これは私が2012年2月にケニア北部に住む少数民族であるトゥルカナ族を訪ねた時の記録である。
1.アフリカの先住民
私はバスに乗り前方の座席に掴まりながら必死だった。私はケニアの首都ナイロビの北西約500キロに位置するロキチャーという町を目指していた。
町への道は途中から舗装されておらず、その移動は過酷なものとなった。全開の窓から襲い掛かってくる砂塵に私の目は覆われ、呼吸は妨げられた。衝撃吸収力が貧弱な車体と、申し訳程度にクッションが入った椅子のため腰は悲鳴を上げた。そしてスピードを落とすことなく走る自信過剰なドライバーは、私の頭を何度も天井にぶつけたのだった。
ナイロビからバスを乗り換え、15時間以上にも及ぶ過酷な移動となった。アフリカの雄大な景色を眺めながら、様々な鳥の声を聴き、髪を心地よくなでる風に吹かれて、悠久の母なる大地に感謝する、といった思い描いていたイメージは、完膚なきまでに叩きのめされたのだった。
「すみません、チャリティーの友人の方ですか?」
ロキチャーに到着し、疲れ果て放心状態だった私に誰かが声をかけてきた。それはナイロビに住む友人のチャリティーの叔父のサムエルだった。到着が遅いので私を探してくれていたようだった。
私はフィリピンの大学に一学期だけ席を置いていたことがあったが、そのときにケニア人の留学生である、カルソンという男に出会った。そして今回ケニアを訪れるという話をしたところ、カルソンがナイロビに住む姉、チャリティーを紹介してくれ、彼女が叔父のサムエルを紹介してくれたのだった。
「叔父のサムエルが住むロキチャーには、トゥルカナ族という先住民がいるのよ」
ナイロビのレストランでチャリティーが発したその言葉に、私は条件反射的に飛びついたのだった。アフリカの先住民に会ってみたかった。それは何か具体的な動機があったわけではなく、無意識に自分に課していた義務のようなものであったのかもしれない。幼い頃から、記憶の中に少しずつ「アフリカの先住民」というイメージが蓄積されていき、そんなものが無意識に働きかけたのかもしれなかった。特別トゥルカナ族だからと興味を持った訳ではなかった。「アフリカの先住民」というカテゴリーに属しているものならば、きっと何でもよかった。遠い異国のアフリカで、裸に布のような物を巻きつけ槍を持ち、動物を追いかけているような、そんな人たちをこの目で一度見てみたい、そんな漠然とした好奇心だったのかもしれない。私はその場でロキチャー行きを決めたのだった。
サムエルはワイシャツにスラックス、そしてサンダルというラフな格好をしていた。背は高くも低くもなく、痩せていて、表情が柔らかい優しそうな男だった。
サムエルは同行していた女性を紹介してくれた。背は高くスラっとして、白と紫の鮮やかなワンピースにカラフルな首飾りと大きなピアスをしていて、その派手な装飾にも負けないくらいニコニコして明るそうな女性だった。彼女の名前はアリスといった。サムエルはロキチャーの町役場に勤めているとのことだったが、そこで一緒に働く同僚なのだという。
サムエルはケニアに住む民族の内の一つであるカレンジン族の男で、このロキチャーの南に位置するカプソワールという町の出身なのだという。仕事の都合上、このトゥルカナ族が多く住むロキチャーに配属され、今はここで生活をしているとのことだった。アリスはこの地で生まれ育ったトゥルカナ族の女性で、ずっとこの地で暮らしているのだという。ここではアリスのように町で生活しているトゥルカナ族もいれば、町の郊外でキャンプ暮らしをしている人々もいるということだった。ケニアはイギリスの植民地であったので、スワヒリ語と共に英語が公用語となっている。当然彼らも英語を喋る。
「私には母親が二人いるんだ」
お互いの家族の話をしているとサムエルが言った。サムエルたちカレンジン族は一夫多妻制ということで、サムエルの父親は奥さんを二人持ち、皆一緒に暮らすので家には母親が二人いるのだそうだ。サムエルは35歳だがまだ結婚はしていないのだという。アフリカではかなり遅れているほうだ。サムエルはロキチャーに配属されもう7年になるとのことだったが、トゥルカナ族の女性は遠慮したいと彼は強く主張し、アリスは苦笑いした。そしてその理由は後々分かることになった。
食事を済ませアリスと別れると、サムエルは彼の家に案内してくれた。サムエルは住む場所など何も考えずにフラフラとやってきた私に、彼の家を使わせてくれたのだった。未婚のサムエルには部屋は一つしかなかったが、彼は友人のところに行くからと快く部屋を譲ってくれたのだった。
私は真っ暗な部屋の隅にリュックを放り投げると、疲れていたこともありあっという間に眠りに落ちた。
2.トゥルカナ族の住む町
ケニア北西の町ロキチャー。潅木が岩石砂漠に点在するだけの半砂漠地帯だ。降水量は少なく作物はほとんど育たない。交通の便は悪く観光資源もないので、旅行者は訪れない。訪れるのは石油を探しに来る中国人か援助に来るNGO、もしくは調査で訪れる研究者くらいだ。
町はとても小さい。メインストリートには商店がわずかに並んでいるだけで、あとはそこから少し離れたところに民家がぽつりぽつりと点在しているくらいで、ほかは見渡す限り延々と砂漠が広がっている。町に電線は通ってなく、人々は必要な時のみ発電機を回し電気を使用する。太陽光発電が備え付けられている場所も存在するが、町に数カ所のみだ。水道も存在しないので、水は必要なだけそのたびに井戸へ汲みに行かなければならない。雨など降らないので太陽は日中ずっと顔を出し、体感温度は高い。喉は異常なほどに渇く。殺人的な日差しに為す術はない。人々は建物がつくる日陰によく座り込み、ただボーっとしている。そして町の人間はよく「のんびりしていけ」と声をかけてきた。
携帯電話はよく普及している。電線が通っていなくても人々は携帯電話を持つ。ケニアの携帯電話会社であるサファリコムが建てた電波塔がロキチャーの町にはあり、そのためトゥルカナ族が住む郊外のキャンプですら電波を受信することができるのだ。人々は携帯電話に毎月約1800円もの大金を使う。サムエルが暮らす家の家賃は約900円だ。
町には大きな病院がある。電気を必要とする病院は太陽光発電により常時電気が供給されている。私が訪れたとき、ユニセフのロゴ入りダンボールが山積みにされた廊下では人々が列になり診察を待っていた。廊下にはトラコーマ(クラミジアによる結膜炎)による失明に至るまでの過程が示された気色の悪いポスターが貼られていたり、ギニア虫感染症(ギニア虫の幼虫が体内に寄生する感染症)のため蛆が足からニョキっと飛び出したやはり目を背けたくなるようなポスターも貼られていた。それらのポスターのすぐ下には「すぐに医者の診断を受けなさい」などと書かれていた。
人々の食事だが、ロキチャーではウガリがよく食べられている。ウガリとは穀物の粉を煮て作られるもので、ケニアの主食になっている。沸騰したお湯に穀物の粉を少しずつ足しながら、固まるまでかき混ぜて作る。トウモロコシの粉が使われる場合が多い。食べるときは拳くらいに丸められた状態で出てくる。それを一口大に手でちぎりスープなどにつけて食べる。
また彼らはチャパティーも食べる。ケニアには、イギリス植民地時代にケニアに労働者として連れてこられたインド人の末裔がナイロビを中心に生活しているが、その影響でチャパティーがケニアに広まった。町のレストランではよく焼かれていた。またパスタも主食として食べられている。ケニア東部にはソマリ族が多く住んでいるが、ソマリ族の一部の地域が過去にイタリアの植民地支配を受けていたことがあり、そのためパスタを食べる文化が根付いた。
米もケニアでは食べられている。これはインド洋沿岸地域は古くからアジア世界との交流が深かったということが関係している。しかしロキチャーのレストランでは徹底して「ノーライス」という返事が返ってきた。このケニアのはずれの町までは供給が無いようだった。また町で見かけた野菜は悲しくなるくらいジャガイモだけだった。そして人々が食べる肉はヤギばかりだ。ヤギはとにかく臭い。ヤギはジャガイモと一緒に煮込まれ、またパスタにも絡まってくるため、何を食べてもヤギの味しかしない。ヤギのスープにウガリやチャパティーを浸して食べれば、当然同じ結果がもたらされる。ヤギはしつこいくらいに食卓にあがる。そしてやがて服にもヤギの臭いが染み付くのだ。
あとは豆などを食べる。炭水化物ばかりなのである。そしてなかなか胃に入っていかないところを、ぬるいコカコーラで流しこむ。人々は酒を飲む。大酒は飲まない。サンディエゴというバーにあるケニア産トスカビールは冷やされない。たまに冷やされる。ファンタグレープもセブンアップもマウントケニアンもストーニーもクレストもギネスもピルスナーもぬるい。人々はタバコをほとんど吸わない。「暑いから」というのが、私のつまらない質問に答えてくれた人々の理由だった。
外の世界からは取り残されたような町だが、人々はそんなことお構いなしといった風に日々の生活を淡々とこなしていた。
3.町の人々の日常
到着翌日、私はヤギの鳴き声により起こされた。ベッドの中で腕時計を見るとまだ朝の6時だった。寝ぼけてはいたが、すぐ近くで物凄い数のヤギが鳴いているということは嫌でもわかった。外に出てみると、ざっと数えて30頭ほどのヤギが暇そうにたむろしていた。それはサムエルの隣人の所有するヤギであるようだった。薄い壁一枚挟んだ先でこれだけのヤギに鳴かれては、スヤスヤといつまでも寝ていられるはずはなかった。人の睡眠を妨げたことなど露知らず、メエメエと皆似たような顔をしてヤギは鳴いていたのだった。
しばらく眺めていると、ヤギの飼い主の娘であろう小さな女の子がヤギの群れに突入し、彼らを無邪気に追いかけまわし始めた。ヤギは抗うことも出来ずに鳴きながら逃げ惑っていた。ヤギには不憫であったが、そんな無邪気な少女とヤギのつくり出す光景は、どこか気持ちを和ませてくれるものだった。そしてアフリカの時がマイペースにゆっくりと刻まれるような錯覚を私に与えた。この町では朝起きて新聞を読む必要もなければ、天気予報をチェックする必要もなく、テレビのお姉さんとジャンケンをする必要もないのだ。「暇な朝」というどこか矛盾して聞こえる言葉が通用する場所だった。
しばらくするとサムエルが家にやってきた。そして家の使い方の説明をしてくれた。使い方といってもそのトピックは豊富ではなく、シャワーと便所に関して簡単な説明があっただけだ。シャワーを浴びる際は、バケツに水をためて外につくられた小屋で体を洗ってくれとのことだった。部屋にはサムエルが汲んできた水が入ったポリタンクがあった。そのポリタンクの水をバケツに入れて使用してくれとのことだった。部屋からシャワーを浴びる小屋まではさほど距離はなかったが、水の詰まったポリタンクは約20キロもあり、悲劇的に不精な私は重く持ち運ぶのが億劫であったので、シャワーはバケツ一杯で浴びるという決意を迷うことなく行ったのだった。
便所は小屋の中に穴が掘ってあるだけの、いわゆるボットン式便所だった。しかしロキチャー式ボットン便所は、日本のそれを遥かに超えて不快極まるものだった。その穴の中にはコウモリが住んでいたのだ。ゴキブリが好物とのことで集まってくるのだという。覗いてみると何匹かのコウモリがぶら下がり、なんだか笑みを浮かべているかのように見えた。ロキチャーの便所はコウモリにとって居心地の良い巣であったのだ。これほど不快な便所は中国でもインドでも見たことがなかった。コウモリがうようよしているところにケツをさらけ出さなくてはならないとは。不快というよりも恐怖という形容詞がぴったりの便所だった。
その日の午後はサムエルと昼食を食べてから、家畜の売り買いをするという場所に連れていってもらえた。見に行ったときはラクダが売られていた。柵の中にポツンと寂しそうに一頭だけでそびえたち、そのラクダは買われるのを待っていた。ラクダは三日もすれば新しい飼い主に従うのだとサムエルは言った。そしてラクダの肉は牛の肉よりも多くの量が取れるのだという。ラクダは砂漠という環境に強く、従順で、貴重な食糧にもなるということだ。
トゥルカナ族は家畜を所有することで財産を築いてゆくのだという。日本人が家や車を持つのと同じ感覚のようだ。取引される家畜の値段だが、ヤギは約3000円、羊は約5000円、牡牛は約2万5000円、雌牛は約4万円、ラクダは約3万円なのだという。しかし家畜の太り具合により値段は前後するとのことだった。ちなみに公務員であるサムエルの月収は約2万円なのだそうだ。家畜を売り買いする場所の近くには屠殺場があり、そこで屠られた家畜は肉屋へ運ばれていくとのことだった。
夕方、サムエルと共に家に戻り、庭で近所の子供達がはしゃぎまわる姿を見ながら二人で話をしていた。すると、「ニュースを見に行くんだけど、一緒に行く?」とサムエルが言った。夜7時になると「ニュースを見に行く」のだという。ついていくことにした。
テレビを見る場所はどうやらホテルの庭のようだった。そこには16インチ程の小さなブラウン管テレビが備え付けられ、テレビの前には椅子が並べられていた。日は沈みかけ、辺りは暗くなり始めていた。漂っていた生暖かい空気を風が気持ちよく吹き飛ばしていく中、人々が続々と集まってきた。小さな子供の姿もあった。そして人々は椅子に腰掛け楽しそうにおしゃべりを始めた。なにか夏祭りで花火を待っているかのようなうきうきした雰囲気がそこにはあった。そして時刻は7時になり、小型の発電機がうなり声を上げると、同時にぱっとテレビがついた。小さなブラウン管テレビの中で粗い画像のなか映し出されたニュースキャスターは、ノイズだらけの音声でニュースを読み始めた。人々はテレビを見ながら、ニュースの内容などについてお互いに話をしていた。
沢山ある情報からすばやく必要な情報を選択し、吸収することが求められる現代だが、なんだか急にそんなことが馬鹿らしく思えてきた。少なくともそんなことをしている人間はこの中にはいなそうだった。情報に踊らされていない、あくまでも情報は利用しているだけだ、と自分では思っていたが、もしかすると私は情報に踊らされていて、寧ろ情報に利用されていたのではないだろうか。情報が飛び交う世界に押し込められ、向かってくるそれを受け止める作業に没頭し、情報の世話をする作業に時間を消費させられていたのではないだろうか。テレビを見ながらただ楽しそうに会話する彼らを見ていたら、急にそんなふうに考えてしまった。そしてその感覚を忘れてたくないと強く思った。
8時になると番組は変わり、今度は学園ドラマが流れ始めた。ナイロビで撮影されたものだろうか、役者はアフリカの人々だった。高校の教室であると思われる場所で生徒たちが授業を受けている。突然女生徒が吐き気を催し教室を出て行く。そして不審そうに顔を見合わせる生徒たち。そして場面は放課後の教室に移り、そこには先生、吐き気を催した女生徒、男子生徒、そして保護者と思われる女性が向かい合って話をしている。妊娠してしまったことを知られ、男子生徒と女生徒はうつむき気まずそうな表情を浮かべている。そのような内容のベタな青春ドラマだった。言語は英語でありお世辞にも演技がうまいとは言えなかったが、人々は皆釘付けになり、食い入るようにテレビを見ていたのだった。そしてドラマの内容が盛り上がってくると、見ている人々も隣の人と話をして一緒に盛り上がる。そのような躍動感がその場にはあった。子供たちもまるで瞬きするのを忘れてしまったかのようにテレビに食い入っていた。
テレビの時間は夜9時までの2時間のようで、発電機の音が止まったと同時にテレビはプツンと消え、町は静寂を取り戻していった。
テレビが普及した頃の日本もこのようであったのかとそのとき想像した。きっとこういうワクワクした気持ちを人々と共有できたのではないだろうか。毎日夜7時に集まり皆でテレビを見る。娯楽も少ないこの町だが、どこか羨ましく感じている自分がそこにはいた。テレビを見るという目的により人が集まり世間話をする。そんなことがひどく新鮮に感じられた。物がなければないだけ他人との共通点が多く持てるだろうし、そして共通のものが多いというのは人と人の心の距離をより近くにもするだろう。情報が少なければ少ないほど、あれこれ心配する必要もないし、羨む必要もないし、心が豊かになるのかもしれない。またそのような環境を自ら選択しているわけではない、という状況が、自然と人間らしさを育んでいるのかもしれない。
4.トゥルカナ族と対面
トゥルカナ族、彼らは牧畜民である。家畜の餌になる草と水を求め場所を変えて生活をする。水の供給が安定していないこの土地では特に移動が必要となる。主にヤギを飼い、羊やドンキー、ラクダ、そして牛などの家畜も規模に応じて持つ。その動物のミルクや肉、そして血を食糧とする。「家を守るのが俺たち男の役割だ」という理屈のもと、男はあまり働かない。トゥルカナ族は女性が主に働く。水を汲みに行ったり、動物の世話をしたり、木の枝をドーム状に積み重ねて作るマニャータと呼ばれる家を建てるのも女性の仕事である。現在は家畜や薪を町で売り、他の食料や水などに変えて生活をしている人々もいる。
そのようなトゥルカナ族の説明をしてくれたサムエルが、昔からの生活スタイルを維持するトゥルカナ族に会わせてくれるという。仕事でトゥルカナ族を訪ねるとのことで、サムエルは彼の職場に連れて行ってくれた。サムエルはそこで、役場の同僚を紹介してくれ、皆と挨拶をさせてくれた。そこにはもちろんアリスの姿もあった。彼らは屋外の木陰に座りながらミーティングを始めた。朝に集まるのは、前日に町で起きたことを皆で報告しあう為なのだとアリスが言った。
当時、サムエルたちは郊外に住むトゥルカナ族のキャンプを訪れ、衛生面の指導を行っていた。キャンプで生活するトゥルカナ族はトイレを持つ習慣がなく、家の近くの茂みで用を足すので、虫が発生して不衛生であるとのことだった。また綺麗な飲み水が確保されない事で、病気に罹る人が多いのだという。病院に貼られていたポスターに描かれていたギニア虫感染症も飲み水が原因とのことだった。
その日も、ロキチャーから少し離れたキャンプで暮らすトゥルカナ族を訪れ、衛生面の指導を行うとのことだった。またユニセフから浄水剤とコンドームが定期的に送られてくるとのことだったが、それらの配布も兼ねているとのことだった。サムエルが一緒に参加しないかと誘ってくれたので、ついていくことにした。ついにトゥルカナ族に会う機会がやってきたのだった。
サムエルの所有する車に職員と共に乗り込み、トゥルカナ族が暮らすキャンプへと向かうことになった。20分ほど車を走らせ、キャンプに到着した。そしてその光景にすっかり感動させられたのだった。彼らはきちんとアフリカの先住民を「やってくれていた」のだ。民族衣装はきちんとカラフルであったし、ビーズの首飾りは何かの写真で見たように首に沢山巻きつけてあったし、やはり手作りの楽器も持っていたし、上半身が裸の女性もしっかりとそこに居てくれた。そして私が「ハロー」と挨拶をしてもそれすら全く理解しなかったのだ。
彼らの話す言葉は少しも分からなかった。もちろんトゥルカナ語だ。それはまるでガムをクチャクチャと音を立てながら噛んでいるかのような発音で、英語とも日本語とも、そして今まで聞いたどの言語とも似ていなかった。言語ではない何か他のものにすら聞こえた。歓迎してくれているのか、それとも不愉快に思っているのか、言葉は分からなくてもそれくらいは判別できそうななものだが、彼らが何を考えているのかさっぱり分からなかった。いままで英語が通じない人とコミュニケーションを図ったことは何度かあったが、それとは全く違う感触だった。違いすぎるライフスタイル、共有できる価値観がないと、ここまで人が分からないものなのかと、そのとき感じたのだった。
早速、サムエルたち職員は衛生面の指導を開始した。彼らは棒切れを使い砂の上に何かを書き始めた。それは、そのトゥルカナ族の人々が住んでいる地域の見取り図であるようで、その見取り図と共に何処にトイレ用の穴を掘るべきかアドバイスをしていたのだった。アリスがトゥルカナ語で身振り手振り交え説明していた。しかしどう見ても彼らがまともに話を聞いているようには見えなかった。彼らからは集中力というものが全く感じられなかった。ひっくり返り寝始める人や、途中でその場から離れる人もいた。それでもアリスは話を続けた。やっていて意味があるのか、私はそのとき、そのように感じざるを得なかった。
サムエルたち職員は今まで他の集落でも、こういったデモンストレーションを交えたアドバイスをロキチャー周辺で行ってきたのだそうだ。しかし今回のようにトゥルカナ族に啓発活動を行っても、彼らの生活スタイルが変わることはあまりなく、無駄に終わることが多いとのことだった。トイレの指導をしても結局穴を掘ることはせずに近所で用を足し、コンドームは好まないので使用しないのだとか。それでも彼らの病気のリスクを減らそうと、サムエルたちは必死になってその問題に取り組んでいた。
ライフスタイルを変えるつもりのないトゥルカナ族と、変えてあげたい役人たちの思惑は一致していなかった。どちらが正しいのかなど、さっぱり分からなかった。
5.結婚式に参加
ロキチャーの町に滞在しているときは、いつもサムエルとアリスと行動を共にしていた。彼らの仕事に同行させてもらい、一緒に食事をして話をする、そんな日々だった。朝食、昼食、そして夕食までいつも共にしていた。彼らは突然訪ねてきた日本人にとても親切にしてくれた。
「トゥルカナ族は月の出ている晩はいつも踊るんだよ」
サンディエゴという名のレストランでラクダのローストを食べながらアリスが言った。「月の出ている晩に踊る」というそのフレーズは、好奇心を奮い立たせるには十分なミステリアスさを兼ね備えていて、弁の立つ好奇心は私にあらゆる言葉を投げかけ、説得しにかかった。そして、その粘り強さに根負けした私は、どうしてもその踊りとやらを見てみたくなったのだった。
その日以来、踊りを見るために毎晩のようにトゥルカナ族のキャンプを訪れることになった。なぜ毎晩になったのかというと、彼らはいつも踊っていなかったからなのだ。どうなっているとアリスに問いただすと、「お腹が空いてると踊らないからね、ポレポレ」といって彼女は誤魔化した。ポレポレとアリスはいつも口にするのだが、「ゆっくりゆっくり慌てるな」という意味のスワヒリ語である。不思議とその「ポレポレ」という言葉には、「まあいいか」などと思わせる力が備わっていた。この土地では急ぐという概念など薄く、待つしかないのだ。
そしてある日、サムエルと彼の友人の家に滞在していたとき、嬉しい情報が入ってきた。それはロキチャーから約20キロ離れたトゥルカナ族のキャンプで、結婚式が催されるというものだった。サムエルが言うにはもうすでに「開催されている」とのことだった。それならばすぐに行こう、と私は慌てたが、なだめるようにサムエルがこう言った。
「結婚式は1週間から1カ月続くから、心配しなくても見れるよ」
なんとも日本の常識からかけ離れた話なのだった。また、結婚式を挙げる理由というのがとてもユニークで、それこそ先住民らしいものだった。トゥルカナ族の女性を妻に持つには、家畜をその妻の実家に捧げなければならないそうで、ヤギでいうとそれは300頭くらいになるのだという。結婚しても家畜を渡さなければ実質的に妻は自分のものにならないというのだ。結婚式はその支払いをきちんと終えましたよ、というのを披露する場なのだという。しかし実際は結婚するときに必要な分の家畜を用意できる人は少ないようで、結婚後少しずつ支払っていくのが一般的なのだという。その為に結婚後、もしくはそれ以前から、トゥルカナ族の男性は家畜の数を増やしていかなければならない。サムエルはロキチャーで車を所有する珍しい人物だが、それは彼がカレンジン族の男だからなのだった。
「トゥルカナ族の嫁は金がかかる」
サムエルはいつもそう言っていた。だからロキチャーに赴任している彼はまだ結婚していなかったのだ。
子供が生まれても、一人につきヤギで約30頭の支払い義務が発生するのだという。子供が生まれるたびにヤギの頭数が加算されていくのだ。トゥルカナ族の女性で沢山の首輪を重そうにつけている人達がいるが、その首輪が未払いの証なのだという。例えば首輪一本につき5頭のヤギを意味する場合、10本首輪をつけていたら50頭の支払い義務が夫にあるということだ。男性は一生懸命ヤギを集め支払って、初めて妻子が自分のものになるということになる。
また妻になる女性の両親のもとに結婚前に挨拶へ行くときには、手土産を持参するのが通例であるようで、砂糖やタバコ、茶、そして「まるまる太った」羊一頭を持参しなければならないのだという。羊の太り具合で両親の腹の具合が変わるというのだから、なかなか大変である。羊が痩せて貧相であれば門前払いを受けることもよくあるのだとか。
だからこの土地では、女の子が生まれると喜ばれるのだという。しかし女性にしてみれば、自ら結婚相手を選べない、という不自由もある。男性が求婚し、両親を訪ね、両親が家畜を要求し話がつけば、結婚しなければならないのだ。トゥルカナ族の女性がよく働くというのが、この話を聞いて少し納得できた。男は結婚式を挙げたらリタイヤみたいなものだからだ。結婚式を挙げるまでに沢山稼がなくてはならないのだから。そしてあとは女の子が授かるのを祈るのである。
結婚式が開催されていると情報を得た翌日、サムエルたちが仕事を終えた後に結婚式のキャンプまで車で向かうことになった。ケニアの外れのロキチャーの、さらに外れのキャンプまでの道は見渡す限り砂漠一色だった。その荒れた大地で1時間ほど車を走らせると、結婚式が開かれているキャンプがようやく見えてきた。
すでに日は傾き、漂っている雲はオレンジ色に染められ、アカシアの木がその影を落としていた。茹だる様な暑さも次第に衰えていく。そのキャンプには100人を越す人々がすでに集まっていた。結婚する新郎新婦のために、ロキチャーの他のキャンプに住むトゥルカナ族の人々が歩いて祝福しに来ていたのだ。新郎新婦を紹介され挨拶をさせてもらった。そしてアリスが小声で私に言った。
「この人達お金持ちだよ」
確かに今まで見たトゥルカナ族よりも、ここに集まっている人たちは着飾っていておしゃれだった。特に男性は派手な衣装を着ていた。結婚式だからというだけでなくやはり金持ちなのだろうなという雰囲気はあった。鮮やかな色の布を羽織り、頭には羽の付いた帽子を被っていた。
この日はラクダを生け贄にして、結婚した二人に捧げたのだという。槍で喉元を一突きするのだとか。到着した時にはすでにラクダは息絶えて、女性により解体されているところだった。その女性は小さなナイフで器用に内臓を掻き出していた。そして植物の葉が敷かれた上にそれらは載せられていた。ラクダの切り落とされた巨大な首もそばに置かれていた。
結婚式で家畜を生け贄にするのは、結婚する家族に敬意を表しているのだそうだ。トゥルカナ族は家畜をとても大切にしている。その家畜を捧げるというのは何よりの表現方法なのだという。この日はさらに牛とヤギも生け贄にするのだと彼らは言った。
しばらくすると、牛とヤギが連れてこられた。牛とヤギは男たちに足を掴まれ押さえられていたが、まるで自分の運命を受け入れているかのように暴れることなく大人しくしていた。そしてやはり喉元に槍を突かれ、あっけなく死んでいったのだった。悲鳴をあげることも無く、静かに死んでいった。この結婚式という舞台で生け贄にされたその家畜からは、屠られる家畜から漂う生命の凋落のような暗澹さはなく、安らかに死んでいったような印象があった。ただ殺されていく家畜からそのように感じるほど、私の感覚は霊妙なその儀式のために、そのときそれほど高揚させられていたのかもしれなかった。
6.砂漠の闇
何よりも期待していた踊りだが、この日はもう踊らないということだった。到着する前に既に踊り終えていたという話だった。これまで何度もトゥルカナ族のキャンプを訪れてハズレばかり引いていて、今回は結婚式だから間違いなく見物できるだろうと考えていたのだが、つくづく踊りには縁がないのかもしれなかった。結婚式で次はいつ踊るのかと聞いてみると、夜明け前から夜明けにかけて踊るということだった。時刻は夜の8時を過ぎていた。しかし彼らと同じようにここで一夜を明かすことは、やめておいたほうがよさそうだった。毒をもった蜘蛛やサソリが出るというのだ。
車で町に戻ることにした。辺りは行きとは異なり完全に闇に閉ざされていた。真っ暗で少し先ですら何も見えなかった。そんな闇の中、ろくに道もない砂漠を、方角だけを頼りに進まなければならなかった。昼間と違い地面の起伏が確認しづらいので、車は激しく上下運動を繰り返した。転倒してしまうのではないかと思うほど車は暴れた。誤って窓から放り出されでもしたら、野生動物の餌食になってもおかしくはなかった。
20分ほど走行すると、突如車のエンジンがストップしてしまった。嫌な予感はしていた。ずっと車がうなり声を上げていたのだ。そしてその理由は明確だった。砂地で起伏があり、ただでさえ走行が困難な状況である上に、トラックの乗客は10人を超えていたのだ。というのも、結婚式に参加していたトゥルカナ族の人々が町に行くなら是非乗せていってくれと、一緒についてきていたのだ。普段キャンプ生活をしている彼らにとって町に行くのは一日がかりで、こういうチャンスは滅多にない。そのため、ここぞとばかりに荷台に乗れるだけ乗り込んできたのだった。それも男ばかりであったため重く、おそらく体重の合計は600キロを超えていた。
しばらく車を休めて様子を見るということになった。車のライトも消え、辺りは何も見えなかった。砂漠は完全なる闇に閉ざされていた。そしてその闇の中には野生動物が存在している。町が近いので可能性は低いが、それでも遭遇しないという保障はどこにもなかった。実際、野生動物によって人が殺される事件は、この辺りでも起きているとサムエルは言っていた。辺りは本当に静かで、ライオンの寝息が聞こえてきそうなくらいだった。そしてその静寂が私の不安をさらに増幅させていた。
しばらく時間が経過したので、エンジンを掛けなおしてみることになった。しかしサムエルがいくらキーを回しても、車は苦しそうな音を出すだけで、エンジンは一向に掛からなかった。皆で車を押してみることにした。しかし地面は砂地であったのでなかなか車に勢いをつけることができず、やはりエンジンは掛からなかった。サムエルがエンジンに水を掛けると、ジューという音と共にモクモクと煙が上がった。だいぶエンジンに負荷がかかっていたようだった。サムエルは水をかけ続け、エンジンをひたすら冷やし続けた。
そしてしばらく時間をおき、皆で車を押した。そしてサムエルがギアを変えると、ようやくエンジンは息を吹き返し、そのうなり声をあげた。再び車は真っ暗な砂漠を走り始めた。
しばらくまた同じような道が続いた。サムエルは慎重に道を選びながら進んだ。確認できる限り、状態のいい道を選んだ。そしてスピードを出しすぎることなく、エンジンの負担を減らすことに神経を注いだ。その運転はここで出来る限りの最高のテクニックに違いなかった。しかし次第にエンジンの音が元気を無くしていくと、「プスン、プスン、スン、スン」ともう駄目だといわんばかりの情けない声を上げ、エンジンは止まってしまった。そのエンジンの止まり方から、しばらくは動かないだろうということは誰にも明らかだった。それでも距離はいくらか稼ぐことが出来たようで、私たちは車を置き去りにして歩いて町に向かうことした。
灯りはサムエルの持っていたトーチだけだった。しかしそれは足元を照らすのが精一杯な、申し訳程度の灯りしか供給しないものだった。私はコンパスで方角を確認しながら進んでいったが、彼らの向かっている方角はピタリと合っていた。考えてみれば当たり前のことだった。彼らにしてみればきっと庭みたいなものなのだ。きっと彼らならば目を瞑っていても町に到着してしまうのだろう。しかしそれでも不安を拭うのには十分でなかった。
トゥルカナ族の男たちは、まるで歩くのが初めからの目的であったかように平然と歩いていた。しかしやはり私はまともな精神状態ではいられなかった。車の外に出ているだけでとてつもない恐怖を感じた。真っ暗な砂漠の中にいるというだけで恐怖であるのに、さらにいつ野生動物が襲い掛かってくるかも分からない状況だったからだ。
同行してきたのはトゥルカナ族の若い男ばかりであり、引き締まったいい体をしていた。普段は野生動物の狩りにも出ている屈強な戦士たちだ。皆強そうな男ばかりだった。砂の上でも逆立ちして走れそうな連中だった。槍を持っている男も何人かいた。この男たちなら野生動物が現れても平気で戦いそうだった。きっと私とは比べ物にならないくらいに目も耳も利くはずだ。彼らは本当に心強く、私はただ無力だった。
「灯りだ」
車から離れて一時間ほど歩くと、何かの灯りが見えてきた。それはロキチャーの町にある電波塔の灯りだった。野生動物に遭遇することなく、なんとか無事に町に戻ってくることが出来たのだった。疲労と緊張がピークだった私は、倒れるように眠りについた。
7.踊り
扉が叩かれる音に私は起こされた。腕時計を見るとまだ午前4時だった。返事をするとアリスの声が聞こえてきた。するとこれから昨日のキャンプに向かうから、すぐに支度をしろと言ってきた。
昨日引き返すと決めた時点で、翌朝に彼らの踊りを見に行こうとアリスが言ってくれていたのだが、車が故障したトラブルもあり、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。しかしその約束をアリスはしっかり覚えていて、守ってくれたのだ。そして手品でも使ったかのように、昨日砂漠の真ん中に置き去りにしたはずの車はそこにあり、サムエルが車の中で私を待っていた。砂漠に住む人間の体力と精神力を、私のそれと比較してはならないようだった。私は歯も磨かずに部屋を飛び出した。
昨日と同じ道を車は走り、結婚式が開かれているキャンプに近づいていった。途中から夜が明け始めて、視界が開けてきた。するとキャンプに到着する手前から、薄明かりの中でトゥルカナ族がダンスを踊っているのが確認できた。ついにトゥルカナ族のダンスに遭遇することに成功した。
小さい子供から年寄りまでが一箇所に集まり踊り、そこだけがこの早朝の時が止まったような静けさの中で躍動していた。華美な衣装と装飾に身を包んだ男達が、手を叩き歌いながら、リズムよく足で地面を蹴り上げ、跳ね踊っていた。少女達は小さな体を大きく揺らし、歌いながら、手をつなぎ輪をつくっていた。その輪の中心の男は何かを表現するように、舞い踊っていた。そしてまるで登ってくる太陽を祝福するかのように、その踊りは夜が明けるまで続けられた。そう、ついに彼らの踊りを見ることができたのだ。
いつの間にかトゥルカナ族の踊りを見ることが、ロキチャーでの最大の目的になっていた。絶対に見るまでは帰れない、という何か強い意志のようなものまで、どういうわけか生まれていた。アフリカの先住民を訪ねて彼らの暮らしを垣間見る。別にそれが目的でアフリカを訪れたわけでもなく、文化人類学のような世界に特別興味があるわけでもなかった。ただこういう強烈な経験を一度してみたかった。それだけだった。締めくくりになる踊りも見ることができた。でも、それだけだった。たしかに踊りはどこか神秘的で素晴らしいものだった。しかし、それだけだったのだ。私は踊りそれ自体よりも、自分が何か他のものを期待していたことに気がついた。彼らの踊りを見ることで、何かが私の中で生まれてくるのではないかと、まるでおやつを待つ子供のように、当然のように与えられるものだと、そう考えていたのだ。日本から一万キロ以上も離れていて、生活環境の大きな隔たりがあり、因習的な暮らしをしている先住民の踊りなのだから、ただの視覚的な効果を超える何かがきっとあるに違いないと、何も起きない理屈などないと、そう図々しくも期待していたのだ。でも何もなかった。その期待値の高さのために、一つの大切にしてきた欲望が叶えられたその刹那、充足という名の楔が私の心に打ち込まれた。そして何か虚しさのようなものが浮き彫りになった。粗いモザイク画を美しく見るためには遠く離れている必要があるとショウペンハウエルは言ったが、その「距離を保つ」というのがモザイク画を美しく見る秘密であるように、「叶えない欲望」を持っておくというのが、もしかすると人生を豊かなものにする秘密なのではないかと、そのとき私は疑った。
8.トゥルカナ族の暮らし
トゥルカナ族が踊りを終えた。あたりはまだ薄暗く、そしていつものように静かだった。焚き火のパチパチという音だけが、静けさのなか響き渡っていた。その焚き火を囲むように、踊り終えたトゥルカナ族の人々と皆で座っていた。彼らはラクダのミルクで入れたお茶のアタイをご馳走してくれた。そしてゆっくりとした時間が流れる中、彼らと会話する機会を設けることができた。トゥルカナ語と英語を喋ることができるアリスが隣で通訳してくれた。
「どうしていつも男性と女性は距離を置いて座っているのか」
いつも気になっていたことを聞いてみた。
「男と女が離れてるのは妊娠しないためだよ」
妊娠というストレートな表現に少し戸惑ったが、要するに男は手が早いから女性を守るためには常に距離を置かなくてはならない、ということらしかった。新郎新婦の親同士であっても、同姓同士しか近づくことは許されないのだという。挨拶で握手をすることもできないということだ。婚前にデートなどは当然許されない。そもそもデートという感覚すら持っていないのかもしれない。
立場は男の方がやはり強いらしく、暴力も当然のようにあるとのことだった。妻に不手際があれば夫は叱り、叩くのだという。ポコット族という他の少数民族がロキチャー周辺に住んでいるとのことだったが、彼らの家は小さくつくられているのだという。それは「妻が叩かれているときに逃げられないようにするため」なのだという。
「どういう時に叩くのか」
そう聞くと、私の隣に座っていた初老の男が答えた。
「家畜に餌や水をやるのを忘れた時だ」
笑みを浮かべてはいたが冗談ではなさそうだった。
「そんなことで!」
思わずアリスに言ってしまった。
「とにかくもめごとには常に家畜がからむ」
そうアリスが付け加えた。
「夫婦どちらかが浮気したらどうするのか」
浮気はしないということだった。理由は家畜が病気になるから、という説明だったが、なにやら迷信のようなものがあるのかもしれない。
「それでも、もしあなたの奥さんが浮気したら」
「叩くよ」
とにかく叩くのだ。
「トゥルカナ族の男性は何人の奥さんを持てるのか」
「きちんと家畜を支払いさえすれば、20人だって持てるよ」
両腕を大きく広げながら質問に答えてくれた40過ぎくらいの男がそう言った。まだ支払いの証である首輪をつけていた彼の隣に座っていた彼の妻と思われる女性は、私にまだ支払っていないくせに、といったような表情しながら白い歯を見せていた。
「夫がいる奥さんを奪いたいと思ったら、できるのか」
「できるよ、家畜さえ払えば。その旦那が許可すれば妻に断る権利はない。妻は家畜を支払った時点で、旦那のものになるのだから」
つまり妻を家畜で売買できるのだ。とにかくトゥルカナ族は家畜を所有していれば、なんでもありのようなのだった。
ロキチャーに着いてからずっと付き添ってくれていたトゥルカナ族の女性アリス、彼女は二児の母だ。当時5歳になる男の子と3歳の女の子がいた。アリスが働いているときは、彼女の母親が面倒を見ているのだと言っていた。
「旦那はどうしてるの」
「とっくに離婚したよ」
前の夫はアリスの両親を尊敬していなかったそうで、子供は世話しない、家畜は支払わない、酒は飲む、暴力はふるう、それは大変な人だった、という話をしてくれた。それでもアリスはいつも明るく元気だった。
話をしている中で年長者と思われる女性のことが気になっていた。どうみても90歳くらいに見えたのだが、平均寿命が短いここでは物凄い長寿なのではないかと思い、年齢が気になったのでアリスに聞いてもらった。すると返ってきた答えは60歳だった。しかしとても老けて見えた。顔や腕、肌が露出している部分は全て皺くちゃだった。その女性に他の質問をしてみた。
「一番幸せを感じる時はどんな時か」
すると、結婚式と子供が生まれた時、とのことだった。また日常では踊っているときだと答えてくれた。彼らの好きな歌と踊り、その多くは家畜に関するものなのだという。家畜の生命を踊って表現し、家畜に対しての感謝を歌うのだという。ヤギにはヤギの、羊には羊の、ラクダにはラクダの歌や踊りが存在するということだった。
彼らの日常が気になったので、一日の過ごし方を聞いてみた。
彼らの朝は早く、5時には起きるのだという。そしてまず行うことは水汲みと薪集めなのだとか。ドンキーに運ばせるらしいのだが、それでも大変な作業になるだろう。朝食は茶を飲むだけだという。そのあとは家畜に草や水を与えに出かける。そして家畜のミルクを絞る。昼食は食べないのだという。夕食は家畜の肉かミルク、また町で購入したウガリなどを食べるという。食べ物の供給は安定していないそうで、食べるものがないときは家畜の血を飲むのということだった。家畜の目元にナイフを刺し、そこから血をとるのだという。その家畜が「死なない程度に」とのことだ。夕食の後は月明かりの下、歌って踊る。また彼らは年に十数回は住む土地を変更するのだという。建てた家はそのまま残していくそうだ。しかし一度出たら同じところには戻ってこないのだという。また戻ってくれば家を建てる必要もなく、草もまた生えてくるのでは、と思ったが、なんでも家にはヘビが住み着いたり、他の民族が住み着いたりすることがあるとのことで、そのため彼らは避けるのだという。
「いままで外国人と話したことは」
「いやない、お前が初めてだよ」
持っていたガイドブック「ロンリープラネット」にはトゥルカナ族の記述が少しあったが、多くの旅行者はこのロキチャーの北に位置する、ロドワーの町に行くのだ。
「外国人についてどう思うか」と質問すると、「お前はなんでこんなところに来た。金を使いわざわざ、なぜだ」と近くにいた女性にするどく質問に質問で返されてしまった。
日本とかけ離れた所に来てみたかった、と言った所で理解してくれるものではなさそうだったので、まずは日本がどういうところかを話すことにした。学生の日常や社会人の日常、そして休日の過ごし方などをできるだけわかりやすく話した。
「初めて会う男女が向かいあって座りお互いの自己紹介をして、食事などしながら話をし、気に入ったらその後二人で出かけたりするんですよ」
さきほど男女に関する話も出たので合コンの話をしてみた。そしたら信じられないと彼らは大爆笑した。
「ここではそんなことしたら追放されてしまうよ!だから結婚前の男女が二人きりになるなんてことはありえない!」
「お前の国では嫁をもらうのに家畜をあげたりはしないのか」
「必要ないです。両親にあいさつに行き、『あなたの娘さんをください』というのが普通です」
「いいなあ、そんなに簡単で。俺達は嫁さんもらうのにヤギが300頭も必要なんだよ!」
こんなやりとりがしばらく続いた。気が付くと夜はすっかり明けていた。私には頭の天辺からつま先までヤギのニオイが染み付いていた。
参考文献
『アフリカの曙光―アフリカと共に50年』松浦晃一郎著(かまくら春秋社、2009年)
『糞肛門―ケニア・トゥルカナの社会変動と病気』作道信介著(恒星社厚生閣、2012年)
『ケニアを知るための55章』松田素二・津田みわ編(明石書店、2012年)
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