

 

次にピッケルと呼ばれる「つるはし」も雪山登山の必須アイテムのようだった。イメージとしては石炭の採掘に使われる尖った金属がついた棒のようなものだ。しかしこれも高山で使うアイテムのようなので割愛した。ワカンやスノーシューも同様の理由で割愛。いらないだろうとストックも割愛した。

 

続いてゲイター。これは足に雪が入らないための道具。靴からひざ下くらいまでカバーされる。靴が頼りない(というかくるぶしも丸出し)ということもあり購入。せっかくなのでモンベルにて6500円くらいする良質なものを買った。

 

テントは1万円ほどでアマゾンで購入。重さは確か2.2キロとか。寝袋はカナダで購入していたものを持参することとした。マイナス34度まで耐えることができる化学繊維のものであるが、圧倒的な体積と重さを誇るのが欠点だ。マットはアマゾンで数千円のものを購入。

 

食事を作るためのコンロや鍋もアマゾンで安いものを購入した。食料はペミカンと袋ラーメンを2つずつ、行動食としてシリアルや干しぶどうやチョコレートや飴を持ち、500ml入る水筒には水道水(東京都水道局が水道法に基づき水質基準を遵守し塩素消毒したもの)を流し込んだ。ペミカンは自作したもので大量のバターを使用してじゃがいも、玉ねぎ、人参、豚肉、にんにく、しいたけをとろとろになるまで煮込んでそれを冷凍庫で凍らせたものを持参した。

 

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自作ペミカンの材料

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大量のバターで炒めて高カロリーにする

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冷ましたらジップロックに入れて冷凍庫で凍らせる



 

ザックは38リットルのものを無理やり使用。当然入りきらないので、ザックの上に荷物をくくりつけて上からバックパックカバーで覆った。

 

他には山岳保険に加入したり、オフラインで使用できる地図をダウンロードしたり、モバイルバッテリーを充電した。紙の地図やコンパスも当然用意した。

 

必要なものの取捨選択をした結果、ザックの重さはなんとかそれでも13キロに収まったのだった。

 

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1回目の山行の荷物

 

 

奥多摩山行

 

奥多摩への出発は日曜日だった。奥多摩へは新宿まで出て「ホリデー快速おくたま」に乗車した。天気はよかったが、不安の表れか食糧の予備にと奥多摩駅近くの売店でおにぎりとパンを購入した。駅からはバスに揺られて登山口へと向かった。バスで鴨沢という乗り場で降りる。鴨沢から少し歩いてお祭りという登山口(ハイキング口?)から山に入っていった。その日はひたすら林道を11.5キロ歩き900mほど登り午後3時に宿泊地である三条の湯に到着した。テントが安物だからだろうか、通気性が良すぎて寒くて良く眠れなかった。



 

翌日は朝6時に起床。もたもたとコーヒーなどを味わったせいで出発は8時になった。2017mの雲取山とはじめ、小雲取山、ヨモギノ頭、七ツ石山と四つの山に登った。七ツ石山に到着したのは午後3時だった。荷物が重いことに加えてアップダウンが大きかったので疲労もかなりあった。使用していたアプリの記録によると、登り1204m、下り666mということだった。夜は寒くてほとんど寝れなかった。アマゾンで購入した安物のマットから空気が漏れていたようで地面からの冷気が容赦無く体を冷やした。標高2000m近くで前日よりも高いため冷え込んだということもあった。


 

最終日は3時に起床。やはりコーヒーを入れて一日を無理やりスタートさせた。最終日は七ツ石小屋から東に向かい奥多摩駅まで徒歩で20キロほど歩く予定でいた。しかし道にはトレースがなく、登山道と思われるものも狭く危険と判断。遭難は帰りに起きやすいと事前に情報を仕入れた時に知っていたので諦めることにした。寝れてなくて体力も低下していたし、食料もそれほど余分はなかった。何より自分の装備で無理をすることは無謀であると感じていた。そのためあっさりとルート変更をした。トレースがないだけでこれほど不安になるとは自宅で地図を眺めていてもわかることではない。二日目に十分に成果を出せていたので引き返すことにそれほどのためらいはなかった。

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アマゾンで購入した1000円の軽アイゼンは簡単に壊れた

 

1回目の山行を終えての振り返りと次への準備

 

奥多摩での雪山登山ではやはり装備のなさを実感した。装備が足りないと無理もできない。無理をしてもよい資格はないといった方が正しいだろう。知識・経験は少しずつ身についていくものだが、装備ならば一気に整えることもできる。少しでも無理な登山をするためには最低限の装備は必要だと、足りない装備で雪山に出かけて嫌という程実感した。

 

無理をしなかったため恐怖を持ち帰ることなく下山できた。一週間ほどしてまた登ってみたいと思い、次の登山計画を立てた。雪山初心者が多く訪れるという八ヶ岳にいくことにした。特に北八ヶ岳のエリアは南ほど積雪も多くなく都合が良いようだった。

 

やはり装備を少しレベルアップさせたい。まずはチェーンスパイクを購入した。前回の山行で持参していたおもちゃのようなスパイクはスパイクがポロポロと抜け落ちてすぐに使い物にならなくなった。今回はチェーンスパイクをモンベルで購入した。モンベルのものは流石に登山者向けに作られているだけあり使用していてその良さを実感する。寝袋の下に敷くマットも空気が漏れて使い物にならなくなったので、新たにモンベルで調達した。靴は予想以上に不便さを感じなかったのでそのままアプローチシューズでいくことにした。前回はダウンジャケットで歩いたが、暑くてそしてかさばり大変だった。しかしハードシェルはやはり値が張るしそれほど必要な状況でもないので今回も購入は見送ることにした。山にいれば「金で解決できるならそうするべきだ!」と強く思うのだが、下山するとまた同じ思考に戻ってしまう。この時もダメならすぐに引き返すということにした。あとは6000円もするモバイルバッテリーを追加購入。携帯さえ使えればGPSとオフラインの地図で現在地の確認ができるのでこれは必要だと実感していた。

 

北八ヶ岳山行

 

出発はど平日の木曜日の午前中だった。そのため巨大なザックを担いで電車に乗り込むと人々の視線が痛かった。八ヶ岳の玄関口となる茅野市まで向かうため、新宿駅より特急あずさに乗り込んだ。茅野駅からバスで親湯という登山口まで向かう。この親湯に冬季は閉鎖しているキャンプ場があるのでそこでテントを張り野営した。到着は午後2時で余裕があったので、テントを建てた後、翌日の登山口を確認しにいくことにした。

 

翌日に出発地点にしようと考えていた親湯の登山口は通行止めになっていた。茅野市と看板には書かれていたので茅野市に連絡する。他に通行止めになっている箇所はないか担当者に聞いてみた。すると詳しいことは近くの山小屋に聞いてみた方が良いということだったので、冬季期間もやっている山小屋に連絡することに。高見石小屋に電話をするときちんと人が出てくれた。親湯の登山口が通行止めになっていることを話すと、親湯からの「信玄棒道」というのは登山道というよりはハイキング道らしく、そのためその山小屋の人も知らなかったということだった。当初の予定では親湯から双子池まで向かいそこで野営予定だったが、親湯が通行できないので、親湯から北八ヶ岳ロープウェー、そこから高見石小屋へ向かうルートに変更した。その話を小屋の人にすると通るルートに関する情報を丁寧に教えてくれたのだった。それはあなたのような方が山小屋をやっていてくれてありがとうと言いたくなるほどの対応であった。その人は事実だけを慎重に言葉を選んで正確に伝えてくれ、その情報には例年の状況から予想された話や経験からくる勘などは含まれていなかった。それは例えば「そのルートはここ一週間以内に少なくとも5人の人が歩いているのでトレースは確認できると思います」といったものや「トレースはワカンやスノーシューによるものなのでつぼ足ではくるぶしくらいまで埋まると思います」といった言い方だった。

 

高見石の山小屋の人に礼を言い電話を切ると、テントへ戻り眠りについた。新しく購入したモンベルのマットはやはり優秀で、一番保温力が低い軽いものではあったが、十分に地面からの冷気を遮断してくれていた。今回はさらに避難用に携帯するアルミシートを寝る時に使用してみた。寝袋の中にアルミシートを入れて足先からへそくらいまでを包んでしまうのだ。このアルミシートには体温を逃さない効果があるので体に近い部分に使用するのが良いと思ったがこれが大正解で、体から放射される熱が反射してぽかぽかと温かい状態を保つことができた。しかし雪山に向かうという不安からかあまり眠ることはできなかった。

 

翌朝は3時に起きた。まだ真っ暗で雪も降っていたが出発の準備を整え始めた。一日の開始の行事としてやはりコーヒーを飲んでから行動を開始。テントの外は寒いので中でできる限りの準備を整えてから外に出てテントを畳んだ。手がかじかみ、荷物や体が雪に覆われる。できる限り素早く荷造りをして雨具を被ってテント場を後にした。出発はちょうど朝の5時だった。

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早朝の吹雪の中を進む

 

暗く雪が降るなかをひたすら北八ヶ岳ロープウェー駅まで歩いた。距離にして7キロだったが、相変わらずの重い荷物を担いでの歩行は優しいものではない。出発地点の標高が約1350mで北八ヶ岳ロープウェー駅の標高は1771mなので傾斜も多少ある。約7キロの距離で3時間ほどかかり到着は午前8時だった。到着する頃には雪は止んでいた。しかし天気は曇り空であった。

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北八ヶ岳ロープウェー山麓駅

 

荷物を軽くするため水は一切持たずに歩いたため喉がカラカラだった。途中に自動販売機を期待したが出発直後に一箇所あっただけだった。北八ヶ岳ロープウェー駅にはやはり自動販売機があり、一本150円の午後の紅茶ミルクティーとレモンティーを一本ずつ即座に飲み干して水分補給をした。そしてここでは温かい便座で用を足すこともできたのだった。

 

シリアルや干し肉などの行動食をばくばくと食べて体力を回復させる。30分ほど休憩して山麓駅から山頂駅までの登山道に向かった。雪はあったものの、トレースがしっかりとついていたのでくるぶしまで埋まることなくつぼ足で登ることができた。雪により木の枝が湾曲していてそれが登山道上の目の高さにいくつもみられた。その度にストックで雪を払うか屈んでやり過ごすかするのだが、少し間違うと雪がパラパラと首の後ろから体に侵入してきて服を濡らした。かといってダウンのフードをかぶると汗を書いて仕方がないのでそのままやり過ごした。ハードシェルが欲しいと思ったのは言うまでもない。調子よく歩くことができ、標準タイムの2時間を切って山頂駅に到着した。

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登山道にて

 

山頂駅では休憩室を拝借してストーブで濡れた装備を乾かした。ありがたいことにこんなとこにも自動販売機はあるものでやはり一本150円の缶コーヒーとゆずレモンを一気に飲み干す。そしてやはりシリアル、干し肉、チョコレートやあめ玉なども大量にボリボリと咀嚼し体力の回復に努めた。

 

30分ほど休憩してから五辻〜出会いの辻と登山道を進んだ。ここにくるとトレースはぐんとすくなくなり、それもワカンやスノーシューのトレースであったのでつぼ足だとくるぶし辺りまで埋まって歩きにくい。さらに少しトレースを外すとひざ下くらいまで埋まってしまう。予想以上に時間がかかり体力を消耗させられた。真っ直ぐと進むと国道299号線にぶつかったので、そのまま国道を東に進む。麦草ヒュッテを通過し、白駒池入口から再び登山道に入った。国道は冬季期間は車は通らないようで車の轍も人のトレースもついてなかったのでやはりくるぶしくらいまで沈み困難な歩行だった。白駒池入口からは急にトレースが増えた。白駒荘を経由して高見石小屋まで向かう。白駒荘から高見石小屋までは結構な急登で最後に残った体力を搾り取られた。この日は距離にして約18キロ、標高約1300mから2249mまで登った。

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つぼ足での歩行は体力を消耗する

 

高見石小屋に到着したのは午後3時だった。相変わらずの曇り空。小屋に備え付けられている温度計はすでにマイナス10度を指していた。テント場利用は550円。水は500mlで100円ということだった。テントを張る場所を聞くとテラスの下でどこでも空いている場所を使ってくれというので行ってみると雪だらけですぐにテントを設営できる状態ではなかった。しばらくテント泊された気配もない。仕方がないので小屋の人にスコップを借りてテント場の設営から開始。一時間ほどでなんとか整地を終えた。調子よく雪を掘っていたのだが、途中で埋め込んだ木が出てきて場所をずらすなどの作業が必要だったので思ったよりも時間がかかった。また平らでなければ寝心地が悪いのでその整地にも時間がかかってしまった。

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雪かきをしてテント場を整地

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風が吹く中ようやくテントを張れた


 

作業を終えるとすでに午後4時半頃になっていた。そして風が強くなってきた。暗くなる前にテントを急いで建てる。マイナス10度の中で風が強いためすぐに手足が冷えてくる。できる限り手足を冷やさないようにテントを建てると、全ての荷物をテント内にぶち込む。そこでようやく一息つけた。しかし、風が強くなってくるのでテントが飛んでいってしまわないかと不安にはなった。テントは一万円の安物であったし、ペグもささしづらく不安定だった。

 

行動食を常に食べていたとはいえ腹ペコだったのですぐに食事の支度に取り掛かった。この日の食事はインスタントカレーにしようかと考えていたのだが、予備食として持ってきていたインスタントラーメンを選択した。辛ラーメンに自作のペミカンを大量にぶち込むと900mlの鍋はあふれんばかりになった。風が強く、また持ってきたイワタニの普通のカセットボンベ缶は寒さにようで、チョロ火しか出ない。辛抱強くチョロ火で調理してなんとか夕食にありつけた。夕食の間にも風は止まず不安は高まった。隙間から風が入ってきて寒い。辛ラーメンのスープは後ほど体を温めるためにそのまま鍋に残しておいた。

 

せっかく温まった体を冷やさないように寝袋にくるまる。非常用のアルミシートに使い捨てカイロを入れて足先から腰まですっぽりと覆った。ダウンパンツのようなものがあると寝る時には重宝するがそんなものは持ってきていない。アルミシートは軽くて小さいのでこういう時には本当に便利である。あとはカバンでテントの隙間を塞いだりするなど身の回りにあるあらゆるもので寒さを防ぐ工夫をした。使い捨てカイロは予備をのぞいて全て寝袋に投入した。寝袋に使い捨てカイロを入れると内側からぽかぽかと温かい。しかしこの時は外気が寒すぎたためいつものようにはなかなか暖かくならなかった。風が強くその不気味な音を聞いているとものすごく不安になってくる。山は天気が変わりやすくその表情をすぐに変えてしまうが、その天気の変わりやすさと同じくらいに人間の精神状態もすぐに変化してしまうことがわかった。晴れている時には山は優しい表情をしていてこちらの気分も穏やかだが、天候が悪化し吹雪などになると表情は一変しこちらの心境も急激に悪化していく。山になんかくるのではなかったと言ったような弱気な気分にすぐに陥ってしまう。晴れてぽかぽかしていればどこへでも行けそうな気がするが、吹雪いて寒くて何も見えないとどこへもいける気がしない。このような天気が続いたらどうなるのかと絶えず不安になる。寝袋に包まりながら落ち着かなくできる防寒対策をしているしかなかった。小便はジップロックにいたことは言うまでもない。

 

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水がなくなったので雪で作る

 

ひたすら時間がすぎて朝がくるのを待つしかなかった。寒さと不安で寝付くことはできない。寝袋にくるまってもどうしても隙間風が入ってきて体を冷やすので、ジッパーを一番最後まで閉めるだけでなく、最後の隙間まで寝袋カバーで覆ってみた。すると息苦しくはあるが暖かさは抜群によくなった。ミノムシのようになりながら朝を待つ。途中3時間くらいなんとか寝れて朝を迎えた。

 

午前5時になっても風はまだ吹いていた。早く準備をしてここから脱出したかったが、仕方がないので少し我慢することにした。午前7時頃になるとようやく陽が差し込みはじめてテントの中も少しは暖かく感じられるようになってきた。太陽のありがたみをしみじみと感じる。ようやく寝袋から出る決意ができた。やはりコーヒーを飲んでからできるだけ寝袋に包まりながら出発の準備をした。

 

当初の予定では海尻駅まで東にひたすら歩いて行こうと考えていたのだが、やはり冬季期間は歩く人がいないということでトレースが付いていないと小屋の人に聞いた。長い距離であったし、カンジキなどの装備も足りていないので下山することに決めた。渋の湯からバスが10:30、11:35、14:45と3本でているようだった。朝早くに出発できれば中山に登頂して最後のバスで帰宅を考えていたが、出発が遅れたためそれも断念した。危険は避けたいが物足りなさを感じていたので渋の湯まで下山して、そこから歩いて茅野駅までいくことに決めた。約23キロの道のりをゆっくりと歩いて帰った。

 

二度の雪山登山を終えて

 

二度の雪山登山を終えて痛感したのは雪山は装備が命だということ。しかし、装備を整えると重くて登るのに支障をきたしてしまう。そのためすれ違うほとんど多くの登山者が日帰りのようだった。一泊でもやはり山小屋に宿泊している人が多いようだ。さらに多くの人は自家用車かタクシーかバスで麓まで行き、ロープウェイを使えるなら使い、軽装備の最低限必要な装備で山頂を目指すスタイルだった。登頂するという目的をストイックに遂行するなら車でいけるところまで行き体力を温存してできる限りの軽装備でサクッと頂を目指すということになるのだろう。しかし軽装備の人がトラブルに巻き込まれた場合が一番危険なような気がする。テント泊の場合であれば、テント、寝袋、マットが必須であるし、寝る時に寒いのでダウンなどの厚手の服が必要になるし、さらに自炊するなら燃料、コンロ、鍋、食材も担がないといけないが、何かあった時には数日間は持ちこたえることができるだろう。雪山で安全を確保するには多くの装備をかつげるだけの体力と脚力が必要であり、体力などに比例して自由度も高まるということだろう。

 

登山者は管轄エリアの市の職員や山小屋の管理人、またはすれ違う登山者などから情報を得たりするが、山の情報に関してはその全ては鵜呑みにしてはならないだろう。親湯の入口が通行止めになっているという情報は事前の情報集めでもアプリの地図上にも確認できず、市の職員も山小屋の人も把握していなかったくらいだ。アフリカを横断している時にも思ったことだが、正確な情報を正確に伝えてくれる人は少ないのである。情報とその根拠となる事実を伝えるというのは予想以上に簡単ではない。事実、奥多摩で私が困難であると判断してルートを変更した際に、すれ違った登山者にその理由を話したところ「問題ないでしょ」などと言われたこともあった。人の言葉とは不思議なもので自分で「無理はできないな」と思っていても誰かに「大丈夫でしょ」と言われれば「なんだ問題なかったのか」と簡単に勘違いしてしまうのである。人は他人の能力や経験や装備に関しての情報など持たずにただ「問題ないでしょ」と言えてしまうのだ。一度立ち止まって冷静に判断したいものである。


冬はほとんど使われない登山道なんかもあるからトレースがついてなくて難しい。登山者は車で来る人が多いから必然的に同じ場所に戻る。そしてメジャールートに圧倒的に集まる。だからトレースのある場所は限られてくる。自宅で行きたいルートを自分でプランニングしてもリスクを考えたら実行出来なかったりする。二回に渡る冬山登山ではどちらも計画した通りには行かなかった。通行止めにあったり、冬季は誰も通らないルートであったり、吹雪で心が挫かれたり、寒さで不安になったり。進もうか引き返そうかルートを変えようかの葛藤が頻繁にあった。

 

あとはやはり一人で山に行くなら衛星端末をポケットにいれて行きたい。衛生端末に関する情報はネット上には少なく、アマゾンのレビューも数件しかないなど、登山者が衛生端末を所持するのはほとんどなさそうだ。ココヘリという16キロ圏内であればへりで探してもらえる端末などは利用されているようだ。

雪山から帰ってきて日常に戻った時の感覚は病みつきなる。それほどたいした登山をしたわけでもないのだが、自分なりに危険は感じていたわけで、その危険を乗り越えて無事に生還した後の普通の日常、平和がたまらないのだ。日常との緩急をつけて日々のありがたみを感じるためには、私の知る限りでは雪山登山はもっとも手っ取り早い方法かもしれない。ありふれた日常は危険を経てこそその価値を知ることができる。非日常を減るよりも危険の方が強くその価値を実感できる。危険もしくは危険と自分が感じることが必要になる。雪山登山に行くと決めるとまずはワクワクする。そして次第に憂鬱になってきて、出発の前日などは行きたくなくなる。なんでこんなことを計画したのだと思い出す。出発当日も不安でしかなく、歩き出せばそこそこ気力は出てくるものの楽しいという感情を不安が余裕で上回る。常に不安がつきまとう。吹雪きや寒さに襲われれば恐怖を感じる。そのような不安と恐怖による緊張が山行中はずっと続く。寝れていなくても一日中歩き続けたり眠くならないのは神経が張り詰めている証拠だろう。そのような状態がたった2、3日続くだけであるのに、帰ってきた時の不安や緊張からの解放、危険から生還した安堵はただの日常の景色をこれでもかと変えてくれる。寒くて不快で不便な思いをすればするほどただの暮らしがいかに快適であるかを実感できる。途轍もない幸福感に包まれる。

危険、緊張、嫌なこと、これらは人生に活力を持たせるには必須だ。その行為をすることが憂鬱であればあるほど、終えた時の解放感は大きなものになる。その中でも危険という要素は抜きに出ているかもしれない。緊張したり嫌だなと思うことは日常そこそこ訪れる。しかし危険だと感じることはそれほど多くはないだろう。地震が来たりしても多くの場合は「大丈夫だろう」などと思うはずだ。そして同じ危険でも災難として不運に降りかかったものと、自分で危険かもしれない状況に自ら身を置くのとでは感じ方が違うように思える。自分でコントロール出来ない状況とコントロールできる状況。コントロール出来ない状況はただ怯えてそれが過ぎてくれるのを祈るばかりだが、コントロールできる状況は自分の知識、経験、知恵をフル動員してその状況を打開しようとするだろう。その状況で危険度が少しでも下がるように恐怖が少しでも和らぐようにできることをする。自ら危険に身を晒すという馬鹿馬鹿しいとも思える行為の先には、それをしなければ得られない自信の向上や圧倒的な幸福感があるのかもしれない。雪山登山を終えて列車に揺られている時には二度と冬山には近づきたくないと思うものだが、次第に行きたくなってくる。出発前には無事に帰ってくるため必死に地図を見てプランを考える。必要な装備を考える。荷物が重くならないように正確な取捨選択が必要になる。天候など状況に合わせた対応や臨機応変さが求められる。歩きぬく体力と精神力だけでなく慎重さや柔らかい脳みそが必要とされる。それらが必要とされるということはそのような能力の向上が期待できるとも言える。雪山登山は人間が日々を生き抜くために必要な能力の多くを、十分すぎるくらいに与えてくれるものなのかもしれない。